2007年05月01日

いじめ報道と、産科医減少問題って構造が同じなんじゃないか。

と、思った。すいません長いです。

Webとも関係がない話じゃないんだが、メタ議論になるとブーメランが返ってきそうなんで、ちょっと気をつけながら書く。


まずは紹介してみよう。近畿圏の産科医問題に関しては、天漢日乗さんが以前から、詳細に綴られている。
「マスコミたらい回し」というシリーズ、どの様なスタンスをとるにせよ一度は全部読むことをオススメしたいのだが、取り敢えず一つ挙げてみよう。
「マスコミたらい回し」とは? (その45) ネットにカルテ流出ってホント?

物凄く乱暴に要約すると、奈良県の大淀病院で起こった妊婦死亡事故を端緒にした、メディアの感情的な病院バッシングによって、奈良県周辺での医療機関、特に産婦人科の医療体制が軒並み崩壊しつつある、というお話だと思う。

この件に関しては、他にもネットでたくさん議論が読める。東京近辺でもちょっと調べてみたのだが、分娩が可能な産科医の減少っぷりには私自身驚いた。


一方、いじめの報道に関して。こちらはもう、随分前から恒常化している問題だろう。というか、恒常化した結果の焼け野原が眼下にあるというべきかも知れない。

ネットを検索してみると色々な報道が出てくる。いかにも分かりやすい例で申し訳ないんだが、試しに一つ挙げてみよう。
いじめ自殺事件 学校が責任逃れ

これもちょっと特殊な事件だったが、例として。

追い詰められて自殺してしまった少年が気の毒なのは確かなんだが、こういう筆致でこういうことを書いちゃうのはどうなんだ、とは思わんでもない。実に実に分かりやすい、感情的な煽り→学校叩きコンボの典型だ。

いじめ報道自体については、このエントリーでは深く踏み込まない。ただ、この報道によっていじめ由来の自殺が減るかと言われると、何をどう考えても「減る訳ねえだろ」と言う他あるまい。

いじめられた少年が「自殺するとこんなに世間が騒いでくれるんだ、学校も責められるんだ」などと逃げ道を作ってしまうことも当然あり得るし(心理的な通風孔が出来ると結果的に自殺を選ばなかったりすることも一応考えられるが)、その一方で学校側は、マスコミに叩かれたくないが為に「逃げ」の姿勢を常とする。いじめ問題が腫れ物の様に扱われている所以だ。

ついでに、肝心の「結果として、実際にいじめてた側の子供達」が話のどこにも出現しないことを考慮すると、いじめる側の心理的障壁にもならんだろう。

別に学校側や教員側に問題が無いとは言わんが、ただただ感情的に学校側を叩く報道をぶち上げた時、そこに「視聴率」以外の何が残るというのか。言ってみれば視聴率の焼畑農業だ。

医療の方の問題を想起すれば、実はもう、いじめ報道の悪影響って結構あちこちに出ているんじゃないだろうか。「いじめ」という事実を学校側が徹底的に避けようとしているのもそうだし(例えばこの辺とか)、奥様から聞いただけの話なので詳しくは項を改めるが、学校を「敵視」する親御さんの存在とも関係がある様に思える。


さて、「いじめ報道」と「産科医減少問題」の共通点をいくつか挙げてみよう。

・いずれも、被害者に対する同情を起点にして、感情を煽る報道になっている。
・いずれも、個人ではなく組織をバッシングする報道である。
・いずれも、問題そのものの解決に貢献していない。どちらかというと問題を助長している様に思える。
・いずれも、叩かれた組織に恒常的な「逃げ」の姿勢をとらせる結果に陥っている。



原因と結果に分けて考えれば、多分二つ目が原因だ。


・メディアには「個人」ではなく「組織」を叩きたがる強い傾向がある。

ある程度しょうがないことだし、実はマスメディアに限らんのだが。多分、根っこの一つはここにある。

上の報道問題なんかその典型だが、多くのメディアは、「組織を叩くという文法」をある程度確立している。その組織の大小によってもノウハウは異なるが、「個人の側に感情的な優位性を与え、そこを起点に組織を叩く」という形をとることが多い(この場合、ある組織の象徴としての個人も「組織」の側に含まれる)。この前の不二家報道もそうだった。

昔っから分析されていることだとは思うが、多分理由は幾つもある。


1.視聴者が組織よりも個人の側に感情移入しやすい
2.組織に対して憤る方が社会的正義を体現しやすい→視聴者がキモチイイ
3.メディアが個人(数的弱者)の味方であるというスタンスをとることが多い
4.個人を叩くより組織を叩く方が構図が明確になり、総括がしやすい(丁度今私がやっている様に、だ)

まだ何個かありそうだな。

要は、「稼げる話題」を作る時、その方法論の一つとして「組織を叩く文法」というものが確固として存在してしまっているのが問題なのだ。

組織というものは、要は強者である。道義的な瑕疵がある組織は、要は「強大な悪者」として扱いやすい。古今東西、道義的な瑕疵が全くない組織なんてものは滅多にない。そして、強大な悪者を叩くのは気持ちいい。

単純化すると、この辺りが「受ける」要因の一つなんだろうと思う。

かく言う私自身、一時期はそっちの世界の片隅に所属していた人間であるから、この文法に慣れている側面は正直、ある。というか現在進行形で使っている。この辺、自分にも跳ね返ってくる問題だから色々と難しかったりするのだ。

影響力がぜーんぜん違うから責任の拡散にはならんと思うが、「組織を叩く文法」自体に関しては、とうの昔に一般に定着しているということも事実である。Webでだってあちらこちらで普通に見られる(もっともWebの場合、個人が叩きの対象になることも多いが)。つまりこの場合、「視聴率」と置換出来るのが「アクセス数」ということになる。叩きと煽りが受けるという傾向自体は、どこの世界でも共通の様だ。


ただ、叩きや煽りが有用な武器だからこそ、使用者は「使った後」のことを考えなくてはならん。巨大な影響力を保持しているマスメディアは、「使った後のこと」っていうもんをもうちょっと慎重に考えてくれればなあ、とは以前から思っているのだが。無理か。収益形態が根本的に変わらないと難しいかも知れない。


まあマスコミはマスコミできちんとした付き合い方を考えるとして。その一方、「叩く文法」を使える立場にあるWebの人間としても、自制は出来る様になっておきたいなーとは思うのだ。

posted by しんざき at 19:44 | Comment(5) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
>視聴率の焼畑農業

うまい!たしかにぴったりだ。分かっていてもやめられないんだろうなあ。でも肥料たっぷり撒いて自給自足、とかもそれはそれでいやですね。
Posted by や at 2007年05月02日 03:07
いじめ報道(その他)自体が「いじめ」だと思うよ私は。
立場上反論できない人を、正論(?)でやり込める。弱いものいじめみたいな。

んー、補足。弱いものいじめというのは…
マスコミ自体が、組織より大きい権力?か何かを持っているようなイメージがあるので、そう感じる。

そしてそれは、マスコミというものを丸のまま信じることで、
(そりゃ信じていい情報もあるだろう)
叩く組織以上の権力のようなものをマスコミに与えてしまったわれわれ視聴者・一般市民にも責任があるんだろうなぁ。

マスコミが全てではない、あるいは情報の一部だ
という意識が定着して、それに振り回されない風潮ができれば、
そんなに右往左往することもなくなるのだろう。

その意味で、先日読んだ なだいなだ氏「おっちょこちょ医」は登場人物がそれぞれのポリシーでのみ生きていて
なかなか面白かった。

つれづれですまぬ。
Posted by nao at 2007年05月02日 10:22
>やさん
>でも肥料たっぷり撒いて自給自足、とかもそれはそれでいやですね。

自給自足型農業、という形式も、それはそれで確立されてる様に思います。そっちのノウハウはあんまり知りませんが。

>naoさん
>マスコミ自体が、組織より大きい権力?か何かを持っているようなイメージがあるので、そう感じる。

マスコミは非常に大きな組織ですのよ。報道ではあからさまにしないけど。

>マスコミが全てではない、あるいは情報の一部だ
という意識が定着して、それに振り回されない風潮ができれば、

理想ではあるけど、まあ色々と難しい。
結局Webはマスコミの代替物にはならんしね。
そういう教育はもうちょっと確立せにゃならんのだろうけど。
Posted by しんざき at 2007年05月02日 12:21
同意です。マスコミって毒ですよね。

特に医者に対する横暴が酷い。あいつらのせいで新しい医療の導入が遅れると思います。
Posted by ferg at 2007年06月02日 06:28
>fergさん
毒も薬というヤツで、毒になりそうな部分は受け取る側で無毒化していくしかないんじゃないかと思います。
必要不可欠なツールだとは思うんですけどね。
Posted by しんざき at 2007年06月04日 08:36
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