2015年10月10日

子どもといい関係を築いていくコツも、やっぱり「関心量の調節」じゃないのかなあ、と思った


長いので、最初に書きたいことをまとめてしまいます。忙しい方は下記数行だけ読んでください。


・人間関係では、「お互いがもっている関心量のバランス」が重要だと思います
・子どもは、親から欲しい関心量、親に対する関心量が、成長過程で必然的に変わるので調整重要だよね
・小さい頃は関心注ぎまくりでいいんだけど、ある程度大きくなったら表面に出す関心量を調整しなくちゃいけない気がします
・あんまり関係ないけどHearthstoneのSecret Paradin強いですよね



四行で済みました。エコノミーですね。四つ目のは関係ないように見えて一応最後の方にちゃんと出てきます。

さて。書きたいことは書いてしまったので、後はダラダラと書きます。


昔、こんな記事を書きました。


結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。

手前味噌ですが、ちょっと引用してみます。
例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。

決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きな食い違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。


関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。

AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。

全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが良ければ、お互いにとって丁度いい距離感が形成出来る。相手がやっていることへの関心をもっていれば、相手が体験している楽しさが分かる。相手が体験している苦労も分かる。気配りも思いやりもその後の話だ。

お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。

これ、親子関係も同じだなあ、と。というか、もしかすると親子関係の方がずっとシビアかも知れないなあ、と。


ある年代、例えば小学校低学年くらいの時期まで、子どもにとって「親からの視線」「親からの関心」というのは必須の栄養源です。なんでもかんでも「パパ、みてー!」「ママ、みてー!」という。遊んでもらいたがる。抱っこしてもらいたがる。こういう時、親の関心が自分に向いてこない、というのは、子どもの心を成長させる上で結構クリティカルな問題です。

また、「親が、自分が関心をもっているものに関心をもってくれている」というのも、色んな点で凄く大事だと思うんですよ。小さな子は、親が自分の好きなものについて関心をもってくれていれば、喜んでそれについて話してくれます。自分の好きなものを言葉にすることによる表現力。「自分が何かを好きである」ことを認められている、という精神的安定性。親子で遊べることによる関係性。大事なことばっかりだと思うんですよね。

この時期、子ども自身が親に対して絶大な関心を持っている、ということもあります。小さな子どもにとって、親の存在というのは世界の半分以上を占めていたりしますので、親の存在というものは絶大な関心事であるわけです。

関心というのはお互いが持っている量が重要ですから、親にとっても、「関心を注げば注ぐ程バランスがよくなる」時期がこの頃だと思うんですよね。



一方で。

子どもがある程度大きくなるとよくある話なんですけど、色んな他のこと、例えば友達のこととか、遊びのこととか、学校のこととか、ゲームのこととか、広がった世界に関心が出てきます。その一方で、親との距離感や意識が微妙になったりします。

誰しも記憶にあることだと思うんですが、ある年代になると、親からの視線、親からの関心自体が、急に重荷になったり、鬱陶しくなったりすることがあるんですよね。そういう状態で、小さい時と同じ感覚で親が手出し・口出ししてしまうと、過干渉になってしまって親子の関係性にダメージを与えたり、子どもの独立心に負の影響を及ぼしたりします。


これも、「関心量の調節」に由来するところじゃないかと思うんですよ。


親にとっては、子どもが多少大きくなっても、小さな時と同じ感覚でありがちだったりするんですよね。親にとっての5年というのは、それ程長い期間じゃない。けど、子どもにとっての5年というのは、人生の過半の期間だったりします。時間感覚が違うんです。

で、子どもや、子どもが好きなものに対する関心量を、もっと小さな時のまま持ち続けてしまったりする。けれど子どもの方では、成長するにしたがって、親からの関心量のキャパシティが一時的に小さくなる。また、自分が親に対してもつ関心の量も低下してくる。

上でも書きましたが、関心というのはお互いが持っている量のバランスが重要ですから、親にとって、「関心を注ぎ過ぎるとバランスが悪くなる」時期がこの頃だと思うんですよね。

ここが調節できないと、これはこれで親子関係上のダメージになるんじゃないか、と思うわけなんです。


子どもがある程度大きくなったら親は無関心でいい、という訳ではないですよ。子どもの成長に合わせて、親は表面に出す関心量を調整しないといけない、という言い方が適切なんじゃないか、と、今の私は考えています。


関心をもつだけではなく、少なくとも一時的には、関心の量を調整して低下させる必要がある。また、成長にしたがって、必然的に自分に対しての関心が低下する。


こういう点で、親子関係における「関心量の調整」は、夫婦関係以上に難しいし、大事だなあ、と。そんなふうに思ったわけなんです。とはいえ、「子どもが大きくなったらあまり目をかけすぎないようにしましょう」という話にしちゃうと、当たり前のことかもしれないですけどね。


息子は現在小学校二年生。まだまだ甘えん坊だとはいえ、大きく自分の世界が広がり始め、色んなことに興味をもつ一方、親との関心量のバランスは段々微妙になってきたと感じます。とはいえ、彼は「父親(私)が好きなゲーム」については多大な関心があり、最近は私がHearthstoneで使っているSecret Paradinが気になって気になって仕方がないようです。ただ、彼はほとんどFace Hunterしか使ったことがないので、まずParadinのsecretを覚えるところから始めないといけないと思います。


一方、長女・次女は幼稚園年少。こちらは、親からの関心があればある程大きく成長する時期です。


今後とも、いい感じの関心量を保持して、子どもとのいい関係を築いていければいいなあ、と。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 14:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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