手塚治虫のシュマリにまったく触れずにゴールデンカムイを読んですげえすげえって言ってるのを見ると、http://anond.hatelabo.jp/20151005150750
ガンパレード・マーチを知らずにマブラヴオルタをすげえすげえ言ってた昔の自分を思い出してキュンとなります
「すげえすげえ」って言ってぜんっっっぜん問題ないと思うんですよ。褒め言葉なんて、どんどん手軽に気軽に、余計なこと一切考えずに、「すげえ」って思った瞬間に発していいと思うんですよ。そこに前提条件なんて必要ないし、褒めるのについて「越えておかなくてはいけないハードル」なんて必要ない。
何故かというと、褒め言葉で傷つくのは、「その作品が嫌いで、かつ「それが嫌い」ということがアイデンティティの一つになっちゃってる面倒くさい人」だけだから。今の時代、褒め言葉はめぐりめぐって結構創作者さんの元に届くもんで、それは創作者さんにパワーしか与えないから。好意の表出というのは、読んでいる側にとっても楽しくって嬉しいものだから。
冒頭の例には当てはまらないことですが、もし仮に、「褒められている対象の作品」が何かのパクリだったとすれば、それは「対象の作品」に対する批判、という形で表現すればいい訳ですよね。その場合でも、別に「その作品に対する好意」にケチをつける必要なんてない。
気に入らない作品があるなら、その作品を批判すればいいんですよ。その作品に好意を抱いている人にケチをつける必要はないんです。好意をもつことに罪は存在しない。
別に作品に対する好意に限らず、好意の表出というのは、基本的にはプラスの影響しかもたらさないと私は思うんですよね。もっと手軽に褒め言葉が流通する世界になって欲しい。言葉が軽くなるなんて心配をするのは、本当に言いつくせないほど言いつくして、その後でいい。
この場合、むしろ「お前ガンパレも知らないでマブラヴすげえとか言ってんの?ププー」とかいちいち言ってくるヤツがいれば、むしろそいつの方が上から目線獲得熱望おじさんとして非難されてしかるべきだと思うんです。貴重な好意の表出に対して、単に「俺の方が良く知ってるんだぜ」という貧相な優越感を満たすだけの為に文句をつけているという罪に対して。
人の好意に口を挟むな。人の好意にハードルを設けようとするな。人の好意をけなすことで優越感を満足させようとするな。
世の中が気軽な好意の表出で埋まるといいなーと思っている私は、そういう認識がもっと広まってくれるといいなあと思っているわけなんです。