Twitterで、こちらの記事に言及して欲しいなー、というようなお話を伺いました。
orangestarの日記:オッス!オラ、イクメン!いっちょやってみた結果がこれだよ!!
いやもう、まずは奥様共々、日々育児お疲れさまでございます、という点には尽きます。
前提として、パパとママの間に意見の不一致があった場合、パパとママの間ですり合わせるべき話であって、部外者がどちらか一方を否定する必要はないですよね、というかするべきではないですよね、というのは思います。
子どもと接するのは大変大変楽しいことなんですけれど、やはりストレスがかかる点も多々あるのは事実で、子どもと長く接している側によりストレスがかかるもんだとは思うんですが、部外者が更によってたかってストレスを増やす必要もないと思うんですよね。どうなんでしょうか。
まあ勿論、ブログに公開されている時点で、そういうことも織り込んだ上でいろんな意見を募ってらっしゃるのかも知れないですし、私もそう考えたのでこんな記事書いてるんですが、ブクマコメを見ていて、ややや皆様どうかもう幾分穏便に、とはちょっと思いました。
その上で、
ただ、なんかいま一つピンと来ないというか、納得できないというか…。
子どもが食事の前にチーズを食べたがっています。という点に始まるお話について、「納得できない」と書かれているので他者の意見を求められているという前提の上で、どちらかというと私はこっち寄り、という感じで意見を書いてみたいと思います。
しかしお母さんから「もうすぐご飯だから駄目。泣くなら泣きなさい。泣いてもチーズは出ぬ」
ってなってる時にチーズあげちゃう上、その後のダラダラ食べ2時間コースに付き合う系イクメンの問題点を三つ以上挙げよ。
私の意見は端的にこういうことになります。
・命令系統の統一はめっちゃ大事
・泣いている子どもを「泣き止ませないといけない」ということは必ずしもないと思う(場合にもよる)
・ひとつの事案にどれくらいの時間を費やすか、というのは程度問題
・総合すると、スタンス的にはどちらかというと奥様寄り
最初に自分の立ち位置を書いておきますと、三児の父です。長男は七歳、長女・次女は双子で共に二歳九ヶ月、子どもと接している時間では妻に到底及ばないのですが、一応全力で子どもと関わっているつもりではあります。
一点ずついきます。
・命令系統の統一はめっちゃ大事
命令系統というか、基準、ものさしの話でしょうか。
子どもは勿論まだ「やっていい基準」「良くない基準」、いわば基本的な倫理意識、規範意識というのを身に着けていない生物ですので、親がそれを与えてあげなくてはいけません。早い話、やっちゃダメなことは「ダメ」といわないといけませんし、やって欲しいことは奨励して、出来たら褒めてあげないといけません。
パパとママは、子どもにとってはある種「既に社会に出ている先輩」でもあり、「自分が目指すべきモデルケース」でもあるので、ここでの「ものさし」が一致していることはひっじょーーに重要です。
この時、パパとママの振る舞いや意見に大きく乖離があった場合は、子どもは「あれ、どっちに従えばいいのん?」となるので結構困ります。子どもは強かなので、単に自分の欲求にあった方に段々寄っていったりして、これもまたパパ・ママの乖離の一因になっちゃったりします。
「ものさし」が統一されていれば、子どもが学びやすくなる。言ってしまえばそれだけです。
まあ、何でもかんでもパパとママの意見が一致するわけもないので、時に意見の食い違いが出るのも当たり前のことではあります。そんな時も、
・少なくとも子どもの前では意見の不一致を見せない
・後で適宜話し合って不一致を是正する
ということが超重要だと思いますし、事実まさにこれをやってらっしゃるとは見受けられるのであんまり問題ないかとは思うのですが。一応、しんざき家でも都度都度意見の不一致がないか矯正してるつもりではあるんですが、後でこれ読んでもらって確認します。
あ、パパママの意見不一致を見せないといっても、パパママ両方同じ内容で叱る、というのは子どもの逃げ道を塞いでしまうので避けて、片方は「よしよし、パパのいった通り出来るよねー」といった感じでフォローに回るといいらしいですね。両方ボケも突っ込みもやる、といった感じで。
二点目。
・泣いている子どもを「泣き止ませないといけない」ということは必ずしもないと思う(場合にもよる)
お前の育児がすごくウエット(子どもに対して可哀想という態度で接し過ぎ)と言われたんですがそこになんとか出来る手があるのに、なんともしないでおくと、傷つく、というか、親に対して不信感を持つようになりそうだし、そうすると、将来人間関係に不信感を持つ子になるってどっかで読んだ気がするので、で、自分が家に言える状態で子ども泣いたり不機嫌だったらそうするしかないじゃないですかーですかー。この気持ちというか危機感、私もよく分かりまして、子どもが泣いてる時には早く対処してあげようよーとか思うこともあるんで、いわば「泣かれることに対する危機感」を否定するところでは全くないです。
ただ、そういう危機感を持っているからこそ、id:orangestarさんが恐らく、子どもが泣くケースを一括して考えておられるのではないかなー、と思い至りました。
私が考える限り、子どもが泣くケースには大きく分けて二つあります。
1.生理的にどうしようもない理由で泣くケース
2.上記以外で、自分の要求を通すために泣くケース
正直、結構境目は曖昧なんで、これも結局「どこまでを1に、どこまでを2に分類するか」というのは夫婦間の決めの問題なんですが。
1は、たとえば転んじゃって痛みで泣いてる時とか、起きたばっかりで超眠いのに隣にママやパパがいないから泣いてるケースとか、そういうのですね。「寂しいから泣く」というのも私基準ではこっちです。
2は、たとえばおもちゃが欲しいのに買ってくれないとか、もっと遊びたいのに帰ると言われたとか、そういう時泣くヤツです。
私が思うに、1は可能な限り早くフォローする必要がありますが、2はケースバイケースというか、必ずしも対応する必要がないです。むしろ、普段1をきっちりフォローしてあげた上で、2をフォローしないことによって、子どもがすばやく「規範」を学べるようになると思います。
子どもの信頼感というのも程度問題であって、上記で言うと「生理的にどうしようもない理由」できちんとフォロー出来ていれば、「ああ、パパやママはどうしようもない時はちゃんと来てくれるんだな」という感覚はちゃんと育つと思うんですよね。
どうしても2のケースで泣き止ませたい、けど要求には応じたくない、という時には、単に抱っこしてあげたり寄り添ってあげればいいんじゃないでしょうか。しんざき家ではそんな感じです。
「食欲」というか、「何か食べたい」ということ自体は生理的な問題なので、1と2どちらに分類するか微妙な部分もあるんですが、ご飯のサイクルがちゃんとあるのであれば、それ以外のサイクルで何か食べようとする要求は2に分類していいように思います。この辺はパパママ間で決めることですけど。
三点目。
・ひとつの事案にどれくらいの時間を費やすか、というのは程度問題
文字通りではあって、別に場合によってはあるひとつの事件に対して二時間三時間使ってもいいとは思うんですが。
その2時間があれば他のことが出来る、手を掛けられる分MAXまでやるっていうのは長期的には正解ではない。この点は、単に「奥様にとって他にやって欲しいことがあるけれど、リソースの使い方の問題でそれが満たされていない」というリソースマネジメント的な事情が見て取れるので、そこが意志疎通によって改善されれば良いだけなのでは、とは思いました。
うちの場合は、私と妻がどちらも時間空いている場合、私は子どもたちの「ご本読んで」攻撃に対処し続けていることが多いですし、妻もどちらかというとそれを奨励しているっぽいので、延々子どもに時間使ってることの方が多い気はしますが。
まあ、何はともあれまとめると、私が言いたいことは
・パパママ間での意志疎通超重要ですよね。
・子育て大変ですよね。
・いつもお疲れさまです。
という三点だけであり、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。
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