2015年05月29日

児童小説「だれも知らない小さな国」シリーズ(特に二作目)が何故超面白いのか、今から皆さんに説明しようと思います


どうもしんざきです。


先日、こんな記事を拝見しました。






こちらに書いてあることはその通りで、佐藤さとる先生の「だれも知らない小さな国」とそのシリーズ作品は超面白い訳なんですが、上記記事ではそこまで内容までは踏み込まれていない為、「小さな国」シリーズを全巻所持している上寝物語に長男に読み聞かせている私が、ちょっと書き加えてみたくなりました。



ちなみに、しんざきの好みで、超面白い児童小説、及び児童小説シリーズを10作選ぶとしたら以下のようになります。小学校中学年〜高学年向けくらいの作品が多いですが、基本どれも、今大人が読んでも面白い作品ばかりだと思います。



・はてしない物語(ミヒャエル・エンデ)

・ゲド戦記 三巻まで(ル=グウィン)

・「だれも知らない小さな国」シリーズ(佐藤さとる)

・エーミールと探偵たち(エーリッヒ・ケストナー)

・飛ぶ教室(エーリッヒ・ケストナー)

・こまったさんのスパゲティ(寺村 輝夫)

・船乗りクプクプの冒険(北杜夫)

・ドリトル先生の動物園(ヒュー・ロフティング)

・火曜日のごちそうはヒキガエル(ラッセル・E・エリクソン)

・「マガーク少年探偵団」シリーズ(エドマンド・ウォレス・ヒルディック)

・ルドルフとイッパイアッテナ(斉藤 洋)

・二年間の休暇(ジュール・ベルヌ)

・よわむしおばけ(わたなべめぐみ)

・二分間の冒険(岡田淳)


10作より多く見えるって?細かいことは気にしない方がいいです。



今更細かく書くまでもない著名作・傑作ばかりではありますが、上記10作についてはまた色々書くとして。




まずは一作目、「だれも知らない小さな国」について軽くお話したいと思います。多少ネタバレが混じります。



○それは、日常の中に平気な顔して隠れている、小さな小さな非日常のお話。


まずこれを言わないと始まらないと思うので書きますが、「だれも知らない小さな国」シリーズは、小人たちと、彼らと心を通わせた人間たちとの絆の物語です。



「だれも知らない小さな国」という物語の舞台は、戦前〜戦後間もなく、今よりもだいぶ森や林が多かった時代です。


物語導入時、主人公である「ぼく」は、小人の存在を知りません。ひょんなことから素晴らしい遊び場である「小山」を見つけた「ぼく」は、同じく偶然の積み重ねで、その小山に伝わる小人の物語を知り、やがて小人の存在を追い求めるようになっていきます。


物語の序盤のテーマが、「主人公は、どうやって小人たちと出会うに至るのか」ということである点については議論を俟たないでしょう。ただ、この時の描写が本当に、「ぼく」が普段過ごす平凡な日常をこまやかに描写して、読者は知らず知らずの内に、「自分たちの隣にも小人がいるんじゃないか」という程の、リアリティに満ちた臨場感を味わうことになります。


この物語の小人たちに与えられた、「動きが速すぎて、通常は人間たちには見えない」という設定が、これがまた絶妙でして、読者は時にはやきもきしたり、時にはユーモアを楽しみながら、「自分たちと異なる存在」と「ぼく」の出会いが、本当に幸せなものになる場面を目撃することになります。


しかし、勿論これは物語の本当に序盤の話。「だれも知らない小さな国」の凄いところは、ここから、「ぼく」と小人たちが、いかにして協力し合い、運命共同体になっていくのかを、本当に自然な流れで描いていくところです。


彼らは、時には一緒に何かを創り上げ、時には大きなピンチに立ち向かいながら、お互いなくてはならない存在になっていきます。この辺りの、「異なる存在同士が絆を深めていく」描写、その描写の気持ち良さこそが、コロボックルシリーズの大きな大きな特色の一つである、というのは言ってしまって問題ないでしょう。



「ぼく」にせよ、小人たちにせよ、峯のおやじさんやおちび先生のような彼らを取り巻くキャラクターにせよ、どのキャラクターも実に好感がもてる、ステキなキャラクターばかりであるところも特筆すべきところでしょう。特に小人たちは本当にタレント揃いでして、この巻に登場するヒイラギノヒコ、カエデノヒコ、エノキノヒコの三人組などは、後々のシリーズまで重要なキャラクターであり続けます。



そして。これはシリーズ全体を通しての話なのですが、「だれも知らない小さな国」には、ある種のミステリー、「謎解き」的な要素も隠されています。序盤に提示された小さな小さな伏線が、終盤、見事な流れで解決する爽快感は、自作、「豆つぶほどの小さな犬」にも引き継がれている要素です。


取り敢えず、終盤、おちび先生が小山を訪ねてきた時の会話は、一言一句印象に残るすばらしいセンテンス揃いです。心して読むことをお勧めします。



○コロボックル通信社の活躍。


さて。実は話はここからな訳です。


上記の通り、一作目の「だれも知らない小さな国」は、それ単体でも十二分に面白い児童小説でした。が、シリーズとしての「だれも知らない小さな国」が傑作になったのは、間違いなくこの二作目、「豆つぶほどの小さないぬ」の功績だと私は思います。



「豆つぶほどの小さないぬ」では、いきなり主人公が交代します。なんと、人間視点から小人視点の話になるのです。


言ってみれば、一作目で「小人と出会った」読者たちは、二作目でいきなり「小人になる」ことになる訳です。日常から非日常への架け橋を渡ったと思ったら、次は自分自身が非日常の側に立つ番。まず、この舞台立ての急激な転回が、読者をコロボックル世界に強力に引き込みます。


「豆つぶほどの小さないぬ」の主人公は、「風の子」ことクリノヒコ。彼は、スギノヒコ=フエフキや、ヤナギノヒコ=ネコ、サクラノヒコ=サクランボやカエデノヒコ=ハカセ、更にはクルミノヒメ=オチビといった、魅力的なコロボックルのキャラクターたちと共に、かつてコロボックル世界に溶け込んでいた筈の生き物、「マメイヌ」の捜索をすることになります。



この時の描写がまた、佐藤さとる先生の真骨頂と言うわけで、一作目で「ぼく」の日常が描かれた時と同等、もしくはそれ以上の細やかさで、「コロボックルたちの日常」が描かれることになります。ああ、こんな国、ある。きっとある。それくらいのリアリティをもって描写されるコロボックル小国の活き活きとした情景は、読者を「コロボックルの仲間たち」の一員とするに十分過ぎるものです。



お話としても、「マメイヌはどこにいるのか?」「マメイヌはどうしているのか?」というところから、「竹林」という言葉が重要なファクターになる中盤の捜索に至る数々の冒険や謎解きに加え、一部ではコロボックル同士の恋愛模様まで描かれる、様々な要素が見事に組み合わさって一つのストーリーを形作っています。コロボックルシリーズの中でも、私が「豆つぶほどの小さないぬ」を最大の名作だと考えている所以です。



勿論この後、3作目、4作目、5作目と、コロボックルシリーズは更なる発展を遂げていく訳ではあるのですが、未読な方には、まずこの最初の二冊だけでも一読されることをお勧めします。「日本を舞台にしたファンタジー」という舞台立てがお嫌いでない方であれば、楽しめることについては保証します。



さて。結構長くなったので、今日はこれくらいにしておきます。次はまた別の児童小説の話でも。



posted by しんざき at 21:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
挙げられた10(?)タイトルすごく懐かしかったです。
ただこの人シリーズ読んだこと無かったのでぜひ読もうと思いました。3日間娘を出産したばかりなのでまだまだ気が早いですが、いつか読み聞かせてあげよう。
Posted by at 2015年05月31日 13:40
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