2015年07月07日
ライフハックの皮をかぶった言葉狩りどうにかならないかなーと思うんですが
よくあるじゃないですか。「実は○○という言葉は失礼な言葉だった!」とか。「○○という言葉を使う人は、実は××(ネガティブな何か)だった!」みたいな、あーゆーの。
最近も観測しました。下記のような記事です。
口癖で分かる性格 「なるほど」が多い人は何も聞いていない
こういう、ビジネスマナーとかライフハックの体を装って、言葉にネガティブなラベルを無理やりくっつけようとする向きが、私は好きではありません。というか嫌いです。
この手の記事の問題点は、箇条書きにすると以下のようになります。
・根拠が全くない、ないし根拠が明示されないまま、言葉に対してネガティブなイメージ付けを行っている
・それを読んだ人が、「そうだったのか、知らなかった!気をつけよう」という印象を持ちやすい、いわば「気づき」を誘導する書き方になっている
・更に、上記の「気付いた」人が、その言葉を使っている他人に対してまで「あ、××な言葉を使ってる人だ」という印象を持ってしまう
・結果的に、上記のような「気づき」にコミットしていない人にまで、その言葉の使用を避けざるを得ないような状況を作りかねない
ひでー話だと思うんですよ。
ちょっと前にありましたよね。「目上の人に「了解」は失礼な言葉です」とかいう似非ビジネスマナー。ひと昔前のビジネスマナー本では、「簡単な仕事の指示には「了解です」といった短い言葉で答えましょう」とか書いてあったのに、そこから少し間をおいて、同じ言葉が今度は「失礼」になるんですよ。
で、誰か声が大きな人が言い始めると、それを周囲がよってたかって再利用しようとする。そこで更に認識が広がって、結果的には本当に「その言葉は失礼」みたいな共通認識が醸成される。こういうのをマッチポンプといいます。
この辺の話は、以前も何度か書きました。前は、言葉の誤用についてをフォーカスした話でした。冒頭に挙げた記事とはちょっと方向がずれるんですが、まあ気にせず続けます。
NHKの「目上の人に「了解」は失礼?」とかいう記事がちょっとどうしようもない内容だった
安易な「気付き」には身構えた方がいいよなあ、という話
国語学研究員は、「日本語の乱れ」の夢を見るか
いや、確かに、「それは語義的に考えても、一般的な意味でも誤用ですよね」っていう言葉も、無い訳ではありません。ただ、そう言い切れる言葉であれば、「実は」なんて枕ことばはつきません。「延々と」という意味で「永遠と」という言葉を使っていれば、現時点では明らかに単純な誤用です。それは、「永遠と」という言葉を使うというコンセンサスが、一般的なものではないからです。
逆に言うと、「多くの人に認識されている、明らかな誤用」でない言葉であれば、そうそう「間違った使い方」だなんて言えない、ということになります。
「実は」という枕ことばがついて、多くの人が「えっ、そうなの?」と驚く、という時点で、その言葉ははっきり「間違った使い方」なんて断言できる言葉ではないんです。
言語、というものは、要するにルールであって、コンセンサスであって、しかも生き物です。多くの人が「この言葉を、そういう意味、こういうニュアンスで使う」という共通認識を持っているからこそ、ことばによるコミュニケーションが成立します。そして、そのコンセンサスは、時代によって、地域によって、文化によって、変わります。同じ言葉であっても、ちょっと時代が、地域が変わっただけで、同じ意味として使えなくなる、なんて例はそれこそ幾らでもあります。
つまり、「その言葉の使い方は間違っている!」なんて言葉は、よっぽど明確なコンセンサスがないと使えたもんじゃない筈なんですよ。
上の話は、飽くまで「言葉の使い方」「言葉の意味」というフィールドでの話でしたが、「○○という言葉を使う人は、こんな××」とかいうネガティブなレッテリングも、「根拠の欠如」「言葉へのネガティブなレッテリング効果」という意味で、全く同じ意味を持つと思います。
それを、誰か、単に注目を稼ぎたい人や、本を売って小銭を稼ぎたい人が、「気づき」という安易な武器を使って「その言葉間違ってるよ!」「その言葉ネガティブな意味だよ!」なんて誘導をしようとすることを、私は「言語に対する愚弄」であるとみなします。だから私は、この手の「気づきの安売り」が嫌いです。
「え、そうだったの!?」と、「今度から気を付けよう」は、Webにあふれています。気づきは、そこら中に転がっています。
けれど、その「気づき」は、本当に妥当な「気づき」なのか。
言葉狩りだけの話ではありません。皆さんも、安易な「気づき」にはくれぐれもご注意を。
あ、文中の言語がルールだとかどうとかいう話について、もう少し詳しく知りたい方は、下記のような文献を読まれることをお勧めします。面白いですよ。
「一般言語学講義」フェルディナン・ド・ソシュール著
「ソシュールの思想」丸山圭三郎著
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言葉で言えない
Excerpt: 言葉でいえないようなものは何か、はっきりとは分からないものでしょう。言葉でいえない悲しみとか、言葉でいえないおいしさとか、感情的感覚的なもの、あるいは世界経済の動向とか音楽の美しさ、あるいは存在の耐..
Weblog: 哲学はなぜ間違うのか
Tracked: 2015-07-10 22:36
> 「多くの人に認識されている、明らかな語用」
というのは、コンセンサス的な意味的には一般的ですか。
いや調べれば分かるけど
ある意味ピュア
まさに『マナーロンダリング』なんてな。
上の「汚名挽回」はまだ突っ込みの余地がありますが「確信犯」なんてもうどうしようもない。
でもそういった自然に浸透した誤用はまだ許せるんですよね。なぜなら誤用に至る過程が言語の変遷として自然だからです。
一部の人間が故意に流布する誤用なんて醜悪な日本語の破壊でしかない。
面白そうだって思って来てみたら、ミイラを取りに来たミイラが居た!みたいな・・・
死に場所は森ん家の車庫首吊り。あんたらの家族が発見する。いつ結構するかは分からん。毎晩起きてた方がいいよ?