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私がラノベをバカにしている唯一の理由
私がラノベをバカにしている理由は簡単です、読んでいないから。それだけです。
読んでないくせにバカにするとか馬鹿じゃね?と思われるでしょうが、世の中のラノベをバカにしている多くの人はラノベを読んだことがなく、それでもバカにしています。
読んだことがないけれど、ラノベってハーレムで突然呪文を詠唱して、俺TUEEEEでラッキースケベを繰り返すだけでしょ、って思ってバカにするのです。読んでないけど多くのラノベがそうだと思っています。
率直に言いまして、「ラノベを馬鹿にするのは読んでないから」という点自体は、凄く的確だと私は思いました。なんかブコメとかtwitterとか見てると、色んな人に怒られてらっしゃいますけど。
ラノベ好きな方、記憶にありませんか。なんだか一部の作品のほんの一部分だけをあげつらわれて、ちょっと突っ込んでみるとなんか見当はずれ答えが返ってきて、「ああこいつ読んでねえな」と思ったこと。
私は、レトロゲームの幾つかのタイトルで、何度もそういう経験をしています。
世の中には、「知らないけど批評する」という人がいます。「触れてないけど、そのジャンル/その作品を頭から馬鹿にしている」という人がいます。彼らは、そもそもその作品に触れる必要を感じません。けれど、その作品のアラをあげつらうことが出来ます。
何故かというと、彼らの大半は「批評の追随者」「二次批判者」だからなのです。
二次批判者は、大体の場合こういう経緯で発生します。
1.「読んだ人」「遊んだ人」が、その作品の瑕疵・アラ的な部分を含んだ批評を書く(一次批判者の発生)
2.当該批評の内、アラ的な部分がおもしろおかしくクローズアップされる(一次批判者自身がおもしろおかしく批評する場合もある)
3.2のあげつらわれた部分が拡散される(一次拡散者の発生)
4.3を読んだ人達の間で、作品に対するイメージが醸成される
5.当該イメージに基づいたあげつらいを表出する人が出現する(二次批判者の発生)
かつて、例えば「スペランカー」とか、「バンゲリングベイ」とか、「たけしの挑戦状」といったレトロゲータイトルで、上の1〜5の経緯が実際に何度も展開されたことがありました。その頃は、一次批判者は一部のテキストサイトで、二次批判者は2ちゃんねる等で隆盛していました。
これは私見ですが、現在、一次批判者は主にブログで発生しており、二次批判者はまとめサイト等からtwitterなどに主に波及しているような気がしています。特にまとめサイトの影響がかなり大きい気がします。
批判は、それ自体、確かにコンテンツになり得ます。的確な批判は非常に有益ですし、決して的確ではない批判だとしても、「面白おかしくあげつらう」というテキストを上手く書くことが出来る人も、そういったテキストを好む人もいます。
そういったテキストがなまじ面白おかしいばかりに、多くの二次批判者がその尻馬に乗ってしまう。それが積み重なって、その作品自体、そのジャンル自体に対する幅広い偏見が出来上がってしまう。そういう側面、実際にあると思うんですよ。
「ラノベが馬鹿にされている」という認識が正しいとしたら、起きているのはそういうことなんじゃないかと。
そういう「作品に触れていない批評、あげつらい」が正当なのか不当なのか、と言われれば、確かに不当だと思います。読んでないのに馬鹿にする、なんて連中、そのジャンル、その作品のファンにしてみればたまったもんじゃないですよね。
けど、「そういう層が幅広くいる」ということ自体は、端的に言って「当然の前提」として認識しなくてはいけないと思うんですよ。
「あるジャンルが馬鹿にされているかどうか」なんて、なかなか定量化出来る話ではないとは思いますが、それを承知で頑張って考察するとしたら、まず「馬鹿にしている人達は誰なのか/どんな層なのか」という考察が必要でしょう。勿論なかなか統計がとれる話でもないとは思いますが、「馬鹿にしている人達の中には、そもそもその作品に触れていない人がかなりの数いる」というのは当然の前提ですし、その前提を敷いていないと考察自体が的外れになりかねません。そういう人達について、コンテンツの内容が云々言うのはそもそも意味がないと思うんですよ。
「批判の追随者」の大部分は、突っ込むと逃げます。ないし、「読んだ振り」「観た振り」「遊んだ振り」をします。だから、普段、彼らの存在はなかなかきちんと可視化されません。
そういう意味で、冒頭のブログ主さん、色んな人に怒られてますけど、偉いと思うんですよ。防御線も貼らないで「私は読んでないけど馬鹿にしてます」なんてなかなか言えたもんじゃありません。皆は、勇気ある内部告発者に敬意を表するべきです。
と思ったら追記で防御線貼られてますね。ちょっと残念です。ブログに防御線が不要な世界がきて欲しい。
なにはともあれ、私が以前から言いたいのは
・批判したり馬鹿にするんなら、ちゃんと読んでからするのが礼儀だよね
・けど読んでないのに馬鹿にする人もたくさんいるよね
・読んでないのに馬鹿にすると怒られやすいよね
・動機が「馬鹿にしたいから」でも全然かまわないから皆読もうぜ!買おうぜ!是非とも!
ということだけであって、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。
今日書きたいことはそれくらいです。
以下は関連エントリー。
「批判」が求める最低条件。
「クソゲー」をけなすんなら、自分で遊んで、自分の言葉でけなすべきだよね、と思った
というのと
ラノベってバカが読むものだしつまんないよね(読んでないけど)
に大した差はないよね
作品を気に入ってる人の気持ちを考えたことあるんですか安易に批判しないでください!って言われる。
それはなぜか。当然、重大な欠陥が本に有るから。
以前から常々思っている、ラノベが非難の対象になる大きな理由の一つとして
「作者の願望が多分に含まれていて、単なる自己満足の道具にしかなっていない」
様な作品が沢山あるという点じゃないでしょうか
これが一番デカいかと
「『実在する元記事の読まずに批判してる人間に関する記事』」を読まずに批判するコメント」が付くあたり
いかに的確な(批判者にとっては目を背けたい)話なのかがわかりますね…
自分も読了したラノベは有名どころいくつか程度だけどラノベ全般たいしたもんじゃないと言って憚らない人間なので割と耳が痛いですが。
読んでしまう、ひいては多少なりともファンになると言うことはそれが「守る物」になってしまうことでもあるわけで、
やはりもの叩きにおいても攻めるだけの位置にいる守る物のない無敵の人にいようとするということなのでしょう。
アンチが居るってことは人の目を引くナニカや
人気があるモノなんだなって
思うようにしています。
叩いているレベルが低ければ低いほど、
スゴイんだなぁって。
あと、ナニカを嫌いになるってスゴイことだと思う。
もう興味すらわかないもん。
コレって若さだよなぁ。幼い意味でも。
ほんとですよね。
読まずにorプレイせずに馬鹿にする。ってのもひとつの接し方ですし、また、その馬鹿にされるラノベなりコンテンツも、世間で馬鹿にされているのはわかっていつつ、俺はそれでもこれが好きだ。そんな俺が好きだ。という一種のマゾ的な楽しみもありますよね。馬鹿にされて欲しい。みたいな。
だって、スペランカーは優秀なアクションゲームです。って世間に認知されたら、それはそれで残念ですよね。あ、でもそうなりつつありますね。。
まとめブログのJPOPを小馬鹿にするような記事を読んで得た情報だけで
殆ど聞いたことない西野カナとかを馬鹿にしてそう
ライト派・ライトじゃない派
の対立があります
つまり犬派と猫派、キノコ・タケノコ、ライトボウガンとヘビィガン、etc。
犬猫両方飼ってみたけどやっぱ猫最高!!
なんて人は圧倒的少数派です。カテゴリーが分かれてれば批判が出るのは自然な事であり、ライトじゃない派が多数なのでラノベ否定意見が多いのは当然な事だと思います。
記事じゃそれでも良いと言ってるんだけど実際荒れるだけで正直何のメリットもない事なんだけどね。
「叩ければ何でも良い層」の多さはもっと意識されるべき。