2007年06月04日
ふと思いついて、「毎日更新」でぐぐってみた。
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%9B%B4%E6%96%B0&ie=UTF-8
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わーすげー。
何が凄いかというと、毎日更新をわざわざ標榜している人の数。Webにあふれる「毎日更新」の標語。自然な習慣でもニュースサイトでもなく、看板に「毎日更新」とでかでか書き付ける理由がよく分からない。一体なんだ、その主張は。
結果的に揶揄になっちゃいそうだけど、そもそも何故「毎日」なのか。更新っていうのは、つまり自分の頭の中身を落書き帳に吐き出すことだろう。何故それが、24時間などという人工的なピリオドに支配されるのか。吐瀉物は吐きたい時に吐くもんであって、24時間に一回定期的に搾り出すもんでもないだろうに。
「日記をつける」ことが「良い習慣」だとされていた文化っていうのが、かつて日本のどこかにあった様に思う。今日から日記をつける、と子供が決意すると、あら感心ねと褒める、みたいな。
「日記をつける」ということに対する良いイメージがどこから来るものなのか、そのルーツに関しては正直よく分からない。夏休みの宿題に「絵日記」がつきものだったことは想起されるが、こちらはつきつめてみると面白そうだ。
そして、その文化の延長線上に、「日記を毎日続けることは良いこと、偉いこと」という意識が残留しているんではあるまいか。言ってみれば夏休みの絵日記心理だ。
それが「日記を書くなら毎日書かないといけない」という妙な義務感に転化して、更にはアクセス数などの面倒な問題も絡みついて、今我々の眼前にある様に私は感じる。
まあ、宿題やる前の小学生でもあるまいに、わざわざ声を大にして「毎日更新するぞー!」と叫ばんでもいいんではないかな、とか。っても余計なお世話だろな、とか。

この記事へのトラックバック
確かに毎日更新っていうのを「すごい!」と捉える考え方は根強いですよね。自分もまじめにサイトを更新してたころはそう思ってました。
日記文化ってのは日本だけではないでしょうけど、それが格別よいことだとするのは日本だけ/日本に強く見られる傾向なんでしょうかね
毎日更新がすごいのは、継続は力なりが評価されているのではありますまいか。ということは、毎日ゲームしている私も褒められてよいのではありますまいか。
>確かに毎日更新っていうのを「すごい!」と捉える考え方は根強いですよね。
そうですねー。更新すればいいってもんでもないとは思うんですが。
日記の位置づけが国によって違うのかどうか、ってのはちょっと分かりません。面白そうなのでそのうち調べてみます。
>Zhao師
>本邦には平安時代くらいに輸入されたんでわないかと勝手に予測。
いわゆる「日記もの」が隆盛したのはそういえば平安時代でしたなー。土佐日記とか。
>毎日ゲームしている私も褒められてよいのではありますまいか。
私も毎日ゲームしてますけど誰も褒めてくれません。思うに希少価値の問題かと。
継続は力なり、だったら別に「毎日」じゃなくてもよさそうな気もするんですけどね。
毎日ご飯を食べている人より少ないはずです。
ただただ生きているだけの人よりはえら……いやいいです、ごめんなさい。
で、ふと思ったのですが、毎日更新に対抗して、毎半日更新とか掲げてみてはいかがだろうか不倒城。
午前に一回、午後に一回。
>で、ふと思ったのですが、毎日更新に対抗して、毎半日更新とか掲げてみてはいかがだろうか不倒城。
うちのブログは規則性とかそーゆーものを二光年くらい先においてきてるので厳しいものがあります。
汝が真実でれっつ実現。