以下の文章は、タイトルから想像出来る水準を更に15メートルくらいぶっちぎってくだらない話である為、読めば読んだだけあなたの時間を無駄にすること請け合いである。少しでも自分の時間を大切にする人には、下記の文章を読むことをお勧めしない。
この文章をまとめると
・不知火舞の胸揺れは、「既に露出することで存在を主張している胸が、更に揺れる」ということで、二重の自己主張という非常に「しつこい」ないし「押しつけがましい」胸揺れになってしまっている
・鮮烈な印象はギャップ効果からこそ生み出されるものであり、本来主張されていないものがさり気なく主張される、という形が望ましい
・つまり、「胸揺れ」という表現を使うのであれば、胸それ自体は隠すべきである、と強く主張したい
以上三行になる。読者諸賢にはご了承頂きたい。
まずは、参考資料として下記動画をご覧頂ければと思う。
餓狼伝説2の頃からの不知火舞のグラフィックの進化を記録しているという、人類の歴史上非常に有益な動画であって、製作者の方には敬意を表したい。
上記動画を暫く見て頂けると、当然のことながら不知火舞の胸揺れ表現がどのように変遷してきたか、ということも理解出来るであろう。
餓狼伝説2・ガロスペ時点では、顕著に胸揺れ表現が観測できるのは勝利ポーズ時のみであるところ、KOF'94以降は普段の立ちグラフィックから揺れまくっていることを見てとって頂けるのではないかと思う。全体的に言って、餓狼の本シリーズよりも、KOFやカプエスなどのお祭りゲームの方が、より舞の衣装の露出が上がっているということも同時に確認出来る。
ここで問題としたいのは、特にKOFなどの舞で顕著なのだが、舞の胸揺れ表現が非常に「押しつけがましい」ものになってしまっているのではないか、という問題だ。
そもそも、ゲームやアニメにおける「胸揺れ」表現というものが、キャラクターの動きを胸に仮託することで、胸の存在をより一層強調するものであることは論を俟たないだろう。
自然に胸が動くことによって、視聴者の視線を胸に集める。動きがない状態よりも動きがあった方が注意をひきやすいことは、カエルが餌を捕食する際動いていないものを視認できないという例を挙げるまでもなく、生物の本能としての常識である。
それに対して、ゲームやアニメには、「水着その他の露出度が多い衣装を使ってキャラクターの肌色度数を上げる」という表現も存在する。こちらも同じく、露出度が上がった肌色部分に対して、特に男性読者の視線を集めやすくする効果を持っていることは、今更いちいち議論をする必要もないところであろう。
早い話、描画表現において、「胸を揺らす」という表現と「露出度を上げる」という表現は効果が被っているのである。相乗効果というものの存在を否定はしないが、本来あるべき「ギャップ効果」というものを台無しにしてしまうのではないか、というのが私の持論だ。
一目瞭然であるが、不知火舞というキャラクターの衣装の露出度はもとより非常に高い。餓狼2の時点でも大概だったと思うが、KOFなどではその傾向がより一層顕著になっている訳である。
そこに対して、更に「露骨な胸揺れ」という表現手法を追加した結果、我々は、いや少なくとも私は、「ほーら露出度が高い胸が揺れてるぞー。見ちゃうだろー」という、製作者のあけすけな意志を感じてしまうのだ。これが、私が「不知火舞の胸揺れは非常に押しつけがましい」と感じる理由である。
これが例えば、「普段は露出度が低い衣装を着ているキャラクターが、たまの水着姿で揺れる」というのであれば、その表現を受け入れるにやぶさかではない。衣服を着ている状態では胸が大きいことに気付かれていなかった、などという状況であれば更に言うことはない。
が、不知火舞というキャラクターは、単体で既に「格ゲー女性キャラの露出度アップ」の象徴のような高露出度キャラクターである。ゲームをしている限り、彼女は24時間体制で露出度が高い。そこにギャップ効果など生まれようがなく、表現上非常に勿体ないことをしてしまっているのではないか、とすら思えるのだ。(同じことは、例えばデッドオアアライブなどのような3Dゲームにも言える)
私は提言したい。つまり、
「揺らすなら隠せ」
と。
普段露出度が低い、うっかりすると胸の存在を忘れがちな頃に、ふとした胸揺れ表現によって鮮烈に印象づけられる胸の存在。それこそがプレイヤーに対して、強烈なギャップ効果をもたらし得るものになり、その胸揺れ表現の尊さが増すのではないか、と私は考える。
例えば私は、同じSNKキャラで言えば「麻宮アテナ」のグラフィックを非常に高く評価しているのだが、
こういった露出度が低い、更に言えば胸自体の存在感も控えめであるところに、わずかな胸揺れ表現がつく。そういったところにこそ、人は感動とやすらぎを感じるのではないだろうか?(シリーズの一部タイトルの勝利ポーズでは揺れていた筈である)
普段強調されないものが、ふとした瞬間にクローズアップされる。そういった表現こそ大いに尊ばれるべきである、と、つまり私が言いたいことはそこに尽きるのだ。
ちなみに、アテナのグラフィック自体は、個人的に'95時点のものが至高ではないかと考える。残念ながら、'95ではアテナに胸揺れ表現らしきものはなかった筈である。更に付け加えると、同じくSNKのサムライスピリッツでは、初代サムスピでのみ、ナコルルの時間切れ負けポーズに胸揺れ表現があった筈である。そういった表現については大きく称揚して然るべきであろう。
ちなみに、「実際には胸揺れ表現はなかったんだけど、もしこのキャラにさり気ない胸揺れがあったらすっごい感動したのになあ」というキャラ代表は、天外魔境真伝の絹です。よろしくお願いします。(ここだけ敬体)
ということで長々と書いてきた。結論については既に最初に書いてあるので、ここでは単に、このブログをしんざき奥様も観測しているという事実のみ記して結句としたい。
今日書きたいことはこれくらい。
互いが互いを成立させている関係で、どれが欠けても個々が相対する存在を失ってそれぞれ魅力が半減するものではないかと。
単体では「安易に見せすぎ」「無駄に勿体ぶってる」「無闇に隠し過ぎ」で終わってしまうと思っています。
別物と考えたほうがいいでしょうねえ
とにかくKOFのほうは下品ですし、餓狼龍虎のキャラを自分たちの制作したオリキャラのかませにし続けた前科があるんで同列に扱ってもらいたくないです
昔、海外のゲーム雑誌に、海外版餓狼伝説で不知火舞のドット絵の胸揺れが削除され腹を立てたユーザーの投書が載っていたが、奥ゆかしさもへったくれもないパイオツ表現だからこそ世界のゲーマーの心を動かしたのだ。
甚だ残念です。
不知火舞の乳揺れを一時間ループ再生してから再考した上で猛省しなさい。
このような過ちを放置したままブログを継続するなど許されることではありませんよ!恥を知りなさい!
従って、「アテナ」は永えにその美しさにおいて優越を示すであろう。
「露骨なストレートから玄人気取った変化球まで両方揃えた」というセレクトは
完全に正しい作り方だったということなんだな・・・。
実際この手のお色気要素って、格闘ゲーム以前は指折り数えられる程度にしか存在しなかったような。パッと思い浮かぶのがフェリオスくらいですが、他に何があったかな。
美しいまま、セクシーさ女性らしさを持ったまま強い。
これって女性にとっても魅力的だと思うのですけど。
アテナが居て舞も居る
多様性こそ素晴らしい