2015年12月09日
「分かりやすい悪役がいる話が実はデマないし偏向だった」という現象に名前をつけたい
悪役観測者問題とでも言うべきでしょうか。
こんな話を観測しました。
【大幅訂正】「水害対応の残業代で高給にならないようにしよう」と言った常総市議員はいなかったのか? Ver.2.0
毎日新聞;市職員、9月分給与100万円超も 水害対応で、残業最高342時間 /茨城(魚拓)
常総市の市議会議員の方が、「ボランティアもいるのに、災害対応で市職員が多額の給与をもらうのはいかがなものか?」と発言した、というニュースが最初にあって、それで一部の方ががーーっと吹き上がったところ、実際の答弁の動画をみたらほぼ真逆の内容でしたよ、という話です。
今回は、常総市の市議会議員の方が、結果的には「わかりやすい悪役」に仕立て挙げられた例と考えてよいかと思います。毎日新聞の描写は若干微妙なので意図的かどうかは不分明ですが、実際の答弁を最初から最後まで見れば、100人中93人くらいは「この表現はおかしい」と考えるレベルでしょう。こういう検証が簡単にできるようになったことは僥倖という他ありません。
このエントリーで言いたいことは、下記の4点だけです。
・「要約」という錦の御旗のもと、情報が偏向することは珍しくもなんともないことです
・メディアは、常に「分かりやすい悪役」を作る、という誘惑にさらされ続けています
・とはいえ、「分かりやすい悪役」を作りたがるのは別にテレビや新聞だけじゃないですから、「これだから○○新聞は」とか短絡するのも考えものです。ネットのメディアとかも相当色々やってます
・だからこそ、発信元がどこかに関わらず、「分かりやすい悪役」が含まれた情報の取り扱いには細心の注意を払うべきです
以下は補足になりますので、忙しい方は上の4行だけ読んでやってください。
順番にいきましょう。
・「要約」という錦の御旗のもと、情報が偏向することは珍しくもなんともないことです
まず前提なんですが。
良い悪いの問題ではなく、一般的に、報道の内容が100%事実を伝えられないのは当たり前のことです。
「事実をすべて、過不足なく伝える」というのは、言うのは簡単ですが、実際にやろうとするとものすげえ難易度が高い技です。例えば議員さんの答弁の内容を正確に伝える為には、それこそ今回のように、動画からテープ起こしした内容を一言一句そのまま載せるしかありません。紙面にそんなスペースはありませんし、記者や編集者にそんな時間はありません。
その為、記者や編集者は、ある程度元情報を要約して、必要な部分だけ取り出して紙面に載せることになります。ここまではごくごく当たり前のことです。
問題になってくるのはそのあと。「要約の加減・方向性」です。
今回、標題の日立市の件に関しては、分かりやすくファウルラインを超えた内容になっているとは思いますが、通常、「この要約はおかしい」と断言出来るケースはそれほど多くはありません。元の文言の内容や言い切り具合にもよりますが、多くの場合、「うーん、まあそういう風にもとれなくはないけど、ちょっとこのニュアンスはどうなんだ?」とかそういう程度になリ勝ちです。これについては、正直なところ、発信者の感覚や判断基準に多くの部分が委ねられることになります。
「ちょっとこのニュアンスはどうなんだ?」というのがある程度積もると「偏向」とか「ねつ造」といったラインに足突っ込むことになるんですが、明確に元情報と矛盾していない限り、明示的なアウト判定を出すのは難しいです。
これは飽くまで程度問題であって、多くのケースで「受け取り手の解釈の問題」と言われてしまうことになるんですよ。こういう場合、書き手の責任を追及出来るかはちょっと微妙です。
もちろん、情報の発信者には、なるべく情報を「誤解を伴わない」内容に整形する責任があります。とはいえ、我々情報の受け取り手の方でも、「意図している・意図していないにかかわらず、元情報はある程度整形された形でこちらに届く」「整形された情報は、元情報と同一ではなく、場合によっては偏向している」「整形前の情報にリーチする為にはひと手間必要」ということは、自衛の為に、当然の前提として把握しておく必要があるのではないかと思います。
・メディアは、常に「分かりやすい悪役」を作る、という誘惑にさらされ続けています
上記の話とは別に。
これは一般論として言ってしまっていいと思うんですが、そもそもメディアは「悪役を作りたがる」ものなんですよ。
何故なら、遍くメディアは、「より影響力を高める」為に、「多くの人に反応してもらえる」情報を流したいから。そして、「悪役」が明確に存在する情報は、読者ないし視聴者に非常に反応してもらいやすいから。
早い話、「悪役がいる話」は、「手っ取り早く反応を稼ぐ方法」として非常にお手軽なんですね。
昔、その辺についてエントリー書きました。手前みそですが、リンクを貼っておきます。
「分かりやすい悪役がいる話には一見で飛びつかない」ルールを皆様導入するべき
で。
「明らかな悪役」が存在する話は、発信する側にとって幾つもメリットがあります。
・「悪役を糾弾する側」として、間接的・ないし直接的に立場を強めることが出来る
・読者・視聴者の強い反応を得ることが出来、影響力の増大につながる
・話が大きくなった場合、追及検証等、追加で扱えるネタになる
他にも細かいところは色々あると思いますが。これらだけでも、発信者にとっては魅力的な要素揃いです。垂涎といっていいです。
私自身、かつて報道者寄りの立ち位置にあったものなので、この辺の感覚は正直わかります。言ってしまえば、「ファウルラインを超える恐れさえなければ、報道者はどんどん悪役を暴きたい」んですよ。
誤解を招かないように言っておきたいんですが、「悪役を見つけて糾弾、批判すること」自体は、メディアや報道機関の重要な役割の一つですよ。それ自体は批判されるようなことではありません。この記事自体、「悪役を見つけて批判する記事」ですしね。
が。その「悪役見つけたい欲求」が、上の項目で挙げた「要約」と良くない方向で結びついてしまった時、意図してかどうかはともかく、「本来であれば悪役と言えない人が悪役になってしまう」現象が発生したりするんです。これは、時には「間違っている訳ではないけれどニュアンスの違い」だったりしますし、時には「偏向、ないしねつ造」だったりします。
これが、私が考えるところの「悪役観測者問題」です。
・とはいえ、「分かりやすい悪役」を作りたがるのは別にテレビや新聞だけじゃないですから、「これだから○○新聞は」とか短絡するのも考えものです
ちょっと話が変わります。
元記事の反応の中には、「これだから新聞は信用出来ない」とか「これだからマスコミは信用出来ない」といった、シンプルなマスコミ批判に落とし込んでいらっしゃる反応が多くみられます。
今回、元記事を載せるに至った毎日新聞はもちろん批判されてしかるべきなんですが、これが「単純に既存マスコミを悪役にする」方向に流れてしまうのは若干危険です、ということは書いておきたいです。
何故かというに、「要約をポイントにした悪役作り」は別に新聞やテレビの専売特許ではなく、Webの様々なメディアもそういった手法は縦横無尽に駆使しているから。むしろ、気を付けなくてはいけないケースは、新聞やテレビ以上に多いかもしれません。あんまりいうとブーメランになりそうですが。
これも何度か書きました。一つエントリーを挙げておきます。
歪曲報道を批判する、その口で情報の歪曲を行っているのは何のギャグなのか
以前程は見なくなりましたが、「Webで真実に目覚めてしまった人」というのは、かなり厄介な部類の思考疾患に当たります。既存の情報源に信用できない部分を見つけたからといって、即違うものを頭から信用してしまうのは、ピラニアから逃げてワニの口の中に飛び込むのとそれほど異なりません。影響力を稼ぐことによるインセンティブは、Webメディアの方がより即物的である場合が多いのであって、Webメディアの情報についても重々注意しなくてはいけないことは自明かと思います。
「その情報を流したのが誰か」は大きな問題ではなく、「その情報は、元情報とどれだけかい離しているか」「その情報は、元情報に当たらなくてはいけないような性質のものか」という二点にこそ、気を付けなくてはいけないのではないかなーと。
・だからこそ、発信元がどこかに関わらず、「分かりやすい悪役」が含まれた情報の取り扱いには細心の注意を払うべきです
以前の記事でも書きましたが、重要なのは、
・発信者には、「分かりやすい悪役」を作りたいという欲求が常にある、ということを把握しておくこと
・「分かりやすい悪役」が含まれた話は、受け取り手にとって非常に頭に血を登らせやすく、拡散されやすい情報だということを把握しておくこと
・だからこそ、「分かりやすい悪役」を観測した時は、脊髄反社で反応・拡散する前に、本当にそれが妥当な情報なのかを慎重に考え、確認しないといけない、ということ
上記の3点なのではないか、と私は考えるわけなのです。
「分かりやすい悪役」というのは、発信する側にとっても、受信する側にとっても魅力的なものです。我々は、何かに怒りを向けるという行為に、ある種の快感を覚えるようになっています。そして、自分が表明した怒りについて、他の人に共感をもってもらうことも気持ちがよいものです。
ただ、だからこそ、それによって「悪役にされた」側が、本当に悪役だったのか、ということは慎重に判断しないといけないのではないかと。「誤った悪役」が拡散された時の被害というものを、スマイリーキクチ氏の例を見るまでもなく、我々は承知している筈です。
それこそ、単に「発信者を悪役に」仕立て上げれば済む話ではありません。我々自身が「悪役」にならないように、我々は自衛するべきです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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(追記と訂正 15/12/09 12:24)
スマイリーキクチ氏のお名前をスマイリーオハラ氏と誤記していたのを修正いたしました。
大変失礼いたしました。
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少し話がずれますが。個人的に、発信者も受信者も分かりやすい悪役を求める状態を。「水戸黄門コンプレックス」「勧善懲悪病」「RPG脳」と呼んでいます。
不倒城さんのこのジャンルについての記事は何時も楽しく読ませて貰っています。
ただ、一点気になった部分としては、答弁をフラットに聞いた時の感想が、本当に「100人中93人」レベルの明白さで「分かりやすくファウルラインを超えた内容」を構成するかと言う点があります。
この様な「炎上」にならない限り、地方議会の答弁が大勢に検証されると言うのは、まあ有り得ない仮定では有りますが、若しそれを達成出来た場合、大勢の感想は「結局どっちを(何を)言いたかったんだ」辺りに落ち着くのでは無いかと思われます。
遠藤議員の論旨で大部分を締めるのが、過剰労働による職員の労働負担問題と、一時的に過大な残業代の支払いを受け取る事による社会保険料負担の増大問題等で有ることまでは大多数の衆目の一致するところでしょう。
しかし、「何の為に(或いは誰の為に)」「どの様な問題意識と解決方針を企図して」この様な質問を行ったかについては、非常に発散したあやふやな状態になってしまっているのでは無いでしょうか?
それは、この質問を周囲で聞く者の印象についても同様です。
質問の最初に「市民の間でかなり話題になっている〜」、そして最後に「公務員というのは、市民の為の奉仕者であるというのは、やはり市民の一番の考えであると思いますのでその辺少し考慮して〜」を持ってきてしまったのは、本意はどうあれ、心象に与えるインパクトとしては無視出来ない部分が有ると考えるからです。
(繰り返しになりますが、遠藤議員の本意とは無関係に聞き手が受ける印象の話です。)
勿論これは本記事で指摘された「要約」に絡んだ問題でもあるのですが、其れ以上に、「元々の答弁の意図は(誰にとっても)やや分かり辛い」と言う単純な状態でも有ると思うのです。
(この「分かり辛さ」を解読する為には本来、遠藤議員のこれまでの発言や政治信念、今現在の常総市の党派性、市議会のパワーバランス、市内世論の実際の空気感、議事全体でのコンテキスト等々、私達部外者では把握しにくい様々な要素が必要な筈です)
ただし、現状この答弁を「改めて」読んだ人間の印象が「100人中93人」レベルになっていると言う点に関しては実感としてもその通りだと思います。
ですが、本来なら(勿論これは私の推測、思い込みですが)「100人中60人」や「100人中70人」程度でもおかしくない印象のバラつきが「100人中93人」と言った極端な状態となり「メディアの『要約』は明白にファールでは無いか」と言う意識・意見を創りだしている事については、やはり別のバイアスを意識せずにはいられません。
(この事については最初のtogetter内で纏め主も考証している部分では有りますが)
つまりは「悪役を間違えた罪悪感により、『間違い』を導いた別の悪役を希求している」「『間違い』のミスを帳消しにするために、『デマ』(に近い)が有った事にしたい」と言う、人間としては当然の反応についても思いを馳せずにはいられないのです。
この部分は本記事の後半部分にも繋がる話かと思われます。
敢えて知見を追加させて頂く部分が有るとするならば「『悪役見つけたい欲求』は間違いなく我々に存在する、ただし『悪役を指摘した責任』は別の人間(組織)にとらせたいと言う欲求も同時に存在する」と言ったところでしょうか?
私達は現実認識の方針として「分かりやすい悪役がいる話が実は(自分の)勘違いだった」よりも「分かりやすい悪役がいる話が実はデマないし偏向だった」を選んで(好んで)しまう。
凋落を叫ばれながらも旧来メディアが、そして嫌悪を叫ばれながらも一部纏めサイトやバイラルメディアが、参照され引用され、そして何かの度に引き合いに出され続けるのも或いはこの辺りの心理が関係しているのかもしれませんね、現状ただの妄想ですが。
因みに今更ながらタイトルの課題に言及させて頂くと、個人的には「忠臣蔵シンドローム」辺りを押したいと思います。
情報発信へのハードルが下がったのは、いろいろな意見やアイデアが集まりやすくなったことでもあるので、問題を解決する上では大きなアドバンテージを得た筈なんです。
しかし、それが単なる悪役探しに使われるのは残念でなりません。