2015年11月03日

Seesaaから10年間見つめ続けた「はてな村」について


一言で言うと、「なんか楽しそうでうらやましいけど、だからといって入っていきたいか?と言われるとぶんぶん首を横に振る」という場所でした。

「自分はあの中にいないんだ」という安心感と、「あの中に入ったら面白いかもなあ」という実現させる気もない願望。嫉妬と、恐怖感と、羨望と、優越感と、劣等感が、全てちょっとずつ入り混じった感情だったのかも知れません。



今から、ちょっと昔話をします。

2004年の11月に、それまでやっていた趣味のwebページを畳んでブログを始めました。seesaaを選んだことに深い理由はありません。当時は、ブログを始めることがプチブームになってまして、ブログサービスの比較ページなんてものもまだあちこちにありましたので、それらの中から「どれにしようかな」で適当に選んだ結果です。

そのころはまだ「はてな」のことを、「Googleで検索するとなんか妙な上位によくわからんQAサイトが引っかかってくるよく分からんサービス」としか認識していなかった、と思います。よく覚えていませんが、確かあれが人力検索はてなだった、筈です。もしかするとはてなキーワードだったかも知れませんが。


そんな中、「はてなの人たち」とでもいうべき存在を認知したのは、当時流行っていた「ブログ論」みたいなものを、私も幾つか書いていたことがきっかけだったと思います。


当時、id:ekkenさん、通称「えっけん」さんという人がいました。えっけんさんが書かれる内容は、時には極論が混じりつつもうなずける部分が多く、当時色々と考える種を頂きました。亡くなったという噂も聞くんですが、どうなんでしょうか。

そのえっけんさんが書かれていた内容をきっかけにして、私は「はてなダイアリーの人々」という、いわば総体としての「はてな村」の存在を知りました。彼らははてなブックマークというサービスで、お互いのダイアリーに対して「これはひどい」というタグと論難を延々貼り付けあっているように見えました。


「はてな村の人々」は、当時、私にはこんな風に見えました。

・インフラ的に非常に「顔が見えやすい」、ブロガー個人として認知しやすい、されやすい
・共感を呼びそうな記事にはあまり反応せず、突っ込みどころを見つけたら容赦なく手斧を叩き込む
・手斧を叩き込まれた方もすごい勢いで反撃する
・ダイアリーとはてなブックマークが二層構造になっており、それぞれ少しずつ違うたたき合いをしている
・とはいえとりあえずたたき合いには変わりない
・はてなブックマークを更にブックマークしてよくわからない言い合いをしている
・いくつかのレイヤーに明確に分かれており、しかもそのレイヤーの存在を個々人が認識している
・「はてな」というサービスに愛着、ないしアイデンティティをもっている人が多い



最後のはもしかすると単なる私の勘違いかもしれません。まあ、どの項目についても、非常に個人差が大きな話です。もめ事や手斧の投げ合いが、それ以外のエントリーよりも観測しやすかった、という事情も当然あるでしょう。

とにかく、「IDとしてお互いを認識しあっている人たち」が、「何かもめ事の種があるとわーっと集まってきて喧々諤々始まる」という光景は、私にとって、結構なカルチャーショックでした。

これは今更の議論ですが、「はてブとダイアリー」という二重構造が、はてなブロガー達の顔を見えやすくしていた、という側面はあったのでしょう。はてブをつけあうことで、お互いのIDも認知される。そして、はてブが自分のブログを大きくもする。この二つのインフラは、実に見事な相互作用を有していた、と思います。
(関係ないですが、メタはてブタワーの存在は今でも私の理解を超えています)

正直なところ、単純に「うらやましい」という感情もあったと思います。


seesaaでは、当時から今に至るまで、そこまで濃いユーザー間交流が発展してきませんでした。一部のブロガーさんを中心に一時的に何かが盛り上がることはあっても、それは飽くまでそのブロガーさん個人の求心力であって、インフラが保証したものでも永続するものでもありませんでした。何よりseesaaには、「seesaaブロガーが、同じseesaaブログを見に行く動機になる仕組み」がありませんでした。それは、お互いの顔を見えやすくするという点では重大な欠損でした。

そして今では、seesaaで長いことアクティブに更新し続けている個人ブログはかなりの少数派です。私が昔から観測している中では、もしかするとLSTYさんくらいではないでしょうか。

それに対して、はてなブックマークというインフラを有していたはてなは、「はてな村」という一つの集団として、常に様々なタレントを輩出し続けていました。すげー面白い人たちがたくさんいました。


はてなには、ある一時期(もめ事を核として)わーーーーーっと存在感を輝かせる人と、常に一定の存在感を静かに放ち続けている人の、二つのレイヤーがあるように思いました。そして、いつも変わらず、時には頭を沸騰させながらわーっとたたき合ったり、時には一つの話題で盛り上がったり、時にはわれ関せずで自分の好きなことを語ったりしているように見えました。

当時、「はてなの方を向いて」書いた記事は、実は結構な数あります。というか、ブログ自体の話が絡む記事は、大体はてなの話題に影響されて書いたもののような気がします。

例えばこの記事。

何故Webで揉め事が盛り上がるかというと

当時は、id:Marco11さんとか、id:hashigotanさんが話題になることが多かった時期だったと思います。そのあたりを考えながら書いたらMarco11さんご本人からブコメを頂いて、結構びっくりしたような記憶があります。

この辺の記事も、それぞれ、その時期にはてなで起こっていた騒動を見て書いたものだったように思います。

「個人的な問題でも一般化したい病」について
ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」というラベルで救済するのはそろそろやめにしようよ


こうしてはてなを観測しながら、私自身もはてブを始めたりもしましたが、はてなでブログを書いて存在感を出せる気は全くしませんでしたし、手斧が飛び交う中で自分が生き残れる気もしませんでした。その考えは今から振り返っても全く正しかっただろうと思います。だから、私は今でも、たまーにこうしてはてなの方を向いてお喋りをしながら、seesaaでブログを書き続けています。いやまあ、seesaaで存在感を出せているかどうかは全くの別問題なのですが。


そうして10年が経ちました。


当たり前ですが、コミュニティは生き物なのであって、変化し続けないコミュニティは死んだコミュニティ以外存在しません。はてなも、外から眺め続けている限り、常に変化し続けているように見えます。そして、もめ事の頻度、性格、規模なんかも、昔とは随分変わってきたように思います。


昔の方がよかったなあ、とは正直あんまり思いません。昔のダイアリーでもはてブでも、色々面白い面があると同時に、山のような問題もあったと思います。ベクトルが多少変わっても質量は近似しています。


ただ、あの頃からずっと変わらず、楽しそうにブログを書き続けているはてなの人たちを見ていると、私は何か安心するのです。人が入れ替わり続けても、総体としては変わらず「はてな」であり続ける。そして、その中でも、いつまでも変わらない熱量(多寡はともかく)で書き続けている人もいる。

そんなはてなを見ていると、私ももうしばらく、だらだらとseesaaでブログを書き散らしていきたいなー、と。

そうして、私が昔はてなからたくさんの「考え方のヒント」をもらったように、私も誰かにヒントを与えることが少しでもあるといいなあ、と思うのです。
posted by しんざき at 19:46 | Comment(1) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
死にたい
Posted by at 2015年11月09日 12:06
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