2015年06月29日
俺が生きたネットはこんな場所だった・ないし「東京BBS」や「草の根ネット」のお話 第一話
今からちょっと昔話をします。長文なので、お暇な方だけどうぞ。
兄が、バイトで溜めたお金でパソコンを買いました。PC-9821Ap2、というパソコンでした。
私が中学生くらいの頃だったので、大体20年くらい前のことの筈です。皆さんよくご存じの通り、「昔のパソコン」と「今のパソコン」の間には旧ザクとクインマンサくらいの、あるいはママチャリとCTX1300くらいの性能差があります。その割に、値段はこの場合旧ザクの方がはるかに高いんですけど。
兄のAp2のメモリは40MBくらい、CPUは66MHzだった筈で、それでも定価で80万円くらいしました。今、お値段8万円のPCでもCPU3GHzとか割と普通なんで、単純に計算すると、CPU性能で500倍くらいの機体を10分の1の値段で買えるようになった、ということになります。びっくりですよね。
私のプログラミング原体験はファミコンの周辺機器であるファミリーベーシックなのですが、「パソコン原体験」ということになると、この時兄が買ったAp2だったと思います。私は、兄の門前の小僧として、兄が触っていない間にたまーーにパソコンに触らせてもらっていました。
今でも私は、フロッピーディスク30枚組くらいのWindows3.1を、兄が苦労してインストールしていたことを何となく覚えています。command.comとかhimem.sysとかを色々いじくったりとか。
で、そのAp2で兄が主に何をやっていたかというと、主に「光栄のゲーム」と「パソコン通信」でした。
光栄のゲームは、皆さんよくご存じのあの辺です。私はここで、三國志4に、大航海時代IIに、提督の決断2に、信長の野望覇王伝に触れました。あとドラゴンスレイヤー英雄伝説とかロードモナークとかパワードールとか銀河英雄伝説IVとか。
当時はまだ、家庭用ゲームのシーンもスーパーファミコンくらいの頃でしたので、パソコンと家庭用ゲームの間には圧倒的なハードの性能差がありました。大航海時代IIとか滅茶苦茶面白かったですよ。マジで。今でも二か月に一回くらいはプレイしたくなります。最近のWindowsで動作するようにリメイクして欲しい。
で、もう一方の話が、「パソコン通信」だったわけなんです。
・パソコン通信のお話
秀termでした。
パソコン通信については、勿論ご存じの方もいればご存じない方もいるでしょう。まあ、凄く乱暴に説明すると、「横のつながりがないインターネット」という感じです。あるサーバに接続しにいくと、基本そのサーバの中身しか見られません。で、そのサーバの中にあるコンテンツだけを参照することが出来ます。yahooしかないインターネット、とかそんなイメージでしょうか。接続しにいく際には「モデム」というものを電話線に繋ぎます。作動させると「ぴーーーーー、がーーーーーーーーー」とか音がするアレです。
私は、ここで、「掲示板」というものに初めて触れました。
当時はテレホーダイすらまだありませんで、名古屋在住の我々が東京BBSに繋ぐのには、遠距離通話が必要でした。草の根ネットによってはダイヤルQ2で課金とかしてましたから、限られた時間だけ繋いで、その間に読みたいコンテンツをがーっとダウンロードしてきて、後からゆっくり読む、という形式が一般的だったと思います。
当時のパソコン通信のメインステージといえばniftyだった筈ですが、兄はあんまりniftyには出入りしていませんで、主に「東京BBS」と「AEネット」という草の根ネットに接続していました。
そこに、掲示版が、ありました。
例えば、光栄のゲームとか。例えば、ジャンプの漫画とか。例えば、ゲーセンの格闘ゲームとか。色んな「話題」に特化した、様々な人達の「書き込み」の集合体。当時、東京BBSやAEネットでは、数限りない「テーマ」で、数限りない「掲示板」が立っていました。niftyでは、これを「フォーラム」と呼んでいた筈です。
今、SNSというものが身近になった現在では、この衝撃を理解しにくいかも知れません。ただ、当時、例えば「あるゲームの他のファン」というものの存在を感じられるのは、学校での趣味が合う友人か、あるいはゲーメストやファミマガのような雑誌の投稿コーナーくらいしかなかったのです。そこに、「数限りない、俺と同じようなファン」というものが、実際に、目に見える形で存在している。この衝撃は、今でもなかなか表現することが出来ません。
当時、東京BBSには山ほどのテーマの掲示板群があったのですが、細かいところは正直よく思い出せません。漫画にしてもゲームにしても小説にしても、その中で更に無数のカテゴリに分かれていたと思います。他、今でいうweb創作小説をアップする場所や、歴史や教育について語る場所もあったような気がします。今で言う2chやしたらばの遥か前身です。
個人的に、特に熱かったのが格闘ゲームの掲示版でした。
丁度、「ヴァンパイア」が熱かった頃でした。当時はまだ、「隠しコマンド」というものが雑誌でももったいぶられていた時代で、モリガンの隠し超必殺技である「ダークネスイリュージョン」のコマンドを、ゲーセンでは皆が躍起になって探していました。そのコマンド、小P小P→小K大Pという、当時の基準では常識外れに複雑なコマンドが、東京BBSの格闘ゲーム掲示板にはあっさりと記載されていました。
「ネットでゲームの攻略情報を探す」という時代の幕開けです。かつて、ドルアーガの塔の時代、宝箱の出し方がゲーセンノートで情報共有されていた、それを遥かに広範囲にした光景がそこにありました。
こうして、「遥か遠くに住んでいる他のゲームファンとゲームの話をする」という衝撃的な体験をした私は、例えばタイトーの掲示板や、レトロゲームの掲示板にもちょくちょく書き込みをするようになるわけです。この時知り合った何人かの知人は、インターネット時代にも付き合いを継続することになるのですが、それはまた別のお話。
「AEネット」では、他に、アクセス時に自動的に表示される「一言掲示板」というようなものもありまして、それがちょうどチャットのような機能を果たしていました。東京BBSやniftyよりは遥かに小規模な草の根ネットでしたが、中身の人間関係は随分濃かったような記憶があります。
他、今ではWebページをブラウザで表示するだけで山ほど参照出来る「CG」とか「イラスト」というものが、当時は「一度ファイルダウンロードして、手元の画像ビューアに食わせてやって参照する」というクソ面倒くさい手順を踏まないと参照出来なかったりしたのも記憶に残っています。当時、BMP形式は勿論存在したのですが、BMPは余りに容量を食うので、様々な形式の画像ファイル拡張子が東京BBSには溢れていました。MAG形式の画像ファイルを読みだすまぐろーだーとか、かの有名なSusie(すしえと読む)とか、当時は誰もがパソコンにインストールしていたと言っても過言ではないでしょう。一部では、ユーザー手作りのフリーソフトなんかもアップされていたりして、中には怪しいものも随分あったようです。
1990年代前半から、90年代末にさしかかるくらい。この頃が、私にとって、あるいは多くのネット民にとって、一番「草の根ネット」が熱い頃だったのではないかと思います。
実は、この時にも、既に「インターネット」というものはありました(勿論、歴史上は「草の根ネット」のずっと前から存在した訳ですが)。
私にとってのインターネットの黎明は、Windows3.1の片隅、「ねっとすけーぷなびげーたー」というクソ重いソフトを立ち上げると、その上に出現する世界。参照している間電話が使えなくなるのであまり長く見ていると親に怒られる世界。
それは、「東京BBS」や「nifty serve」がまだ大隆盛していた頃、ネットといえば草の根ネットだった時代の、ほんの片隅で始まった物語。
この「インターネット」が段々と盛り上がり始める、まさにその頃、東京BBSは「サーバの出火」という事故に見舞われ、ホストが全焼し、一時期完全にアクセス出来なくなります。その暫く後に東京BBSは復活するのですが、その頃はもうネット民の多くはインターネットへの移住を終えていました。それはまさに、「インターネット」と「草の根ネット」の世代交代の象徴のように、ネット民には捉えられたのです。
大概長くなりましたので、ちょっとここで項を改めさせて頂ければと思います。不倒城の前身のお話も出てきます。

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有り難う御座いました。昔を思い出しました。
まさにその時代の人です。懐かしい、