2014年12月28日

「ロボットに子どもが乗って戦う」という設定に対する、「機動警察パトレイバー」のアンチテーゼについて


パトレイバーのバドのお話です。長文です。多分既出話だと思うんですが、今更なのであまり深く考えないで書きます。アニメ版が手元にないので、基本的に原作準拠の話です。


以下、ネタバレ全開なので原作未読の方はご注意ください。Amazonとかで全巻ポチるといいと思います。




twitterでこんなハッシュタグを見かけました。





最初に思いついたのが、パトレイバーのバドリナート・ハルチャンド、通称バドのことでした。



皆さんよくご存知の通り、「機動警察パトレイバー」において、バドは敵陣営・内海さん率いる企画七課で、「グリフォン」のパイロットとして登場する10歳の少年です。当初、ゲーセンで超難易度レイバー体感ゲームをあっさりとクリアする、明るく不敵な天才少年として登場したバドですが、劇中、彼の数奇な境遇についても次第に明らかになっていきます。


原作後半において、ひとつのキー組織として描かれるのが、表面上は人材紹介サービスとして、裏では非合法の児童の人身売買組織として活動していた「パレット」です。パレットの朱永徳との会話などから、バドは内海の注文によってパレットで育成され、人身売買で内海に買い取られたことが読み取れます。


以後、バドに対する正常な教育の欠如(内海からの接し方、「ちゃんと大人になれるのかね」といったセリフなどから)、それに伴う罪悪感・倫理観の欠如、また彼の無意識的な?家族に対する愛情の飢え(女医に対する態度などから)などは、当初あっけらかんとした性格に見えたバドの描写を深めるにあたって、劇中後半の「パトレイバー」のダークな側面として現れてきます。


物語も終盤となる19巻では、黒崎のセリフなどから「用済みになって捨てられる」ということに強烈な恐怖感を覚えたバドが、企画七課から逃げ出し、主人公の野明の元に転がり込む展開があります。そこからのバドについてのキャラクター掘り下げ、そしてラストの「だってゲームやんか」というセリフに対する野明の反応などは、バドというキャラクターを端的に象徴するものだったといっていいでしょう。「ゆうきまさみの果てしない物語」などから読み取れる限り、ゆうき先生はコンピューターゲームについての親和性を当時あまりお持ちでなかったようで(競馬ゲームなどはなさっていたようですが)、「ゲーム漬け」という状況に対する警鐘のようなものも読み取れます。



最終的に、バドはアメリカの刑事であるブレディ警部の家族に引き取られることが野明への手紙で明かされ、大家族の中で愛情を受けられるハッピーエンドが暗示されてはいるのですが。



この設定、ゆうき先生にそういう意図があったかどうかはともかく、少なくとも当時の文脈としては「巨大ロボットに乗って戦う子ども」という設定に対するアンチテーゼとして動作していたなあ、と。



立ち位置的には、バドは「超強力なカスタムロボットの少年専属パイロット」であり、大人に伍する腕前の所有者でもあり、ライバル(野明)もおり、成長展開もありと、「ロボットものの主人公」としての登場でも違和感がない属性を数々有しています。


しかし、人間としてのバドは、「カスタムロボットを駆る天才パイロット」という属性の代わりに色々なものを欠落させています。


・家族、愛情

・正常な教育

・道徳観、倫理観

・企画七課以外の精神的な拠り所



こういう色々な「欠落」と引き換えにロボットものの主人公をやっているキャラクターって、全然珍しくないんですよね。「主人公に家族がいない」とか「主人公が孤児」といった設定のロボットものって凄く多いですし。「主人公が学校に行っておらず、特殊な教育を受けている」とか、教育場面自体が捨象されている設定とか、倫理観はともかく常識的な感覚が色々欠如している主人公とか、ここでは細かくリストアップしませんが、結構思いつきます。特に、「父母の愛情」とか「まともな、普通の教育」というものを捨象してるロボットものって凄く多いと思います。



「子どもが巨大ロボットに乗る」なんて設定を付与しようとしたら、他の設定で色々無理をさせないと全体の設定に無理が生ずるという側面はあるんじゃないかなあ、と思うんですよね。



機動警察パトレイバーという漫画においては、主人公は普通の大人であり、かつ警察官という職を持っている泉野明ですし、登場キャラクターも大部分は(多少性格にアクはあるとはいえ)まともな大人、まともな社会人ばかりです。また、野明や遊馬、進士といったキャラクターは、これも色々な形態があるとはいえ、「家族」というものもきちんと描写されており、来歴が捨象されません。子どものころどんな教育を受けてきて、それが性格形成にどんな影響を及ぼしているか、ちゃんとした大人の来歴として作中で描かれているんですよね。


要するに、パトレイバーの主要キャラクターは、設定的には非常に「地に足がついた」キャラクターばっかりなんです。普通の背景を普通に持っている。勿論そういう設定が細かく描写されないキャラクターもいますが(後藤隊長とか)



そういう、「大人が仕事として巨大ロボットのパイロットをやっている」世界観だからこそ、余計、バドという「少年パイロット」的なキャラクターの歪みがひとつのテーマになり得たのではないかと。この辺が、パトレイバーを「巨大ロボットに乗って戦う子ども」という設定に対するアンチテーゼとして捉える理由です。


1988年という当時、こういう設定をリアリティ全開で描写したゆうきまさみ先生は本当に凄いと思うわけなんです。



って、ここまで書いてきて思ったんですが、上記のような話って例えば作品インタビューとかで言及されたりしてましたかね?「大人が仕事としてパイロットをやっている」という設定についてのくだりは何かで読んだこともあるような。だったらすいません。



取り敢えず私が言いたいことをまとめておきますと、


・パトレイバー面白いですよね。

・バドは立ち位置的には「巨大ロボットものの少年パイロット」っぽい。

・でも色々設定がダーク。

・少年パイロットって設定自体無理があるよね、みたいなアンチテーゼとして読み取ることも可能かなー、と。

・パトレイバーは「ちゃんとした大人、ちゃんとした社会人」が主人公グループであるロボットものとして特異な立ち位置だったなー、と。

・ただしちゃんとした社会人としての太田さんの行動について若干の議論の余地があることは認める

・進士さんのサラリーマン感は異常。



全然まとめになってませんが、これくらいにしときます。いや、太田さんちゃんとした社会人だと思うんですけどね。勤怠非常にまじめだし。同じ職場だと疲れそうな側面もあるけど。


今日書きたいことはこれくらいです。





posted by しんざき at 10:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント

 はじめまして。そのタグを作った者ですが、シナリオ教室で主人公が物語に参加する動機とかを考えた時に、現代だとロボットアニメの場合、どんな社会的事情が反映されるのかな、というのがスタートラインでした。
 結果は見ての通り、かなり黒々とした内容に。
 方向性としては、妖怪ウォッチや承認欲求や生活のために、人殺しに手を染めるという意見が集められて、ほぼ満足です。
Posted by tyokorata at 2014年12月28日 16:22
はじめまして。
そういえばグリフォンも、レイバーは基本的に重機とか車輌とか言ってる中で飛んだりするわけで、夢っぽい存在ですね。
野明たちも当初は子供(二十そこそこの若造かつ組織不適合者)のようなものとして登場したので、成長して仕事人になれた主人公、子供のままの敵、という感想があります。

アムロ達はどっちかというと大人になりそこねた人々の話な気もするので、そこらへんの対比も面白そうです
Posted by at 2014年12月31日 14:51
最近、ゆうきまさみ先生と松浦だるま先生の対談記事を読み、ふと不倒城の記事を思い出し、パトレイバーを読み始めた者です。
すごいおもしろいですね。魅力的で多様な登場人物、近未来感、未来への暗示、ロボ、見やすい絵。
不倒城から日々、趣味の引き出しを増やしてもらっている感じです。
Posted by 人工物 at 2016年01月23日 20:43
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