2014年08月02日
レトロゲーム万里を往く その123 ロマンシング・サ・ガ
ミンサガのアイシャの恰好は、あれはなんなの?裸エプロンなの?
ゲームについて語る上で役目を終えた言葉、というものが幾つかある。
私が考える、「ゲーム関連死語」の最右翼は「移植度」という言葉だ。かつて、パソコンやアーケードゲームと家庭用ゲーム機の間に、圧倒的な性能差があった頃の花形だった言葉。ファンタジーゾーンの、グラディウスIIの、アフターバーナーIIの、ストリートファイターIIの話をする時に欠かせなかった言葉。今では、ごく一部のリメイクゲームの話で時折思い出した様に口にされるだけの、廃坑のような言葉になってしまった。
例えば、「隠れキャラ」。例えば、「大容量」。例えば、「裏ワザ」。例えば、「連射の速さ」。例えば、「臨場感」。それぞれ、完全に聞かなくなってしまった言葉もあれば、復活したり廃れたり、ということを繰り返している言葉もある。
ゲームが変わり、時代が変わる内に、ゲームに関する言葉も、流行り、廃れ、生まれ、死ぬ。ゲームが変化し、言葉は生き物である以上、これ自体は当然のことだ。
さて。そんな中に、「自由度」という言葉がある。
最近、「自由度」というものについての議論がめっきり減った、と思う。というか、「自由度」という言葉を観測する機会自体、全くなくなった訳ではないが、とにかく少なくなった。
これは多分、ゲーム業界がもう、「自由度」云々について話す様なシーンではなくなった、ということを意味しているのだろう。今のオープンフィールド型のゲームは、大体がこれ以上ない程に「自由」な行動が出来るゲームばかりだし、ブラウザ基調のソーシャルゲームに自由度を求める人などどこにもいはしない。
かつて、特にRPG界隈において、「自由度」なるものが評価の軸の一つとして大威張りで鎮座している時代があった。どの程度、シナリオ上のプレイヤーの裁量が確保されているか。どの程度、プレイヤーの「好きなこと」が出来るか。展開が一本道でないかどうか。クリア目標が複数あるかどうか。まあ、ざっくりそんな尺度だったろう。
正直なところ、この「自由度」という言葉が、一時期単なるマジックワードとして、定義不明瞭のまま「ただ気に入らないゲームを叩くだけの為のツール」として使われていた側面は否定できない、と思う。さしたる根拠もゲームごとの考察もなく、「自由度が低い」というレッテルだけ貼られたRPG評論、というのは当時よく観た光景だ。
が。元を正せば、この自由度という言葉は、RPGの発展期、演出やゲーム自体のボリュームが充実し、より「色々なことが出来そう」「もっと色々なことがしたい」という、RPGというジャンル自体に対する期待度が結晶したような言葉だった。「この世界は凄く広いんだ」ということを遊び手が感じ始めた、それを表した言葉だった。
「こんなに広い世界なら、こんなことだってできていいだろう!こんな進め方をしたっていいだろう!」と。つまり、自由度とは、そんな思いを込めた言葉だったのだ。
純粋に、「プレイヤーの選択肢が多彩なRPG」としては、古くは勿論ウルティマやバーズテイルから話をはじめないといけないし、時代を下れば例えばルナティックドーン辺りのタイトルが議論の遡上に上がるべきなのだろう。場合によっては、サンサーラナーガなんかも挙がることがあるかも知れない。
が、コンシューマーゲーム市場における「自由度というものの議論の高まり」と、それに伴うプレイヤーの意識の変化、という点では、私はSFCのこのタイトルを外して語ることは出来ない、と思う。
そう。そのタイトルは、ロマンシング・サ・ガ。
ロマンシング・サ・ガ。1992年1月28日、スクウェアよりSFCで発売。当時4まで発売されていた「ファイナルファンタジー」シリーズ、1993年に2が発売される「聖剣伝説」と並んで、スクウェアの代表的なRPGシリーズの一角となるタイトルである。ずっと時代を下ってた2001年、ワンダースワンカラーにも移植されている他、2005年にはPS2で「ミンストレル・ソング」としてリメイクされた。
元々、ゲームボーイのシリーズであった「魔界塔士Sa・Ga」の系譜だった本作だが、このタイトルから「ロマサガ」というシリーズとして独立した、と捉えた方がいいかも知れない。恐らくスクウェア自身が、「FFとの違いをどう出すか」ということを意識しながら開発したゲームだったのだろう。数々の新機軸、多彩なゲームシステムは、粗削りな部分もあり、時には大きなバグもあったが、それでも多くのRPGファンを惹きつけ、多数のコアなファンを獲得した。後の「ロマサガ2」「ロマサガ3」、更にスピンアウトしては「サガ・フロンティア」シリーズまで含めて、今でも続編を期待されている向きは大きい。
ゲーム自体については、Wikipediaに情報がサマリーされている。
Wikipedia:ロマンシング・サ・ガ
さて、ゲームの話をしよう。
・ロマンシング・サ・ガの圧倒的な「広さ」と「散らかり方」について。
ロマンシング・サ・ガというゲームを、一言で表現するのは難しい。それは、単に「ゲームが広い」というだけの話ではなく、敢えて言うなら「まとまっていない」からだ。
例えば、同じスクウェアのファイナルファンタジー4や5は、非常に「まとまった」ゲームだった。勿論様々な、シリーズの中での新機軸というものはあったが、基本的にはシステムは完成しており、完成度は極めて高く、統一感があった。
だが、この時点のロマサガは、言ってみれば「新機軸のごった煮」というような状況だった。一つ一つのシステムは非常によく出来ているのだが、それぞれがまとまり切っていない様な印象は強かった。恐らく、ロマサガシリーズが「まとまった」のはロマサガ2での出来事だったのではないかと思うのだが、それについては項を改めよう。
私がロマサガに初めて触った時、私はまだ小学生だった。その時感じたロマサガの特徴を箇条書きで挙げるとすれば、
・利き手や両親の職業まで選択させる、変わったキャラクターメイク
・腕力や体力はともかく、「愛」とか「魅力」といった訳のわからんステータス
・台詞に漢字が出る、しかもでかい
・レベルがなく、ステータスや武器熟練が育っていく成長システム
・ひとつの武器を使い込んでいくと技が増え、どんどん攻撃力が上がっていく、「武器を育てる」という独特な感覚
・フィールドで最初から見えている敵と、「どっちから接触するか」という向きまで考えなくてはいけない隊列システム
・というか後列になっちゃった時いちいち前に出るのが面倒
・地図を入手すれば一足飛びで移動できる、簡略化された移動システム
・圧倒的なシナリオの自由度
・死ぬほどかっこいいBGMの数々
特にこの辺りが衝撃的だった。
「フリーシナリオシステム」というものは、当時まだパソコンゲームやテーブルトークを知らなかった小学生の身としては、確かにとんでもない新機軸に思えた。
「次は何をするべきか」「次はどこにいくべきか」が、決まっていない。いった場所によって、進んだ道によって、選んだキャラクターによって展開が違う。ひたすら敵を狩っていてもいいし、逆に敵をがんがんスルーしてもいい。
「正解」が存在しないゲームシステム。そう、私にとって、確かにこれは衝撃だったのだ。
家庭用のゲーム雑誌に「自由度」という言葉が頻出し始めたのも、私の記憶が間違っていなければこの頃だった様に思う。それが、後々「ムービーゲー」みたいな妙な批判と結び付いてしまうのも因果な話ではあるが、家庭用業界において、ゲームファンに「自由度」という言葉を教えた、その一端には確かにロマサガがあったのだ。
ジュエルの貯め方であるとか、隊列の融通の利かなさであるとか、一部のバグであるとか、正直粗削りな部分が多々あったことも否定はできないが、その辺はシリーズ第一作ということで、こなれていないところがあったのは仕方ないともいえる。
BGMについても、ダンジョンから、通常戦闘から、イベントシーンから、ボス戦から、どの曲をとっても素晴らしい曲揃いである。伊藤賢治先生はこのころ戦闘BGMを苦手としていたという話なのだが、ロマサガの通常戦闘の曲やバトル2、サルーイン戦の曲などを聴いているととても信じられない。スクウェアの全タイトルを並べても、相当上位にランクインする名曲ばかりだと私は思う。
・戦闘シーンのクローデイア可愛い(真顔で)
ところで私はホーク使いだった。
ロマサガシリーズに共通の特徴として、「独特な世界観」「独特な台詞回し」「独特なキャラクターデザイン」というものがあるのも、恐らくファンの共通認識だと思う。FFとは全く違った説明不足なシナリオ、時にはプレイヤーを突き放すかのような展開も、間違いなくロマサガの「味」だったのだ。
今でもweb上で著名な「ねんがんのアイスソードをてにいれたぞ!」などは言うに及ばず、「ぎゃートカゲだーさよなら」であるとか、「なにお! ゆるさーん!!」であるとか、妙に頭に残るセリフ・展開が目白押しである。
本ゲームの中核がフリーシナリオシステムであり、一つ一つのイベント・シナリオを自分で見つけ出す、という形式であったことも関連していると思うのだが、個別のシナリオが非常に印象に残りやすかったことも、ロマサガの味の一つとして挙げられると思う。四天王のおつかい、騎士団イベント、最終試練、ジュエルビースト、フロンティア襲撃といった言葉を、深く印象に残している方もいらっしゃるだろう。
正直本作の戦闘バランスは結構極端(だと私は思うのだが)で、育て方をよく理解しないで進めるとちょっとした中ボスにも相当苦戦する一方、術法の活用をはじめとして、強い武器・強い術法をきちんと鍛え、活用しながら進むと、サルーインでもあっさり倒せたりする。これも、「方向性を意識したキャラクター育成」を誘導しようとする、スクウェアの意図の一つだったかもしれない。
それはそうと、私はロマサガのドット絵信奉者の一人である。
ロマサガ1から2,3,サガフロに至るまで、ロマサガシリーズの戦闘シーンのドット絵は超絶よく出来たドット絵揃いだと私は思うし、そんな中でも本作のクローディアの戦闘シーンのドット絵くらい美しいドット絵はなかなかないと私は割と真剣に思っているのだが、皆様のご意見はいかがであろうか。
ホークやアイシャ、グレイのようなメインキャラ一同、ゲラハやガラハドやミリアム、シルベンブラウ辺りも全部ひっくるめて、構え・攻撃・呪文・レベルアップ、何からなにまで本作戦闘シーンのドット絵は素晴らしい。よろしければyoutubeなどでご検索頂きたい。
本作における小林智美先生のデザインも大変に素晴らしく、どのキャラも特徴的であり、キャラクター紹介を見ているだけでも全く飽きがこない。しかもドット絵のような細かいところでもきちんとそれが再現されている。2,3まで含めて、ロマサガシリーズのグラフィックデザインというのは、スクウェアの各シリーズの中でも一種異彩を放っていると思う。
と、ロマサガ1のドット絵原理主義者の私は、当然のことながらミンサガのデザイン変更についてはいまひとついい印象をもっていない。勿論これは好みの問題なので、ミンサガのデザインの方が好きという人も当然いるだろうが、アイシャの奇抜な恰好やホークのキャラ変はいうに及ばず、クローディアなんかもあの服装で迷いの森設定なんかはちょっとどうなのかと思わないでもない。
まあ、それは余談。ミンサガはミンサガで、展開の補完とか素晴らしいBGMとか、勿論好きなところは山ほどあるし。
と、まあ、長々と語ってきた。取りあえず私が言いたいことは、「ロマサガの下水道の曲は下水道の曲としては世界一かっこいい曲なのではないか」という一点のみであり、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておく。
今日書きたいことはそれくらい。

この記事へのトラックバック
いつも楽しく拝読しております。
>本作における小林智美先生のデザインも大変に素晴らしく、どのキャラも特徴的であり、キャラクター紹介を見ているだけでも全く飽きがこない。しかもドット絵のような細かいところでもきちんとそれが再現されている。2,3まで含めて、ロマサガシリーズのグラフィックデザインというのは、スクウェアの各シリーズの中でも一種異彩を放っていると思う。
全く同感です!
ミンサガも好きですが、やっぱりロマサガのドット絵は最高!
ミリアムは俺の嫁。
途中でアドバイスをくれるフラーマって、自分で戦ったらかなり強かったのでは・・・?
あまりゲームには詳しくないですが、現在子育て中で、ご家族に関する記事を興味深く読ませていただいています。
日常に関するブログを書いているのですが、リンクをはらせていただきましたので一応ご報告いたします。
ゲームにはあまり詳しくないんですが、ロマンシングサガってレトロゲームなんですね!考えてみればもう何十年も前なので当たり前ですが、弟たちがリアルタイムで楽しんでいたゲームがいつのまにか「レトロ」と呼ばれる年月が過ぎていたんだなあと実感しました。