2014年10月19日
新旧「魔界大冒険」の表現に見る藤子F先生の作風のお話
どうもしんざきです。今日の記事は、不倒城には珍しく画像多めの為折りたたみます。一応、大長編ドラえもんの一作「魔界大冒険」のネタバレが随所にありますので、未見・未読の方はご注意ください。
最近、といっても去年くらいからですが、長男(現在小学一年)は漫画を読み始めました。大変お気に入りなのは、藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」で、何かにつけててんとうむしコミック版のドラえもんを買って欲しがります。特に「一巻から順番に」というこだわりなどはない様で、巻数はばらばらですが今十冊くらい買ってます。彼はドラえもんを、のび太やジャイアンを狂言回しとしたギャグマンガとして楽しんでいるようで、しょっちゅう爆笑しています。
TPOとメリハリ(食事中に読まないとか)さえ弁えれば、マンガもゲームも大いに良かろうと私は思っているので、引き続き楽しんでくれればいいというところなのですが、最近ふとどうでもいいことに気が付きました。
2007年に、大長編ドラえもんの初期の傑作、「魔界大冒険」が映画版でリメイクされ、ストーリーにかなりのアレンジが加わって議論を呼んだのはご存知の方も多かろうと思います。
私は昔から、ゲーオタである一方アニメに対して極めて感受性が薄い人間で、実はドラえもんもアニメで観たことは殆どありません。しかし、大長編の「原作」であるマンガ版については、かなり多くのシリーズに接しておりました。私にとって、ドラえもんは飽くまで「漫画」だったのです。
で、「新魔界大冒険」にも原作にあたるマンガ版があります。当然のことながら、藤子・F・不二雄先生は既に故人である為、執筆は岡田康則先生が担当されています。藤子プロ所属の方で、何作かの大長編ドラえもんの漫画化を担当されている先生ですね。
その「新魔界大冒険」漫画版を長男が欲しがったので、とある機会に買ってあげて、私も読んでみました。
ストーリーについては相応のアレンジが入っていることは周知かと思いますし、ここではストーリーについて触れるつもりはありません。私が気が付いたのは漫画の表現、もっといってしまうとコマ割のことでした。
一言で言うと、「大ゴマ多くね?」と思ったのです。藤子F不二雄先生の原作で、大ゴマを見た記憶があまりない。
ちょっと、旧魔界大冒険も買ってきて比較してみました。
例えば序盤、のび太とドラえもんが自分たちの石像を見つけてびっくりする場面。
これが「新・魔界大冒険」の当該シーンです。
1ページ丸ごとの大ゴマですね。印象的なシーンです。
一方、藤子F先生の「魔界大冒険」だと、当該シーンはこんな感じになります。
発見→驚く、というシーンはサラっと流されていることが分かります。新魔界大冒険の方でも、この後ののび太父・母との会話シーンは1ページあるんですが、そちらでは幾つかの会話が切り捨てられています。
もう1枚観てみます。同じような感じで、こちらが「新魔界大冒険」の方です。2ページ続けてみてみてください。
ジャイアンやスネ夫まで含めて、魔界に出発するときのシーンですね。
一方、同じシーンが藤子F先生の「魔界大冒険」だとこうなります。
出発シーンはページの4分の1くらいでさらっと済ませています。その代わりに、のび太たちの元の世界と、魔法世界の常識の違いが強調されていることが分かります。また、宇宙で効果音や効果線が入っていないところも、SF畑の藤子F先生らしい描写のような気がしますね。魔法世界なんで月にウサギいますけど。
この他にも、新・魔界大冒険の原作では、あちこちで「人物を中心にした煽り大ゴマ」がしばしばページ一枚を丸まる使って描かれている一方、ディテールは省略されている部分が多いです。これは作品全体を通じての話で、イメージ的には十ページに一回くらい、ページ3分の2以上を使った煽り大ゴマが現れるくらい。
これはただの推測なのですが、岡田康則先生は恐らく、「子どもにも分かりやすく見せるシーン」というものを、煽り気味のカメラワークを使ってふんだんに盛り込もうとしたのではないかと私は思います。
それに対して、藤子F先生の「魔界大冒険」原作では、ページ一枚丸まる使った大ゴマというものはそもそも存在せず、人物を中心にした大ゴマ煽り構図自体それ程出てきません。というか、私はそこそこ藤子F先生の作品は読んでいると思うのですが、ドラえもんに限らず、そういう大ゴマを見た記憶が殆どありません(断言は出来ませんし、風景が中心の大ゴマなら時折あった気もするのですが)
幾つか理由は推測できそうですが、はっきりしたところまでは分かりません。思いつくだけであれば、
・情報量を作品内になるべく多く描き込む藤子F先生の作風
・掲載誌の都合上、そもそもページをそこまで贅沢に使えなかった
・大ゴマ・ぶち抜き煽り構図自体が比較的新しい表現であって、トキワ荘世代にはない方が当たり前だった
などなどですが、推測をするにしてももうちょっと資料を集めないといけなさそうで、一旦おいておくことにします。ただ、藤子F先生はどんな作品でも、「たくさんの情報を」「いかにわかりやすく読者に伝えるか」については大変腐心されているように思い、それが藤子F先生の作風の特徴のひとつである、ということまでは言ってしまっていいような気がします。
新旧どちらの「漫画版魔界大冒険」の描き方がより子どもに支持されるのか、それについてはよく分かりません。
ただ、私の長男(7歳)についていえば、「ふじこ先生が描いたほうがおもしろい」だそうです。あと「新の方はメジューサがかわいすぎてだめ」だそうです。うん、デザイン全然違いますね。
全く全然関係ないのですが、ドラえもん本編において、藤子F先生のエロさというかリビドーみたいなものは、44巻「海をひと切れ切りとって」の下記のコマに集約されているような気がします。
あと、さらに全然関係ないんですが、個人的には藤子作品で一番好きなのは「マネーハンター・フータくん」です。A先生ですけど。
今日書きたいことはそれくらいです。
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