「思ったことは、思ってるだけじゃなくて、ちゃんとお話しようね」がしんざき家の家訓になりつつあります。
ちょっと前ですが、こんな記事を読みました。
ケンタロウの唐揚げレシピで我ながら上出来だわー旨いなこれーって思ったし、子供は揚がるそばからつまみ食いしていくし、喜んでいるように見えた。でもいざ晩御飯の皿に入れようとすると「いらない、美味しくない、お弁当にもいらない、オリジンの唐揚げが欲しいのにもう作らないで」と言い出した。なんかもう、何が悪いのか知らないけど、衣は市販品より薄いけど味が特別劣っているとも思わないのに、心がメキメキ折れる音が聞こえたし、我が家で唐揚げが作られることはもうないだろう、悲しい。
この増田のご家庭や教育方針に口出しするつもりは全くないです。仮にしんざき家でこういうことが起きたら私や奥様はどうするかなー?と思ったので、ちょっと書いてみます。
1.親からも、「自分がその言葉で傷ついた」ということをきちんとお話する
当たり前のことなんですが、人間、傷ついたり衝撃を受けたりすると、感情的になるか、あるいは内にこもらせてしまいがりです。
どんな人間関係でもそうなんですが、「察してもらう」というのは基本的に無理ゲーだと、少なくとも私は考えています。人間はエスパーではありませんので、人が何を考えているかを読めません。当然、「自分が何を考えているか分かって欲しい」というのも非常に分が悪い賭けです。
思いは、言葉にしないといけません。そして、言葉はきちんと伝わる形にしないといけません。
怒っている時、怒りをしまいこんで相手に気付かせようとするのは、大変効率が良くありません。かといって、感情的に怒鳴り散らすだけでも、「なんか怒っている」ということは伝えることができても、一番肝心な「どうして自分は怒っているのか」ということを、特に子ども相手には伝えられない場合があります。
となると。子どもの言葉で何かに傷ついたとしたら、まずは冷静に、「自分は、何故、どういう点で傷ついたのか」ということを子どもに説明してあげるところからはじめるべきじゃないかなー、と思います。
言葉は怖いものです。時には人を喜ばせ、感動させることができますが、時には人を大きく大きく傷つけ、場合によっては病や死に追い込むことすら出来ます。言葉の怖さというものは、「君の言葉で、私はこんなに傷ついたんだよ」ということを伝えてあげないと学ぶことが出来ません。
言葉にしないといけない。不安を、不満を、感謝を、好意を、ねぎらいを。言葉にしないと伝わらない。
これ、子ども相手に限りません。夫婦間含め、どんな場合でもそうだと思います。そして当然のことながら、「傷ついた理由、怒った理由を話す」というのは、一方通行ではいけません。相手からも、いつでも、傷ついた理由、怒った理由を真剣に聞いてあげなくてはいけません。小さな子ども相手でも何にも異なりません。
こういった「不満や不安や感謝やねぎらいを、するっと言葉にして相手に伝えることができる人間関係」を、日頃から築いておくというのが大事だと思うんです。
しんざき家では、とにかく「ちゃんと言葉にしよう」というのを、奥様にも、子どもたちにも口すっぱく言っています。特に子どもは感情を上手くコントロールすることができないので、言葉にするにもエラい時間がかかることがあります。そういう時は、とにかく待つなり、じーーっと抱っこするなり、割と辛抱が要ります。ただ、教育の成果なのか、最近はちょっと時間が経てば、自分の感情をだいぶ上手く言語化できるようになってきました。
基本的に、子どもの言葉をきちんと聞いていれば、子どもも結構真剣に大人の思い、大人の言葉を聞いてくれるようになる、ような気がしています。勿論色んなケースがあるとは思いますが。
ちなみに、矛盾するようですが、「察する能力」というのはそれはそれで、あるに越したことはないとは思います。ただ、「察する能力」というものは、「察する練習」からではなく、きちんとしたコミュニケーションあってこそ身に付くものだと私は考えていますので、上記のスタンスが「察する練習を奪っている」とは私は考えていません。
2.普段、「料理は作ってくれた人からのプレゼント」という言葉を教え込んでみる
ちょっと元URLを失念したんですが、ちょっと前に、どなたかのブログで「料理は作ってくれた人からのプレゼント」ということを教えてあげたら、子どもが残さず食べるようになった、というような内容の記事を読みました。
これしんざき家でも、料理を残すことが多い長女次女に教えてみたんです。「ご飯はママが作ってくれたプレゼントなんだよー。長女ちゃん、自分がプレゼントあげたのに、いらなーいって言われたらイヤでしょ?」と。これ、本人的にかーなーりー刺さったらしく、以降相当頑張ってご飯食べるようになりました。次女なんかは、時折「ままのぷれぜんとだよね!」という言葉も言うようになりました。余程胸に残ったんだと思います。
4歳になるかならないか、くらいでした。「プレゼントをあげる」という概念を身に着けたばかり、という時期も良かったと思います。これが、例えば小学校に上がった後であれば、あそこまで刺さらなかったかも知れません。勿論刺さる子もいれば刺さらない子もいるでしょうが、素敵な概念なので広まるといいと思います。
何はともあれ、ご飯は大事だし、ご飯を作ってくれた人に感謝をするのは更に大事なことなので、今後ともことあるごとに教え込んでいきたいと思います。
以上、「しんざき家でもし同じようなことが起きたらどうするかなー?」というだけの記事でした。
以下は関連エントリー。
感謝を、労いを、好意を、親愛を、不安を、不満を、言葉にしなくてはいけない
仕事でPDCAサイクルを回せている人は、夫婦間でもちゃんとPDCAサイクルを回した方がいいような気がする