その男には、昔から妙な性癖がある。
一言で言うと、サプライ萌え、とでもいうのだろうか。サプライフェチ、とまでは多分いかないと思う。サプライマニア、というのもおそらく違う。彼はサプライそれ自体に関しては、ろくな知識をもっていない。
さくらやとかビックカメラとか、そういった電化製品量販店をうろついている時の話なのだが、例えば乾電池の山とか、大量のプリント用紙とか、「サプライの十分な備蓄」を見ると、彼は何故か妙にうれしくなるのである。わくわくしてくるのである。かといって、別にサプライを買い込みたくなる訳でもない。
彼は最近になって気付いた。というか、思い出した。この「サプライ萌え」は、おそらく、子供の頃に感じた「備蓄物資の確認萌え」と同じ類の感覚なのだ、と。
二年間の休暇、という児童小説をご存知の方は多いだろう。十五少年漂流記というタイトルでも発表されており、その名の通り無人島に流された十五人の少年の冒険物語である。
当面無人島で生活しなくてはいけない、ということが定まった時、彼らは自分達が乗って来た船に残された物資の確認をする(注:物資の内容はうろ覚えてすらいないので適当である)。
弾薬六樽、干し肉三樽、シェリー二樽、マスケット銃何丁、弾薬何ポンド、etc、etc。
萌えーー。
そして、物資が残り少なくなると、補給をする訳だ。アザラシを捕獲して油を煮詰めたり、樹液からお酒を造ろうとしたりする訳だ。そして、この結果がまた○○樽という数字で表されたりする訳だ。アザラシの皮脂からとった油が四樽備蓄されたりする訳だ。その油の備蓄で冬を越したりする訳だ。
萌えーー。
いや、萌え、というより、燃え、だったのかも知れない。この二種が一体どう異なるのか、彼には昔からよく分からない。おそらく今でも分かってない。
ともあれ彼は、「冒険ものに出てくるアウトドア料理は何故か無闇やたらと美味く見える」症候群と同時に、「物資の備蓄という言葉に何故か無闇やたらと萌える」症候群を患ったまま、無人島に漂流して現実を思い知ることもなく、いつしか四半世紀を越える人生を送ってきた訳だ。
さて。いわば「備蓄物資萌え」とでも言うべき件の感情なのだが、この正体は一体なんなのだろう。ここが難しいところなのだ。実は、これを書いている私にも正直よく分かってない。
・「樽」という言葉が持つ、冒険感覚のドーピング
・農耕民族的貯蓄欲求の発露
・これでジオンは10年は戦える的、十分な備蓄に対する安心感
その他もろもろ、恐らくは「男の子回路」と通例呼ばれる様な感覚と似通った部分もあるのだろうとは思うのだが、これに関しては「似通った感覚の集合」として捉える他、今の私には結論を出すことが出来ない。
この感覚の正体に関しては、今後とも研究を進めてみたい。案外、彼をどこかのスクーナーに乗せて、南米の無人島沿岸で遭難でもさせたら、割とあっさりとその正体が分かるかも知れない。
そして彼は、今日もさくらやの地下で乾電池の山を眺めつつ、店員の奇異の視線を気にすることもなく、嬉しそうな表情を抑え込んでいる。
2007年04月30日
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ちょっと違うかもしれませんが、ワタシには他に「十分実用に足る代用物」への萌えがありますのん。水は腐っちゃうのでラム酒で代用とか、魚とって喰やいいのに「コンク・フード」持って海底探検に行くのび太とか、どうしても単二乾電池が見つからなかったので単三にぐるぐる布テープ巻いて太らせたのをセットした懐中電灯とか。そういう。
通常通りに物事が運んでたら物資なんかもコンスタントに供給されてくるワケでして、備蓄物資が必要になるのは割と緊急時の場合が多いと。冬への蓄えとか。てことでワタシの場合、代用萌えと備蓄萌えは「おいらの工夫でこの場を切り抜けているんだ〜ゼ〜」という冒険野郎な男の子回路で括れるのかな、と。よォ判らんですが。
あと、「冒険ものに出てくるアウトドア料理は何故か無闇やたらと美味く見える」症候群の類似症状として「歴史ものに出てくる料理は何故か無闇やたらと美味く見える」症候群もありますよ、私は。
>ワタシには他に「十分実用に足る代用物」への萌えがありますのん。
代用物を自分で工夫するという話になると、私にも顕著です。ありあわせの物で罠を作ってイノシシを狩る話とかは好きだったなあ。
>「おいらの工夫でこの場を切り抜けているんだ〜ゼ〜」という冒険野郎な男の子回路で括れるのかな、と。
なるほど。特に冒険譚になってくると、そんな側面もありそうですね。
>Zhao師
>「歴史ものに出てくる料理は何故か無闇やたらと美味く見える」症候群もありますよ、私は。
私は兵糧丸を一度でいいから食ってみたい。
でも、実際食ったら夢が打ち砕かれそうな気もする。激しくする。