2015年01月02日
不自由になっているのは、多分ブログやWebそれ自体じゃなくて
例えば私たちが普段使っているブログサービスだとか、例えば私たちの情報収集手段だとか、例えば書き手としての私たちであるとか、例えば私たちの観測範囲それ自体とか、そういうもんなんじゃないかなあ、と思うのです。
こちらの記事を拝読しました。
最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか?
特に反論とか意見提示とかではなく、上記の記事を読んで思いついたことを根拠なしに書きます。
箇条書きで言いたいことを書くと、下記の通りになります。
・id:orangestar先生の所感、ないし慨嘆は、感覚としては分かる。閉塞感みたいなものは正直感じる
・けれど、少なくとも私に関して言えば、多分観測者としての感じ方、あるいは立ち位置の問題なんだと思う
・昔のWebって、確かに野放しだったし、わけが分かんないものがたくさんあふれていた。楽しかった。
・けど、よく考えてみると、昔の自分が遊んでいた場所だって、別に「Webの全部」ではなかった。一部のブログとか、一部のニュースサイトとか、一部のWebサービスが重なりあって創り上げた、Webの一角。凄い広いけど、Web全体としてみればほんの一角
・そして、その後何が起きたかって、まずは「私、ないし私たちが遊んでいた場所にたくさん人が入ってきた」
・たくさん人が増えることによって、人目も増えれば、細かいことで騒ぎ立てる人も、よく分からない批評をする人も当然増える。
・多分、私が直接感じている閉塞感はこれが原因だと思う
・はてなにせよ、既存のWeb論壇にせよ、早い話使い込まれ過ぎてしまったのだ。観測されるインフラが整って、寸評を入れる人のインフラも整って、独特で傷つきやすい人は弾き出されるサービスになった。けれどそれ自体は、ただ「人が増える」というだけのことによって発生する当然の変化だ。
・特に、そういった場所で長いこと書き続けている人は、非常に衆目に捕捉されやすくなっている。閉塞感が出ない方がおかしい
・そして、根拠はないけれど、私の観測範囲の外で、Web界隈はまだまだまだまだまだまだ広がっているんだと思う。
・多分、私が知らないところで、また訳のわからないカオスな世界が広がり続けているんだと思う。人がいないWebサービスがいくつもいくつも発生し続けていて、中にはしぶとく生き残っているものもあるんだと思う。そういうところで、わけのわからないことを言っている人も、一顧だにされないテキストを書いている人も、多分いるんだと思う。
・そもそも、単に捕捉されていない、単に可視化されていないだけの人も、まだまだ山ほどいるんだと思う。
・けれど、多分、私は観測者としてそれについていけていないんだ。既にLINEすら世界としては古いけれど、私なんかLINEですら何が起きているのか、何が起きていたのかよく分からない。日本語圏を離れるとより一層分からない。
・「あるコンテンツが面白くなくなってきたと感じたら、まずコンテンツの質の低下ではなく、自分の感性の劣化を疑え」というのは金言だと思う
・Webってすごい広いよ。いい意味でも悪い意味でも。
・人が増えて自由が失われる、という側面もあるけれど、悪くない側面もあると思う。デマや、悪意だけで書かれた情報が撃墜されやすくなったりとか。野放しの頃は色々ひどかった
・昔のwebが、こういう事件を起こした世界だった、ってことも、私たちは忘れちゃいけないと思うんですよ
・そして、以上のことを踏まえて、私には三つの選択肢がある。
・「これではいかん!新しい世界をもっと開拓しなければ!」と奮起して観測範囲の外に飛び込むか、
・閉塞感と適当に付き合いつつ、今のエリアで過ごしていくか、
・多少でも過ごしやすくなるように、今のエリアを改善していくことに努めるか。
・どれがいいかなー。
・箇条書きとか言いつつ全然箇条書きになってないけど、言いたいことは大体言ったのでもうこれでいいや。
・今日書きたいことはこれくらいです。
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