少し前、長男(8歳)と一緒に「リアル宝さがし」のイベントで町中を歩いている時、彼とこんな話をしました。
以下、会話は記憶頼りなので、細部はかなり適当。
長男「結構歩くねー」
私「歩くねー」
長男「歩いている時にさ」
私「うん?」
長男「元気な時は遠くを見て、疲れてきたら近くを見るといいんだって」
私「ん?いいんだって、って誰かに聞いたの?」
長男「えーと、どうだっけ?そうかも。自分で思ったんだったかも」
私「けど、どうして?遠くを見ると目にいいってパパが言ってるから?」
長男「うーんとね。遠くの物は、歩いててもなかなか近づいてこないでしょ」
私「そうだね」
長男「近くの物は、歩いててもすぐ通り過ぎるでしょ?」
私「うん」
長男「だからね、元気な時は遠くを見てれば、どっちに行けばいいか間違えないし、疲れてきたら近くを見れば、こんなに進んでるーあとちょっとだーってなると思うの」
私「なるほどなあ」
感心しましたし、結構汎用的な話だと思うんです。
長男自身、どこかで聞いたのかそうでないのかあやふやな話らしいので、既出話かもとは思うのですが。
「疲弊してきた時には、手近な達成感がモチベーション維持の為に案外重要になる」というのは、普遍的な話です。
疲れてきたら、近くを見る。景色が次から次へ流れていく。これだけ進んでいるんだ!という達成感が沸く。人間、なんだかんだで「どれだけ進んでいるか」を具体的に感じられると、結構頑張れるものです。
例えば仕事をしている時も、疲弊して頭がごちゃごちゃしてきた時こそ、タスクを小分けにして、とにかく手近なところから片づけていく。それによってピンチが乗り切れること、全然珍しくありません。
一方で、大事なのは「元気な間は、遠くを見続けていること」だと思うんですよね。
余力は十分にあるけれどまだ目標達成までに距離が遠い、という時、警戒するべきなのは具体的なゴールを見失うことです。システム開発で言えば、要件の拡散・非具体化、曖昧なゴール設定、目標管理の失敗などがこれにあたります。
疲れた時に近くしか見えなくなったとしても、多少余裕が出来た時点で、もう一度遠くに目を戻すようにするのって、案外抜け勝ちだと思うんですよ。疲れた時のテンションのままでいろんなことをやってしまった時、ふと気づいたらちょっと道がずれていた、ってこと意外とあるんですよね。
元気なうちこそ、きちんとしたゴールを見据えて、そちらへのルートを見失わないようにする。これ大事。
で、「疲れた時に近くを見る」だけではなく、「元気な時は遠くを見ておく」という部分を省略しなかった長男は、身内褒めで恐縮ですが、結構大事な部分がわかっているなーと感心した次第なのです。まあ、本人に今聞いてみたら、「そんなこと言ったっけ?」と言われるかもしれませんが。
大事な部分がわかっているかどうか、という点では、大人も子供も案外変わりません。時には父親である私が、子どもたちから何かを教えられることもあります。
私が知っていることを、子どもに伝える。けどそれと同じくらいに、子どもから教えてもらえる部分については、子どもから受け取る。
そうやって、今後とも、親子関係を営んでいければいいなあと思っています。
今日書きたいことはそれくらい。