2015年01月26日

「とにかく、待つ」と「とにかく、聞く」が、何故子育てで凄く大事なのか


結論を先に書くと、

・「感情に整理をつける」ということはどんな人間でも大変であって、特に子どもにはその練習をさせてあげないといけないから。
・「ちゃんと聞いてもらえている」「ちゃんと待ってもらえている」という認識は、自己肯定感の獲得の中で物凄く大事だから。


難しいことだけど大事だよなあ、と思うわけです。


子どもに限らない話なのかも知れませんが、ここでは子育てに限定した話として書きます。


しんざき家には、7歳の長男と、3歳の双子の長女次女がいます。以前から勢いがつくとおしゃべりが止まらない長男に加え、長女次女もえらいよく喋るようになりましたので、家庭内は超にぎやかです。

以前、お片付けをしない長男が怒られてへそを曲げてしまった時の話を書きました。この時、長男は、「頭では「片付けないといけない」とわかっているのに、感情が整理出来なくって意地を張ってしまっている」という状態だ、と私は推測しました。


私は、こういう時には、なるべく「とにかく待つ」を選択するようにしています。

既に「片付けないといけない」ということを説明されている以上、何度も繰り返して言い聞かせるのは、むしろ子どもの自尊心にとって逆効果だと思うから。大体の人にとって、「頭で分かっているのに感情の整理が出来ない」という状態で一番重要なのは、言葉よりもむしろ時間だから。

これって普遍的な話だと思うんですよね。大体、ある程度大きくなってきた子どもって、親が言うようなことは頭で理解してるんですよ。理屈で親が正しいことは分かる。けれど、感情がそれについていかない。時には、頭の中がぐるぐるして、言いたいことがまとまらない。そんな時、親ががーんと怒鳴りつけても、その場では無理やり親の言う通り行動するかも知れないけれど、納得して次に結び付けられるかというと、多分案外難しい。しんざき家の場合、下の長女次女はともかく、7歳の長男はもうそういう時期だと思います。


こういう時必要なのは、多分、「親が待ってくれること」なんじゃないかと。


私は、昔から割と気が長い方でして、一時間二時間ぼーっと待っているのは特段苦でもありません。そして、この「気が長い」という性格で今まで損をした記憶がないので、出来れば自分の子ども達にも、気が長い人になってくれればなあ、と思っています。少なくとも、「待つ」という行為に耐性がある、「待てる」子に育ってくれるといいなあ、と思います。


で、自分の育てられ方を思い起こすに、「待てる」ようになった一番の要因は、「とことん待ってもらっていたから」「とことん聞いてもらっていたから」だと思うんですね。


いや、勿論、ケースバイケースだったと思うんですよ。学校に行く前、電車での乗り換えの時、寝る時間が近い時、往々にしてせかされたことはあったと思うんです。ただ、本当に感情がこんがらがった時、言葉で無理やり納得させられたり、対話を拒絶されたりして理不尽な思いを味わった記憶が、振り返ってみると、無い。

普通、理不尽な思いをしたり、悔しい思いをした時の記憶って、相当に残りやすいと思うんです。それが、私の場合、親との対話でそういう思いをした記憶がないので、相当恵まれた育て方をしてもらっていたんだなあ、と。

私は比較的自己肯定感が強い、というかあまり根拠のない自信にあふれている方なのですが、その根っこにはそういう、私の親が私に対してしてくれた接し方もあったのではないかと思うのです。

だから、私も、自分の子どもにそういう風に接したい。


ちょっと前、はてなでこんな記事を拝見しました。

愚痴に具体的な助言をしたくなる理由

これも大事な話だなあ、と。

感情が整理出来ない時には、とにかく聞いて欲しいし、とにかく待って欲しい。そういう時に、言葉で無理やり納得させられても、残るのは理不尽な記憶だけなんじゃないか、と私は思うわけなんです。

で、そういう時に、「とにかく聞く」「とにかく待つ」を選択することが出来れば、子どもの「待てる」度合や自己肯定感にプラスの影響があるのではないかなあ、と。結局、「親が自分の為にどれだけ時間を使ってくれるか」って、子どもの自己評価に凄く重要な話だと思うんですよ。



いや、難しい話だと思いますよ。「待つ」「聞く」という行動は、時間も使えばエネルギーも使います。めっちゃ使います。

実際の所、日々の生活は時間に縛られるものでして、いつまでも子どもを待っていては、日常生活は運営出来ません。しんざき家でも可能な限り子どもは21時に寝せたいわけで、お腹が減った子どもにご飯を食べさせるにも、子どもが散らかした部屋を片付けたり片付けさせたりするにも、エネルギーは非常に必要なわけで、例えば日々3人の子どもと対決し続けている私の奥様なんか、更に一層の負荷を強いられてしまうことは想像に難くありません。

だから、何でもかんでも「待つ」のではなく、子どもの感情がこんがらがった、ここぞという時に「待つ」。


で、子育てってのは勿論両親の共同作業なんですが、こういう時の為にこそ、両親の内余裕がある方が、「待つ」「聞く」を担当出来ればいいなあ、私は可能な限り「待つ」「聞く」を補完していきたいなあ、と思ったりする訳なんです。

今後も、リソースが許す限り、「待つ」「聞く」を選択するよう心がけていきたい、と思います。いや、ご飯時にいつまでも食べなかったりしたらそりゃ急かしますが。


結論は最初に書いてしまったので、補足はこれくらいにしておきます。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 19:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
なんとなく、このサイトのことを思い出した。
https://www.1101.com/president/iwata-index.html
Posted by at 2015年01月26日 22:21
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