2015年06月17日
「口汚い」ということは、ただそれだけで説得力を下げると、私は思っているんだけど。
タイトルで完結はしている。
勿論、口汚さと一口で言っても色々ある。ファウルラインも人それぞれである。
一応、程度問題は別として、私は以下二つを「口汚いテキストだなあ」と感じることが多い。
・本論と関係ないところで、攻撃的な内容の言葉が頻出する。
・同じく本論と関係ないところで、相手を貶めるレッテリングが頻出する。
上記のようなテキストは、どんなスタンスから産まれるだろうか?
幾つか考えられると思うが、
・(意識的かそうでないかに関わらず)相手を貶めることによって、自分が優位になろうとしている
・自分が「攻撃者」であることを周囲に示して、攻撃的な言葉が好きな傍観者を味方につけようとしている
・相手を威嚇することによって、反論ないし反応を封じようとしている
・「強い言葉」と「口汚い言葉」を混同している
・「毒舌が俺の持ち味」とか、「口が悪い俺かっこいい」みたいな不思議な勘違いをしている
といった辺りのどれかなのかなー、と私は考える。
勿論、上記は単なる程度の問題であって、その人が言っていることが妥当かどうか、というのはまた別の話だ。とはいえ、私はまだ、口汚さを完全に切り捨てて、本当に内容だけでそのテキストを判断出来る程人間が出来ていないので、口汚いテキストを見れば、
「あ、この人は、議論の内容と関係ないところで相手を貶めようとする人なんだ」
と判断して、その分は説得力を差し引いて考える。まあ、それでも「口汚くっても言ってることは正しいな」と判断することは勿論あるけれど。
話は変わる。
最近、Togetterでこんなtwitterまとめを読んだ。
フジテレビ報道の林くん、いいかい。もっと話をしなよ。人間とさ。 - Togetterまとめ
内容はご一読頂ければわかるが、「撮影対象を番組の材料にしか考えておらず、粗雑に扱う傲慢なマスコミ」という非常に分かり易い悪役が提示されており、いかにも炎上を惹起しそうな記事だなー、と私は感じた。しかも対象がフジテレビなので、余計燃えやすそうだ。
私は、「「分かり易い悪役が出現する話」を見たら脊髄反射で飛びつかず、まず冷静に身構えた方がいい」という自分ルールを持っており、これまでにそれで損した経験がないので、ブコメでもそのようなことをコメントした。作り話だ、とも釣りだ、とも言っていないつもりである。ただ、amazonのリンクに言及した部分については嫌味だったかも知れないけれど。
すると、元記事のツイート主さんから、凄い勢いでリプライを頂いた。当該リプライが含まれたまとめが下記である。
BLACKザ・タブー編集部の岡本タブー郎さんはこんな人
私はまあ大したことを言われていないが、上記を確認して、随分口汚い人だなあ、という印象は持った。あと、障碍者の方に寄り添って、偏見と闘っている人であるにしては、随分と差別的な罵倒やレッテリングを行っているなあ、とも思った。
上で書いた通り、「口汚さ」と「正しさ、妥当さ」は別の問題だ。口汚い罵倒とは別に、上の編集者さんが善意の方であり、おっしゃっていることが妥当であるかも知れない、ということは勿論否定はしない。
ただし、口汚い罵倒は、決して「正しさ、妥当さ」を補強したりはしない。むしろ、本来言っていることが正しければ正しいほど、その正しさにケチをつけることになる。
正しさ、妥当さをアピールしようとする限り、口汚さは足を引っ張るばかりで、決して話者を助けない。少なくとも私はそう思っている。
そういう点で、この人に限らないが、「正しさ」をアピールしているように見える、ないしする必要がある立ち位置の人が、一方で口汚い罵倒を振りかざすのはなんでだろうな?というのは単純に疑問だ。
差別や偏見と相対し、既存メディアと一線を画す人であるのであれば、口汚い罵倒やレッテリングはなるべく避けた方がいいんじゃないのかなあ、と私は思うのだ。
以下は関連テキスト。
ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」というラベルで救済するのはそろそろやめにしようよ
今日書きたいことはそれくらい。
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この口汚い罵倒があふれるのは結局”毒舌”が許されるからだと思うなぁ
毒舌は単なる罵倒ではない〜という話を書いておられて、そっちも読んだけどさ、
結局毒舌が許されるのは「面白い」からだと思う
毒舌と罵倒の違いは面白いかどうかであって、
面白いと感じた人には毒舌になるし、そうでない人には罵倒になるだけなんじゃないか
毒舌が毒舌として評価されるのは、
罵倒されている奴と見ている自分が遠いから、毒舌は笑えるんだろうと思う
あなたが罵倒としか思えない言葉を使っている人たちも、
”毒舌”として支持してくれる人達がいる(もしくはかつていた)から使ってるんじゃないの
もともと「正しさよりも」口汚さを売りにしているらしき雑誌であり、編集者なので、
「平常運転に戻っただけ」にも見える。
当該のまとめも「障碍者に寄り添う」というよりは
「俺の案件に後からしゃしゃり出てきた奴のひどい仕事ぶりを見かけた」
というだけの話にも読める。
たとえば最初のツイートは
「うちの本の紹介をすると言うから協力してやったのに
後になってからそんな約束はしてないとか言い出した」
という愚痴であって、障碍者の部分は主題ではないような。
「かっこいい」「あたまがいい」「勇気がある」
と思う人がいて
「仲間になりたい」「Xさんみたいになりたい」
という現象
読み手が書き手を選ぶ権利があるように書き手も読み手を選択するのです。世界はそんなに広くなくていい。あるいは正しさはそんなに広範囲じゃなくていい。
ポエムでお目を汚してしまい失礼しました。