2007年05月28日

受験テクとしての論文の書き方、のお話

言及して頂いた様なので、私も補足してみよう。
「だまされていたけど、真実に目覚めた私」と言う自分語りをレポートの技術として使う、というのは、少なくとも私にはないし、私が受けた論文指導にもない。

もう一つ、「憤りを感じる」というテンプレも、私が受けた論文指導からはあり得ない。

もっともだと思うのだが、私が言及した「受験テクとしての論文の書き方」は、Wallersteinさんが想定している「論文の書き方」とはおそらく根本的に異なっていると思う。もうちょっと具体的に書いてみよう。

要は予備校での小論対策で何を教えているか、というのが問題。まあ、私が10年前くらいに受けた講義や、その後の4,5年で時折触れていた講義のレベルが低かっただけなのかも知れんが、一応アレ大手予備校なんだよなあ。

まあ「論理的な整合性」とか「独創性」なんてものは当然出てくる前提として。ちょっとうろ覚えだが、テクニック的なものというと、

・「90分で綺麗にまとめる」ことを最優先とする。その為、学生に幾つか「書きやすい類型」みたいなものを用意させておく

・客観的な議論だけで終わらず、自分の主張を結論として明確に出す。その為、感情的な部分はふくらませて書く様にする

・問題文があった場合、その主張をくみとる。かつ、主張がくみとれたことを採点者に知らせる為、主張の内容は明確に記述する。

こんなことを言っておった。特に二つ目、要は「主張と言っても、時間内に客観的主張をまとめるのは君らには難しいだろうから、多少感情的な論調でもとにかくおおげさに書いとけ」みたいなニュアンスだったのだな。テクニックとしての有用性に関しては賛否両論あるだろうが、そこの部分には当時も「はーー?」と思った覚えがある。

これが一般的な小論対策だったのかどうかは正直よく分からん。最近はどうなのか、という点もよく分からん。ただ、マイナーな予備校のマイナーな講義でなかったことは確かである。

私が通っていた大学でも、受験論文が染み付いた学生の書くレポートは、教授には不評だった。ただこれって、「大学論文と受験論文のずれ」というだけの問題じゃなく、結構色んな場所で顕在化し得るずれの様にも思うのだな。少数派多数派という意味では、件の学生さんが書く様な文章の方が多数派なんじゃあるまいか(良し悪しの問題ではなく)。

こちらの話はまたいずれ。


posted by しんざき at 16:43 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
つい横から感想。

その講義に興味がなく、そして単位が欲しいと
思っている学生の、レポートに対する
戦略を考えると、

・全くこれといって感じたことはないが、
単位のことを考えると
その講義、テキストから自分は何かを
学び取ったと教授にアピールしたい

・つまりテキストを読む前と後、
ビフォーアフターの差について
なにかしら表現したい

・しかしほんとうに興味がないので
アフターを高いところに持っていけない

・となるとビフォーをかなり低い位置に
設定して強めにアピール

・「目からうろこでした!」

‥というのが自分を振り返るとわりと
普通なんですが。

なんというか、進歩史観?違うか。

もはや技術というよりも、
最低限の努力でなんとかお茶を濁す手段
ですね。

でも、同じような意味で
いろんなアンケートの集計結果とかを
見るにつけ、「回答者はそもそもこの
質問に興味を持っているんだろうか?」
というところが気になったりします。
Posted by や at 2007年05月28日 23:55
>やさん
>・となるとビフォーをかなり低い位置に
設定して強めにアピール

あーあるあるある、と全国の大学生が同意しそうな気がしますですね。

>「回答者はそもそもこの
質問に興味を持っているんだろうか?」

アンケートについては、質問形式によっては「そもそも興味をもっていない人は回答しようともしない」という荒療治というか、質問集積テクみたいのが存在するそうです。回答傾向にバイアスをかけるときにも使うみたいですけど。

http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20070529/1180417435

こちらで、やさんのコメントについても取り上げられてたみたいです。
Posted by しんざき at 2007年06月01日 09:15
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