ドラゴンボールの話です。既出議論である可能性は極めて高いですが気にしないでください。私も気にしません。
鳥山明先生はドラゴンボールにおいて、「体を重くする」という修行方法を、劇中初期から終盤まで、非常に頻繁に採用されていました。
・亀仙人に師事し、20kgの亀の甲羅をつけて農作業や牛乳配達などをする(その後40kg)
・ピッコロとの戦闘の直前まで非常に重たい胴着を着ている(脱いだ時に周囲瞠目)
・重力が非常に大きい界王星での修行
・宇宙船の中での高重力装置を用いての修行
・ベジータがカプセルコーポレーションに作ってもらった重力増幅装置
体に重りをくくりつけるなり、重たい服を着るなり、重力を増やすなりして、とにかく体を重くする。重たくなった体で普通に動ける/闘えるようになる。
で、重りを取り除くとあら不思議。超速く動ける!やたら力がついている!!
非常にわかりやすいですよね。
むかーし書きましたが、少年漫画における一番基本のテーマは、「対立構造とその超克」、早い話が「勝負」です。ジャンプのテーマが「友情・努力・勝利」であることはまさにその端的な現れでして、
・友情=友人・仲間を得る
・努力=努力して強くなる
・勝利=で、勝つ
という、非常にわかりやすい三段構えになっています。
勿論、ジャンプ漫画の代表格といっても過言ではないドラゴンボールが、天下一武闘会が劇中に出現してからこっち、この三段構えの展開を忠実に回し続けたのは今更言うまでもないことです。
で、多くの格闘漫画において、「努力」はニアリイコールで「修行」という言葉に言い換えることが出来ます。である為、「ある格闘漫画が「修行」をどう描写するか」というのは、その作品を描く人のスタンスが直接現れる、非常に重要なファクターになります。
「体を重くする」という修行以外でも、鳥山先生は、あまり「手のこんだ」修行を描写されません。他の格闘漫画ではありがちな、「必殺技を身に着ける為の特殊な修行」であるとか。「一見何の関係もなさそうな動作の繰り返しなんだけど、実は重要な技を身に着ける為の伏線になっていた」であるとか。これら修行方法も少年漫画の一つの王道なんですが、鳥山先生はこういった「特別な意味がある」系の修行を(少なくとも漫画版では)ほとんど描写されてないんですね。
例えば、ピッコロと闘う前の悟空のパワーアップは、「超神水を飲んで苦痛を乗り越える」という形で行われました。さらにその前、カリン塔での修行は「カリン様を追いかけている間にいつの間にか強くなる」というものでしたし、精神と時の部屋でも基本は「闘っている間に強くなる」という方式でした。
一番「特別な意味を持った修行」に近い描写って、せいぜい天津飯の魔封波の特訓と、あとはなんでしょう、界王拳の修行も微妙だし、フュージョンの特訓くらいじゃないでしょうか。あれもギャグっぽかったですけど。
私の考えなんですが、多分これには、二つの意味があると思います。
・「強くなる」という描写について、身近さ、リアリティ、わかりやすさを重視した
・ドラゴンボールの強さの描写が、基本的には「技の優劣」ではなく「戦闘力の多寡」であった為、「技を身に着ける為の修行」が重要ではなかった
特に序盤から中盤において、鳥山先生は、「強さの分かりやすさ」「修行の説得力」を非常に重視されていたように思われます。20キロの甲羅を背負って日々を過ごす。下ろした時には早くなる、強くなる。怒濤の分かりやすさ。明日から自分の家でも出来そうな程のシンプルさです。
「自分でも出来そう」「自分でも強くなれそう」と思えるほどのリアリティ以上に強いものが、他にあるでしょうか。初期のドラゴンボールが、その「強さの分かりやすさ」が故に人気を博した、という側面は決して弱くないと思うのです。
一方、これも昔書きましたが、中盤以降のドラゴンボールがいわば「数値戦」を導入し、お互いの戦闘力、ないしそれに類するものの多寡が勝敗を左右する重要なファクターになっていったことは周知の通りです(勿論、数値戦の上での逆転劇も頻繁でした)
他のさまざまな格闘漫画が、「力の多寡」の他に「技の優劣、相性」という要素を導入して、それに基づく逆転劇を描写していたのに対して、ドラゴンボールは最後までその方法をとらなかった。これは、勿論鳥山先生の漫画的描写力がずば抜けていた為に、わざわざ複雑な要素を導入するまでもなかった、という側面も強いとは思いますが、なにより「分かりやすさ」「説得力」を鳥山先生が最重視されていた、そのことの表出なのではないかと私は思う訳です。
極言してしまうと、「ドラゴンボール」という漫画の面白さの源泉、中核にして最強のキーワードは「分かりやすさ」ではないか、と。「体を重くする」という修行方法は、言ってみればその象徴のようなものなのではないか、と。
この辺を結論として、本エントリーを閉じたいと思います。皆様ごきげんよう。
妙に生々しいリアルさがある。
筋肉つきすぎるとスピードが出なくて
持久力が落ちるから消耗が激しく、
攻撃も当たらなければ意味が無いとかって
実際の格闘技にも通じるリアルさですし。
あと、1話15Pほどで描かれていたので
修行描写をうまく省いた印象も。
いや、脱いだのは天津飯と戦った時からだから
(十分強いですが)一般人の彼女が空を飛べるようになるというのは、子供だった当時には「自分にもできるかも」とワクワクした記憶があります
巨人の星の養成ギブスですよね。
日常生活でも体に負担をかけるギブスに慣れさせて…
現実では有効ではなくてもスポ根ではとても説得力が
あるのように感じました。
(今では完全に否定された前時代の練習法の一つ。)
名前も含めてな
修行の基本ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=Ukw8HMaJCIA
そのあたり気にしだすときりがないぜ
または、宇宙飛行士が無重力下で長期間いると地球に帰還した時に自力で立てなくなるくらい筋力が衰えるということの逆をやったという感じでは
つまらなくなる
何かを見下しただけで大きくなったつもりでいる滑稽さ、ちょうど島本和彦が『アオイホノオ』で描いてるとこだよ。
マンガ読むならもっと真剣に読めよ。
貶すならまずお前さんが感動したモノを先にあげて見ろといいたいね
バクマンでも子供が真似をして社会問題化した描写があったけど、簡単に真似できて、かつ、それが失敗した場合におおごとになるようなものだったりしたらマズイ、との考えがあって、それで現実世界では実現できないような修行方法として、超重力を採用したのかも。
だから「ピッコロとの戦闘中」ではなく「ピッコロとの戦闘の直前」と書いてあるだろ。
くだらんツッコミする前にちゃんと日本語を読め。
だから「ピッコロとの戦闘中」ではなく「ピッコロとの戦闘の直前」と書いてあるだろ。
くだらんツッコミする前にちゃんと日本語を読め。