すいません、かなりの長文です。
昨日、子どもたちと奥様を連れて、8年ぶりくらいに映画館に行ってきました。
目当ては、長男(7歳)が「みたい!ドラえもんみたい!」と熱烈リクエストしていた、「映画ドラえもん のび太の記宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」です。長男は、ここ最近昔の劇場版ドラえもんを観まくっていることもあり、ドラえもん熱はかなり上がっていた状態。特に先日テレビで放映した「新大魔境」がお気に入りの様子でした。
三歳の長女次女にとっては、これが人生で初「映画館で観た映画」の体験ということになります。ジブリ美術館のミニシアターには行ったことあるんですけどね。
で、結論としまして、子どもたちは「おもしろかったー!」「おもしろかったねーーー!」「またみたい!」の大連呼で大変満足していたようで、しんざき家としては全く不満のない内容でした。
長女次女については、最後まで我慢できるかなー、途中退出必要かなー、などと心配していたんですが、映画が面白かったこともあり、意外と大丈夫だったようです。途中ちょっと怖がっていた部分もありましたが、私や奥様にだっこでなんとか乗り切っていました。
で、子ども達が楽しめたので全体的には特に文句もないんですが、私と奥様については、後程色々意見交換をしまして、「もうちょっとこうしていれば我々ももっと楽しめる映画になっていたのでは」というところで意見の一致をみました。
以下エントリーは、しんざき視点での、「もうちょっとこうだったらもっと(私が)面白かったのになー」という妄想を含んだ感想です。
映画本編ネタバレを含む為、一応折りたたみます。観覧予定のある方はご注意ください。
まず前提として、しんざきのドラえもん歴は
・原作漫画版はプラスも含めて多分大体読んでいる
・大長編は、日本誕生くらいまでは一通り抑えており、その後休止期間を経て、子どもの影響でひみつ道具博物館辺りから復帰
という感じでして、ここから外れている部分(特にアニマル惑星以降の大長編)についてはよく知らない、ということを事前にお断りしておきます。
書きたいことは以下の三点になります。メインは1で、2と3はおまけです。
1.折角ドラえもんの道具使用に制限がないのだから、逆転のカタルシスの為に、最後の戦闘でもうちょっと総力戦感が欲しかった。また、それに関連して、敵の幹部の退場はちょっとあっさりし過ぎだったのでは(特にメーバとオーゴン)。
2.のび太の能力についてもうちょっとフォローや説明が欲しかった。
3.空気に流されず、(弱音という形で)冷静な視点を提示出来るスネ夫の存在は貴重。超貴重。
順番にいきます。
1.折角ドラえもんの道具使用に制限がないのだから、逆転のカタルシスの為に、最後の戦闘でもうちょっと総力戦感が欲しかった。
以前から私が何度か書いているテーマとして、「まさかのカタルシス」と「流石のカタルシス」というものがあります。
エリア88に見る、少年漫画的「さすが」というカタルシス または「最初から強い主人公」のお話
まさかのカタルシスというのは、早い話「ピンチ・マイナス状態からの逆転の気持ち良さ」。流石のカタルシスというのは、「強いキャラが期待通りの活躍をする気持ち良さ」。この二つがどう演出されるのか、というのは、子ども向けコンテンツにおいて非常に重要な要素だと思います。この二つは、どちらかに偏る場合もあれば、複合される場合もあります。
で、戦闘シーンありの大長編ドラえもんにおいて、このカタルシスはどう演出されるのかというと、大きく二つのパターンがあると思います。
・ドラえもん、ないし周囲のキャラクターが、ドラえもんのひみつ道具を使って技術差を背景に大活躍(いわゆる俺TUEEEE)をする「流石のカタルシス」
・のび太、ないし周囲のキャラクターが、ピンチに陥ってから何らかの手段(ひみつ道具である場合もあれば、そうでない時もある)で大逆転をする「まさかのカタルシス」
で、ドラえもんのひみつ道具は大体においてチート級の性能を持っているので、普通に使うと「流石のカタルシス」に傾斜することが多いです。
そこで、戦闘シーンありの大長編においては、「ピンチからの逆転」のカタルシスを演出する為に、
・「何らかの事情で、ドラえもんのひみつ道具が使えない、ないし使用に制限がかかる」
・敵の戦力、ないし科学力が十分に大きく、ひみつ道具を使っても優位になれない
というパターンのどちらかがしばしばみられます。
前者のパターンは、例えばジャイアンがひみつ道具を空地に置いてきてしまった「大魔境」や、スモールライトから元に戻れなくなってしまった「小宇宙戦争」、ポケットが盗まれる「ドラビアンナイト」、物語の土俵自体が変わってしまった「魔界大冒険」などが代表例かと思います。こちらのパターンでは、制限が解除されてから圧倒的な大逆転が始まり、「流石のカタルシス」に傾斜するのが王道展開です。
後者のパターンは、ドラえもんより未来から来た相手が敵だった「日本誕生」や、敵の圧倒的な物量を背景にした「海底鬼岩城」「鉄人兵団」辺りがその代表例になると思います。
個人的には、特に「海底鬼岩城」でのピンチ演出の記憶が濃く、この作品ではひみつ道具の使用に一切制限がない全力戦闘だったにも関わらず、アトランチスの圧倒的な戦力の前に、ドラえもん側の主要キャラクターが全滅してしまいます。そのピンチがあったこそ、ポセイドン相手のあの大逆転になる訳なんですが、まあそれは一旦ここでは置きます。
で、今回の「宇宙英雄記」なんですが、ちょっとばかりこの「逆転のカタルシス」が中途半端だったように思うのです。
「宇宙英雄記」のストーリーは、「宇宙開拓史」や「小宇宙戦争」と同様、伝統的な「よその星に乗り込んで悪者撃退」系です。相手はポックル星に入り込んだ宇宙海賊でして、のび太達はこの宇宙海賊と戦うことになります。
で、彼らと戦うに際して、一応ピンチや強敵演出もあるのですが、いまひとつピンチ感が薄いのです。
・のび太は、ヒーローバッチが外れてコスチュームを失い、宇宙海賊の女幹部「メーバ」に囚われてしまう
→あっさりとドラえもんと合流。バッチもドラえもんが回収済
→メーバは、しずかちゃんの必殺技を一回食らっただけで特に見せ場なく退場
・宇宙海賊の幹部「オーゴン」に力負けして敗れ、海賊に囚われるジャイアンとスネ夫
→囚われた際には上記ののび太といっしょくたの場所で、まとめてドラえもんに救出されてすぐ戦線復帰
→一回目の登場で折角オーゴンの強さがクローズアップされたのに、取り立ててジャイアンの対策やパワーアップの演出はなく、終盤かーちゃんビンタでオーゴンを圧倒してあっさり勝利
・のび太は終盤、一人っきりで敵海賊の首領と対峙
→首領、最初だけのび太を攻撃するが、後は勝手に弱ってあやとりを連発するのび太をシカト。
→最後は謎の力に目覚めたのび太に攻撃されて敗れる
・敵海賊の戦力が、そもそも上記幹部と多少の戦闘員以外に殆ど描写されない
諸事情で今回の戦闘にはタイムリミットがあるのですが、そのタイムリミットについても、二晩ばかりゆっくり休息をとっておきながら、最後の最後に「あと10分」的演出がされてもいまいち緊迫感がありません。
つまり、
・「逆転のカタルシス」を企図したっぽい舞台立てでありながら、ピンチが薄くっていまひとつカタルシスが感じられない
・ひみつ道具使い放題の筈なのに、相手の戦力描写が少なく、総力戦感がいまひとつ感じられない。幹部も竜頭蛇尾感が強い
という二点を、私は物足りない点として感じたのです。
今回、折角ひみつ道具の使用にも特に制限がない舞台だったのだから、
・宇宙海賊はもっと三枚目な存在に徹して、特にピンチの演出はせず、「流石」のカタルシスの方に重点を置く
ないし、
・もっと宇宙海賊を徹底的に強力にし、総力戦の後の大逆転、的な展開で逆転のカタルシスを演出する
のどちらかに傾斜させていれば、より明確に爽快感があるお話になったんじゃないかなーなどと考える訳です。この辺、序盤の映画作成の部分がちょっと尺をとり過ぎて、後半が駆け足になってしまったことも一因なのかも知れません。
個人的には、海賊の親玉のビジュアルもあんな感じだった訳ですし、それこそ海底鬼岩城並みの無理ゲーからの、バーガーくんがバギー的立ち位置で大逆転、みたいな演出にしても良かったような気はします。
あと、今回のお話は色んな点で「宇宙開拓史」と相似しているのですが、漫画版「宇宙開拓史」のギラーミン戦のような、緊張感がある演出が幹部戦でなされても面白かったかも知れません。ギラーミン閣下は漫画版限定でお願いいたします。
まあこれらは私の好みなんで、子どもの好みからするとどっちがいいのかよく分かりませんが。
後はおまけ。
2.のび太の能力についてもうちょっとフォローが欲しかった。
劇中、「ヒーロースーツ」の効果によって、ドラえもん一行にはそれぞれ、特技を強調した能力が付与されます。ドラえもんは石頭。ジャイアンは怪力。スネ夫はプラモのエピソードを流用した機械いじり能力、しずかちゃんはお風呂好きをルーツとした放水能力、という感じです。
主人公ののび太はどうなのかというと、特技「あやとり」をクローズアップされ、手から糸が出てくる演出はあるのですが、劇中ほぼ最後の最後まで、能力を有効に使うことが出来ません。役に立ったのは進行中はほぼ一回、のび太が井戸に落ちた時アロンに居場所を知らせる点だけで、後は文字通りあや取りをするくらいにしか使えません。
で、劇中最後の最後、海賊首領との戦いでいきなりのび太の能力がパワーアップし、電撃とも見える糸の攻撃が首領に襲い掛かるわけなのですが、ここでの演出についても若干物足りない点があります。
・首領との戦闘シーンでまでのび太が能力使用に四苦八苦し、あやとりをやっているところをシカトされてギャグシーンになってしまっているので、首領の立ち位置的に緊迫感を失わせる一因になってしまっている
・最後の能力覚醒の明確な理由づけがなく(一応、許せない!と感情を爆発させる裏付けはあったが、それが能力に及ぼす理屈づけもない)、非常に唐突な感を受ける
いや、「主人公が最初は能力を使いこなせないけれど、覚醒すると超強力」というのは、それはそれで王道展開なんで全然悪くはないと思うんですよ。
ただ、その展開を生かす為には、本来下敷きになる描写が必要です。たとえば、「一見ダメな能力だけど、本人も気づかないままに強力な効果を発揮した形跡があった」とか。何回か段階を踏んで、段々強力な能力に進化していく過程があるだとか。こういった描写が無いと、覚醒が凄く唐突なものになってしまうんですね。
もしかすると私が気付かなかった可能性もありますが、作中、のび太のあやとり能力に、上記のような「強力な能力の片鱗」を示すような描写はありませんでした。
個人的には、最近糸で戦うキャラなんて山ほどいることでもありますし、物語中盤くらいでのび太の能力に戦闘力を付与してあげてもよかったようには思います。ちょっとした工夫だけで最終盤ののび太覚醒が唐突じゃなくなると思うんですが、惜しい。
あと、関係ないですが、のび太はあやとりについては天才的な才能を持っている筈なので、ホウキやハシゴくらいでドヤ顔してるのはなんかおかしくね?とか思いました。いや、別にいいんですが。
3.空気に流されず、(弱音という形で)冷静な視点を提示出来るスネ夫の存在は貴重。超貴重。
物語の佳境、一度のび太やジャイアンが海賊に敗北した後、スネ夫がこんなセリフを言う場面があります。
「ぼくたちは映画の撮影をしていただけなんだ!」
「普通の子どものぼくたちが宇宙海賊なんかに勝てるわけないじゃないか!」
劇場版スネ夫恒例の弱音ですね。で、これも恒例の通り、ほっといて帰ることを主張するスネ夫を、ジャイアンやしずか、のび太が勇気ある発言をして、スネ夫も最後には説得される訳なんですが。
これ、冷静に、客観的に考えるとスネ夫の発言100%正しいと思うんですよ。
宇宙海賊に敗北した後ですよ?ドラえもんに救出されてなんとか難を逃れた後だとはいえ、海賊がヌルくなければ本来殺されてても全くおかしくなかった状況の筈です。それなのに、空気に流されるまま「頑張って皆の笑顔を守り抜こう!」とか結論が出るのはどう考えてもおかしい。本来、敗北後には敗北の原因分析と、改めての戦力比較が必要になる筈なのです。
発言としては「冷静な諌言」というよりは泣き言に近かったですが、「一旦立ち止まって考えよう」的な方向の言葉としては、誰かが発言しなくてはいけない言葉だった、といっても良いのではないかと思います。
うちの長男なんかは、スネ夫の発言について批判的でしたけれど、こういう「総意に逆行する弱気な発言」っていうもの、口にすること自体十分勇気が要ります。そういう意味で、スネ夫は十分勇気ある発言をしているんです。
まあ、このお話的には、最終的にドラえもんの道具がチート能力を発揮してなんとかなってしまう訳なんですが。それにしてもスネ夫えらい。我々はスネ夫に対して再評価が必要。
物語的にも、この発言がなければアロンはのび太達について誤解したままだったこともある訳ですし、大人になって冷静に見てみるとスネ夫って結構重要なポジションのキャラクターだよなーと。子ども視点と大人視点で一番評価が変わるキャラって、もしかするとスネ夫なのかも知れません。
と、随分長くなりました。最終的に私が言いたいことは、
・ポックル星の誰もいない遊園地でジャイアンたちが遊びにいってしまった後、怒るドラえもんを前に「私も一度遊びたかったの」と照れるしずかちゃんがかわいかったです
という一点だけであって、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。
以上、よろしくお願い致します。

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かなりの高性能とはいえ、ほぼヒーロースーツ(映画用の小道具!)だけで戦いきってしまうという。
ことのび太なんて、仮にも作品中で「射撃が得意」と自己申告しており、なおかつあやとりが役に立ってない自覚もあるのに、なぜかドラえもんから武器を借りない。
またドラえもんがのび太のための道具を出さないのも、特に理由がなくて冷静に考えてみると不自然。(スーツを活用できていないのび太は、命の危機に晒され続けていたことになる)
海賊があんまり強くなかったこと自体は、総合的に見たらむしろ納得でしたけど。ドラえもんが、気を抜いてても危険は少ないと判断した(と、思われる)相手ってことで。
きちんと悪い奴らではあって、なおかつそこまで図抜けて強いわけでないことの説得力も有してはいましたし。
のび太のあや取り能力活用が唐突だったのは、同じく残念だった点です。あれだけ引っ張っておいて、実際の活躍は恐ろしく地味。しかも根本的な解決にまるで寄与していない(敵ボスは最初から弱っていた上に倒せてすらおらず、ついでに目撃者もいない寂しい活躍)。覚醒した結果が「超強力」ですらないんですよ、印象的には。
おそらく作品テーマとしては、「アロンに居場所を知らせる」シーンの方こそ「糸」能力の真価としたかったのでしょうけど。今回のび太は一貫して、「優しさ」担当だったようですし。(とはいえ、実戦がひたすら無意味なあや取りし続けるばかりでは説得力が……)
ただ、これだけケチつけておいてなんですが、今回、むしろ総合的には完成度の高い映画であったのも確かかと。
露骨に目につく破綻はなくて、全体的にお話自体も演出・描写も丁寧で、その上からなおかつ、観劇中に飽きる子供をほとんど出さないという偉業まで成しとげていましたし。
……途中で騒ぎ出したり退席していく子供がここまで少ない映画、私はたぶん初めて見ました。
そしてついでにスネ夫の指摘は、確かに大切だったと思います。
実のところスネ夫も戦力面ではほとんどまともな貢献してないのだけど、でもあそこであの指摘をしたのは、かなりのお手柄でしたよね。
アロンへのばれ方としても、体勢の立て直し方としても、更に決意を固めるきっかけとしても、ベストに近いタイミングと切り出し方だったわけで。
スネ夫自身が意図したのとは、全く違う結果でしょうけど。だからこそ、余計にいいとも言えますし。
けっこう持て余されがちなポジションであるスネ夫を、きちんとスネ夫らしい姿で活用してるという意味でも、今回のシナリオはなかなかに秀逸でした。
すいません今更のコメント返しで。
>今回、むしろ総合的には完成度の高い映画であったのも確かかと。
同感です。子どもも非常に楽しんでいましたし、絵の見せ方も素晴らしかったですよね。