私は、昔からのゲーマーとして、様々な「ゲーマーの夢」が叶う光景を見てきた。
「もっと、アニメみたいな画面でアニメのキャラクターを動かしたい!」 叶った。
「広いフィールドで、色んなことが出来るようなゲームが遊びたい!」 叶った。
「友達や、世界中の色んな人と対戦ゲームをしたい!」 叶った。
「自宅のゲームが、そのまま外で遊べるようなゲーム機が欲しい!」 叶った。
およそ、ゲーム業界程「ユーザーの具体的な夢が次々と叶えられてきた世界」というものは、他に存在しないのではないだろうか。かつてのファミコン小僧たちは、「未来のゲーム」に様々な夢をみた。そして、ほんの20年か30年程で、その夢は次から次へと叶えられていった。
そして、多分私は、また一つ「夢が叶った」光景を観た、と思う。
それは、「俺が作ったステージを手軽に保存して、皆でわいわい遊びたい」という夢だ。
断言しよう。かつて、ナッツ&ミルクを、ロードランナーを、バトルシティを、エキサイトバイクを、レッキングクルーを遊んだファミっこたちは、ひとしく同じようなことを考えた筈だ。
折角作ったのにステージが保存出来ねえ!!と。(データレコーダーを持っているユーザーなど滅多にいはしなかった)
わざわざ友達呼ばねえと感想が聞けねえ!!と。
他の人が作ったステージも遊びてえ!!と。
ステージエディットはとてもとても楽しい遊びだった。私たちは、ナッツ&ミルクで「ナッツが放っておいても海に落ち続けるステージ」を作った。エキサイトバイクで「ジャンプ台が次から次へと連続しているステージ」を作った。
クソステージもあれば、自分でも神ステージだと思ったステージもあった。自分で好きな様にステージを作れる遊び程面白いものはそうそうなかった。
だが、それを完成させるためには、三つの大事な要素が必要だった。
つまり、保存と、共有と、感想だ。
早い話、自分が作ったステージを手軽に保存したかったし、他人が作ったステージも含めて共有したかったし、「むずい!」「楽過ぎる!」「おもしれー!」「つまんねー!」と言い合って楽しみたかった。
しかし、この簡単な三条件を満たす為には、ファミコン時代当時はかなりの苦労を必要とした。初期ソフトではそもそもステージの保存に特別なインフラが必要だったし、共有してわいわい騒ぐには友達を呼んで自宅で遊ばなくてはいけなかった。
そして、あれから30年が過ぎた。
もちろん、「作ったステージを保存して、共有するインフラ」という点では、今までそういうものがなかった訳ではない。例えばRPGツクールで、例えばBMSで、例えばいくつかの同人ゲームやPCゲームで、例えば一部のスマホゲームで、例えば倉庫番で、エディットステージは共有されてきた。
ただ、スーパーマリオメーカーのような、「メーカーの公的なインフラで」「コメントが得られやすく、分かり易いUIで」「誰もが親しんだゲームを、様々な新しいギミックで」「他人が自分のステージを遊んだ形跡をダイレクトに確認出来」そして何より「大勢のユーザーが世界中で同時に遊んでおり、彼らと一緒に遊ぶことが出来る」ゲームは、他に存在しなかった。かつての、ファミコン初期のステージエディッターたちの「夢」をここまで完全に叶えたゲームは、他に存在しなかった。
また一つ、全くの意外な形で、ファミっことしての私の夢が叶った。そして、次叶うのはどんな夢だろう、と私は夢想するのだ。
スーパーマリオメーカーを初めて遊んだ時、かつてナッツ&ミルクで作った数々のクソステージが昇華されたような、そんな奇妙な錯覚を感じたのだ。それも、「夢が叶った」ゲーマーの副作用とでもいうべきものなのかも知れない。
今日書きたいことはそれくらい。
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