2005年06月05日

レトロゲーム万里を往く その33 〜鬼子・ファミリーベーシック〜

ファミリーベーシックは、本来PC移植モノ用のコントローラーであった、という。

順番に話そう。そもそもファミリーベーシックとは何かというと、1984年の6月に発売されていたファミコンの付属機器である。ファミコンが発売されたのがその前年の3月だから、ファミコン全体の歴史としてみれば初期も初期だ。

価格は14800円。値段はファミコン本体と変わらないというのだから、位置づけとしてはかなりの高級機だ。本体以上に大きな箱に収められており、セット内容はファミコン同様の配色を施されたキーボードとRAMカートリッジだった。

カートリッジを一般のカセットと同様にファミコンに刺し、キーボードをファミコンの拡張端子に差し込んで電源を入れると、ドンキーコングやスーパーマリオとは似ても似つかぬ「ファミリーベーシック」の画面と機械音がプレイヤーの眼前に現れる。キーを叩くと、画面には突如としてファミリーベーシックの言葉が語られ始める。「ワタシハ ファミリーコンピューターデス ドウサヲ カイシシマス」

そう、このファミリーベーシックは、通常のゲームとはまったくその意味を異にした、ファミコン環境における開発ツールだったのである。


と、歴史の時間ここまで。正直、知っている人ぁ知っているし、知らない人は私の説明など読んでもぴんと来るまい。とにかく、「君のうちでマリオが動く!」だとか、「君オリジナルのゲームを作ろう!」とか、まあなんだかそーゆーゲーム少年達の夢をくすぐる甘酸っぱいうたい文句と共に、ファミコンに繋ぐキーボードと割とスマートというかスモールなBASIC言語の開発ツールがくっついた、「ぴゅう太」さながらのおもちゃが発売された、と認識して頂ければ十分だろう。

まず、このベーシック自体の話からは一旦離れる。筆はここに至って冒頭に戻る。そもそも、このベーシックの企画が立った理由について。


ファミリーベーシック誕生秘話、の様なもの

最初に断っておかなくてはならないのだが、この話、情報ソースが曖昧である。確か遥か昔に何かの雑誌のインタビュー記事で読んだ筈なのだが、細かいところをよく覚えていない。むしろ既に一般常識だったらどうしようかと戦々恐々としつつ、話半分として聞いてもらいたいのだが、本来企画段階ではベーシックは飽くまで「入力デバイス」でしかなかったというのである。

以前ポートピア連続殺人事件について書いた時にも触れたが、もともとPC版のアドベンチャーゲームは、「コマンド」を自分で打ち込んで進めていくものであった。「シラベル ツクエノウエ」とか、「open door」とかいうコマンドを自分でキーボードから打ち込まないとゲームはクリア出来ないものだったのである。故に、ファミコンにおいてアドベンチャーゲームを発売するには、そもそもキーボードがないことには移植のしようがない、という見解が最初にあった。

無論この時点でポートピアは発売されていない(1985年11月)し、そもそもファミコンソフトの製作自体がまだ手探りの状態で、AVGなど発売のしようがなかったのではあるが。それでもファミコンの初期キラーソフトが「ドンキーコング」や「ゼビウス」「パックマン」などの移植勢で占められていたことを考えると、「ミステリーハウス」などでパソコン市場にシェアを確立していた様々なAVGの移植にはかなりのニーズがあったのだろう。任天堂は入力デバイスの問題を解決しなくてはならない。

で、その解決法としてファミコン黎明当初から用意されていたのがこの「ファミリーベーシック」のキーボードだった、というのである

ところが、いざ開発を始めてみると、単なる入力デバイスにするにはいろいろと無理が出てきた。スペースもとるし、価格を抑えることもなかなか難しい。なにより、肝心のAVG自体まだファミコン市場には影も形も見せていない。

で、そんな折に任天堂の開発者に「コマンド選択」というアイディアを披瀝して、えいやっと開発を方向転換させたのが他ならぬ「ポートピア」の堀井雄二だったというのだが、ここまでくるとちょっとマユツバである。正直どこまで信用したらいいものかよくわからない。とはいえ、キーボードが当初はAVGとの連携を企図して開発されたこと、それが途中で方向転換して「ベーシック」という開発機能を付与されるに至ったこと、最終的にAVGとの連携は完全に立ち消えになったこと、くらいまではどうも本当っぽく思え、「AVGとの連携」にとどめをさしたのがポートピア連続殺人事件であったとしてもそんなに不思議ではない。とすると、」「ファミコン用キーボード」の路線転向を確定したのは確かに堀井氏であった、ともいえるのかも知れない。


で、この「ベーシック」では何が出来たのか。

占いが出来た。ああ、後計算機能とメッセージボードと音楽機能もついてたな。

いや、実際のところ「ファミリーベーシック」が持っていた開発能力というものは、けっこーどすげえポテンシャルをもっていた様で、途轍もないプログラミング能力を見せたユーザーというのも存在した。他所様を参照させて頂くと、例えば下記のページを見て頂きたい。ページ下部、「ビュンビュンレーザー」の項など。

http://www2.tky.3web.ne.jp/~yosshin/famibe/
ファミベー上でのゲーム作成。 困難に次ぐ困難。そして開発着手から 1 年。
自作アセンブラ上で動くソース 20 本を「ピーガー」と再ロードするという むちゃな構成になってしまったものの、ついに完成!
ファミコン至上初の真っ当なレーザーを実現!

多分褒め言葉として受け取って頂けるだろうとは思うのだが、率直に言って正気の沙汰ではない。なんですかこのグラディウスは。人間の能力の極北というものを痛感させられる。

細かい技術論などはリンク先のお話を参照して頂きたい。特に「 メモリはこうやって稼げ 」の項など、「ここまでやるか」という言葉が口をつくことを禁じえない。

まあ最終的には(かなり無茶をすれば)上の様なゲームを作ることも可能な開発ツールであった訳なのだが、当時「君のゲームを作れ!」の言葉に釣られてベーシックを購入したお子様ーズの中で、その様な境地に達し得た子供などおそらく1%もいるまい。(私も含め)殆どの子供達は、プログラミングとグラフィックツールという途轍もない深さの世界を前に成すすべもなく、ベーシックマガジンや「わかる本」のサンプルプログラミングを2時間かけて打ち込み、マリオがコントローラーに反応して移動すれば大喜びし、バグが出ては深刻に眉ねを寄せて画面とにらめっこする、という程度の活用法しか出来なかったのではあるまいか。

アキレスが画面の右から左へすーーっと駆け抜ける、「だから何だよ!」とRPGツクール畑の青年は叫ぶかも知れないが、歯ぁ食いしばれ小僧。お前な、DEF SPRITEとかDEF MOVEとかマニュアル読みながらてこてこ打ち込まなくちゃいけなかった気分になってみやがれこの野郎。レディが落とし穴に落ちた時は感動で泣きそうになっちゃったよお兄さんは。

いや、これはこれで大変楽しい遊び方ではあって、ここでBASICというプログラミング言語に触ったことを原体験にもったプログラマーも少なくはない訳である。彼らはCやJAVAといったツールに出会うにしたがって、途方もないメモリ空間に大喜びして盛大に無駄遣いに走る様になった、かどうかは知らないが、アルゴリズムとかメモリ管理といったプログラミングのテクニックをここから学んだ人だっていた筈だ。

とはいえ、やはりどこまで言っても「マニア用」という敷居の高さを払拭することは出来ず、それは「V3」というグレードアップソフトの出現を見た後も変わらなかった。最終的にはベーシックは、万事の付属機器と同じく「箱から出すのが面倒」という省エネ思考に打ちのめされ、押入れの肥やしになっていく機体が大半、という状況になっていった訳である。

冒頭に紹介したエピソードが真実であったとして、もし「AVGの標準入力ツール」という座を確かなものにしていたら、一体ベーシックの立場というものはどうなっていたかと。そんな不可能事になんとなく思いをめぐらせてみた今回の万里な訳でした。おしまい。


最後になるが、ファミリーベーシックの歴史・技術的なデータなどに関しては、こちらのページが大変にお詳しい。
http://www.wizforest.com/OldGood/FamiCom/
興味がある方は是非ご参照されるべきだろう。不倒城のえー加減コラムなど鵜呑みにしてはいけない。


posted by しんざき at 02:17 | Comment(4) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
中古屋の店頭にならんでましたよ
買うべきか それが問題だ
Posted by めあ2 at 2005年06月09日 20:35
買うしか。迷わず買ってアイスクライマーを組むしか。

それはそうと、最近ネットでベーシックのサンプルプログラムを何故か大量にみかけますですよ。いったい何故。
Posted by しんざき at 2005年06月11日 19:33
古い記事にコメントするのもアレですが色々思い出したのでつい。
高校生時代の友人が購入し「プログラム書けるんだろ?どうやって遊ぶか判らないから遊びに来てゲーム作ってくれ」と言われました。
自分も興味有ったのでその日は朝から出かけ川下りとかドットイート系のよくある短いプログラム組んであげたら
「もっと面白いゲーム出来ないの?」
と言われてそれには色々時間がかかる事を説明して何でも出来るのだと思ってた友人を失望させた思い出が蘇りました。

なんの事は無い。
当時から顧客(友人)に対して受託開発と開発期間に関しての説明をしてしてたんだなぁと(笑)
Posted by きゃべつ at 2011年10月02日 20:42
>きゃべつさん
それは、いろんなSEの原体験になっていそうな体験ですね…

仕様が明確になっていない開発に苦しめられるのは、遥かファミコン時代からの教訓でした。
Posted by しんざき at 2011年10月11日 19:12
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