2016年05月27日

レトロゲーム万里を往く その131 ぎゅわんぶらあ自己中心派2


イ ナ ヅ マ ヅ モ!!!(効果音つき)



「脱衣麻雀ゲームの系譜」という話は、それこそ万里を4回くらい使わないと終わらない訳ですが、世の中には「脱衣ではない麻雀ゲームの系譜」というものも当然存在するわけです。

恐らく、コンピューターゲーム業界における「ちゃんとした麻雀ゲーム」の元祖は、1981年アーケードの「ジャンピューター」になるのでしょう。ちなみに、この「ジャンピューター」を開発したのは、後に「ワールドヒーローズ」などで著名になるADKことアルファ電子です。ある程度高齢の方は、ADKと言われてもわからないけれど「アルファ電子」と言われるとピンとくるそうです。

その後、かのニチブツが「雀豪ナイト」で脱衣麻雀への枝分かれを行い、脱衣麻雀が一大勢力を築き始めた前後も、非脱衣型の麻雀ゲームの進化は続いていました。

1983年に産声を上げた、ファミリーコンピューターの「麻雀」や翌年の「4人打ち麻雀」。SNKの「麻雀教室」。シャノアールの「プロフェッショナル麻雀悟空」。セガの「麻雀戦国時代」。

時代を下るにつれ、例えばCPUが色々な思考ルーチンを持ったり、キャラクターによって手筋が変わったりと、麻雀ゲームはよりリアルな方向に進化していきました。


そんな中。同名麻雀漫画を題材にした「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、ゲームアーツによって、PC-8800をプラットフォームとして生まれました。


漫画としての「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、片山まさゆき先生の出世作であり、オリジナルの個性的なキャラクターに混じって、時には時事ネタ、時には他の人気漫画、時にはテレビ番組だの歌謡曲だの、様々なパロディキャラクターを麻雀漫画の中に登場させまくった作風が著名かと思います。

ぎゅわん自己の魅力は、言ってしまえば「突拍子もないキャラクター達が、突拍子もないシチュエーションで、突拍子もない麻雀を打つ」ということだったと思います。持杉ドラ夫はその名の通りの豪運で、勝ち過ぎの金蔵は第一ツモで字牌カンを連発し、バッドハンドは手牌にクズ牌ばかりをもってきて、北家ケンシロウは北家神拳を使いこなして敵と戦っていました。


早い話、「ぎゅわん自己」は、後の「ノーマーク爆牌党」などとは異なり、はちゃめちゃ麻雀を旨としたコメディであったわけです(時にはちゃんとした闘牌もありましたが)。不動産麻雀(牌が「居住場所・駅からの時間・築年などの条件になっており、上がると家賃ただでその家に入居出来る)とか、就職活動麻雀とか好きでした。特に不動産麻雀、あれ実際にやったらかなり面白いような気がする。

そんな「ぎゅわん自己」がゲームになった時、麻雀ゲームに何が起こったか。


それは、「キャラクターごとに異なる「能力」が麻雀に持ち込まれた」ということだったのです。


そう、それはもしかすると、「能力バトル麻雀」の源流。



「ぎゅわんぶらあ自己中心派」。1988年11月11日、アスミックよりファミコン版発売。1990年12月には「「ぎゅわんぶらあ自己中心派2」が発売されており、私が主に触っていたのはこの「2」の方でした。

Gambler Jiko Chuushin Ha 2 (J)-1.png


当時、「リアルな麻雀」というお題目の元、公平な配牌・公平なツモを前提としていた他の麻雀ゲームと異なり、「ぎゅわん自己」ははっきりと「キャラクターによって配牌やツモが偏ります」と断言していました。単に「cpuがやたら強い」という麻雀ゲームは既に多くありましたが、キャラごとにツキの方向性が異なり、しかもそれを明言しているというのは、恐らく「麻雀ゲーム」全てを見渡しても初の試みだった筈です。


原作で強いキャラクターであれば、明らかに強い配牌、強いツモが。

原作で弱いキャラクターであれば、明らかに弱い配牌、弱いツモが。


例えば、原作では「半荘で一回もムダヅモをしない」ということを自らに課しているという「ゴッドハンド氏」であれば、文字通り一切ムダヅモがない、ツモって不要な牌を切っているだけで自然と上がっているという、無茶苦茶な麻雀を打つことが出来ます。(ただし、何らかの事情で一回でもムダヅモをしてしまうとその能力が消える)

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例えば、原作では「第一ツモから4回連続で字牌をカンする」という滅茶苦茶な豪運を持っている「勝ち過ぎの金蔵」であれば、配牌時点で手牌に字牌があふれることになります。

Gambler Jiko Chuushin Ha 2 (J)-6.png

こんな手を上がるのもごく簡単。

Gambler Jiko Chuushin Ha 2 (J)-7.png


まあ、金蔵もゴッドハンド氏と同じく、一度でもロン上がりされるとツキがどかっと落ちてしまうわけですが。(これも原作準拠)

上記二人程極端ではありませんが、原作通り良配牌と良ツモを欲しいままにする持杉ドラ夫、ツモの良さが光る引若丸、意味不明な鳴きをしまくるタコ宮内、上がり役を宣言してしまうE.Tなど、自分で使う時もCPUを相手にする時も、原作通りの個性あふれまくるキャラクターが満載です。

勿論、プレイヤーは「指導者なし」にして通常の配牌・ツモにした上で原作キャラと戦うであるとか、ツキ自体を無効にすることも可能です。ただ、やはり「ぎゅわん自己」の華は、「このめちゃくちゃなゲームバランスで、各原作キャラの麻雀を楽しむ」というものだったと思います。

これは、飽くまで「キャラクター漫画を麻雀ゲームで再現しようとした」が故の解答でした。テクモの「キャプテン翼」と同じように、「原作再現」を麻雀でしようとした時に、既存の麻雀ゲームの方向性を一切捨て去る。ツモや配牌の偏りを、ナチュラルにゲームシステムに取り込んでしまう。これは一つのパラダイムシフトであったでしょう。


ですが、当時の麻雀ファンは「ぎゅわん自己」をプレイしてこう思ったのです。「あれ、これ結構面白いぞ?」と。


自分で「強いキャラクター」を使って、対戦相手をなぎ倒すのには、ごくシンプルな爽快感がありました。あるいは、ソニーくんやマスターのような普通のキャラクターを使って、強い対戦相手を倒すのには、ある意味パズルのような戦略感がありました。

金蔵を相手にする際には、字牌を絞って鳴きを止め、金蔵から狙い打ってツキを落とすのが絶対条件でした。ゴッドハンド氏相手であれば、鳴きに走って一手でも早く聴牌しなくてはいけませんでした。

麻雀が元々出来る人にも、そうでない人にとっても、「偏りがあるからこその面白さ」というものがそこにはあったのです。もしかするとそれは、後の「兎」や「咲」のような、「キャラクターごとに様々な能力を持っている」という「能力麻雀」の源流であったかも知れません。


キャラクターものがジャンルに何かを持ち込む、という意味では、対戦ゲームに「キャラ差」を持ち込んだ、「キン肉マンマッスルタッグマッチ」に近いものがあったかも知れません。この「ぎゅわん自己」は、麻雀ゲームというジャンルにおいて、決して小さなタイトルではなかったのです。

人気シリーズとなった「ぎゅわん自己」は、後にスーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジン、セガサターン、プレステなど、様々なゲームハードでその姿を見せることになります。



私自身は、この「ぎゅわん自己2」が麻雀への入り口でした。脱衣麻雀ではなく家庭用麻雀ゲームが入り口になるという、もしかするとゲーマーからの麻雀ルートとしては少数派の方かも知れません。


ちなみに、「何をきっかけに麻雀に入ったか」というのはもちろん人それぞれだと思うのですが、「麻雀漫画をきっかけに麻雀を始めた」という人もかなり多いと思います。

個人的には、片山まさゆき先生の漫画で麻雀に入った人は、わりと上達が早いような印象があります。一方、「哭きの竜」や「アカギ」のような、「主人公が物凄い異能雀士」という漫画で麻雀に入った人は、ちょっとそれを引きずってしまうような印象があるのですが、まあそれは余談。最近麻雀に興味をもった人に、「嶺上開花という役は、忘れていても不都合が発生することは殆どない」ということを教えると何故か腑に落ちない顔をされるのですが、これは咲現象とでもいうのでしょうか。


ということで、長々書いてまいりました。最後に、「片山まさゆき先生の絵が30年前と比べても殆ど変わってないのは本当に物凄い」という私見を述べて項を閉じたいと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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