今から始める話は、女性の胸囲に関するものすっっっごく下らない話でして、読めば読んだだけ皆さんの時間を無駄にすること請け合いです。無駄な時間の在庫がかなりあって困っている、という方以外はブラウザの×ボタンを押してください。多分右上の方にあると思います。
大変遺憾ながら、世の中には「女性の胸囲について特定の嗜好をもっている男性」という人種がいまして、早い話いわゆる巨乳好きと貧乳好きというふたつの派閥があります。
観測範囲の問題なのかも知れませんが、私が知るかぎり「巨乳好き」派閥はかなりの一枚岩に見えます。彼らは、細かい好みの差こそあれ、大筋では「女性の大きな胸は素敵ですね」という確固たる統一された価値観でまとまっており、そこに大きな分裂は見受けられません。
ところが一方、私が知るかぎり、貧乳派閥には大きく分かたれた二つの派閥があります。
つまり、「ピュア貧乳好き」と「貧乳コンプレックス好き」です。
以下、統計的な要素はぶったぎって話を進めます。
前者は、純粋に「小さな胸」ないし「小さめな胸」が好き、という派閥です。外観、美観を含め、比較的純粋に胸それ自体を追い求めているように見受けられる為、彼らには「ピュア」の称号が冠せられています(民明書房調べ)
一方、後者は「小さな胸に対して何らかのコンプレックスをもっている女性の姿」ないしそのコンプレックス自体を愛好している、という、冷静に考えるとかなり変化球な嗜好です。彼らは、女性の小さな胸それ自体というよりは、「自分の胸の小ささを気にしている女性」に対してより強く傾倒します。「自分の胸を大きくしようとして頑張っている女性」などは、彼らの嗜好の対象として非常に一般的なものです。
勿論、二つの派閥の間に完全に互換性がないわけではなく、「前者寄り」「後者寄り」「ピュアとコンプレックス好きの真ん中くらい」という層もそれぞれ存在はするのですが、この「貧乳コンプレックス」というものが、貧乳好き派閥の中でかなり大きな要素になっていることは間違いありません(私調べ)。
「巨乳に対してコンプレックスを持っている女性」に対する愛好というのは、勿論あるのですが、そこまで多く観測できるわけではありません。少なくとも、「巨乳コンプレックス」が巨乳好き陣営の中でそこまで大きな存在になっているようには見受けられません。細かな好みのうちの一系統、という風に見えます。
つまり、「コンプレックス」が大きな要素を担っているかどうか、という点で、巨乳好きと貧乳好きは非対称なのです。
これは何故なのか。
私が考える理由は、「存在と非存在の差」です。
つまり、「巨乳好き」陣営には、「大きな胸」という具体的な実体をもった嗜好の対象がある。なので、その実体自体が嗜好の中核となり得るし、実際にそうなっている。
が、「貧乳好き」陣営は、要するに「ない」ことが嗜好の中核です。「ない」ものは、その実体が嗜好の中核になりにくい。
なので、「ない」上で、その実体を確たるものとして認識している層と、認識出来ない層、ないし認識が曖昧な層がある。そして、認識出来ない層は、ある程度精神的なものにその嗜好の中核を求めざるを得ない。
なので、「貧乳を気にしている」「貧乳を恥ずかしがっている」という、あたかも精神的な特徴のような要素を嗜好の中核にしている人が存在しているのではないか、と私は考えるわけです。
要は、「貧乳」という言葉を、純粋に「胸の形状」として捉える層と、「精神的な特徴」として捉える層がいるのではないか、というのが私の自説なのです。
「巨乳好き」と「貧乳好き」は、全く同じ系統のプラスとマイナスのようにくくられがちではありますが、本来全然別の軸をもった別の好みであって、単純に比較出来るようなものではないのです。単純に比較するのであれば、「巨乳好き」と「ピュア貧乳好き」を比較しないといけない。
そこが混同され勝ちな状況は、実は結構大きな問題なのではないか、と思い今回ペンをとった次第です。皆さまのお考えはいかがでしょうか。
全っっっっ然余談なんですが、エロマンガなのかエロ小説なのか、出展がどこなのか知りませんが、「小さな胸の方が感度が良い」とかいう俗説なのか都市伝説なのか、意外とそういう信仰を持っている男性がいるように思います。あれ、なんかそういう根拠とかってあるんでしょうか。以前知人と、「単なる都市伝説だ」「いや、何らかの統計があるに違いない」「そもそも感度とは何か」といった気持ち悪い激論になったことがあるんですが。どなたか、ご存知でしたら教えてください。
ということで長々と下らない話を書いて参りました。言いたいことはだいたい言ったので、ここでは単に、このブログをしんざき奥様も観測しているという事実のみ記して結句としたいと思います。
今日書きたいことはこれくらい。
情報のご提供ありがとうございます。
参考に致します。
「もうちょっと大きくならないかな…」と思ってるくらいが好きですね
胸?だから何なのよ?ってレベルなら尚良
細かく指定するなら30代事務員、メガネで地味目のショートカット
メガネを取るとそこそこ美人だけどオシャレに興味なし化粧も最低限
一線引いての外受けがいいが、地の性格はキツイほうが良いね。
感度についてですが、基本的に変わらないと思います。
女性が安心していれば感度に胸の大小、技は関係ないんじゃないかな。
ただ、重要ポイントだけ攻めてりゃ良いなんて淡白なプレイでは感じないでしょうね。
抱きしめたり全身撫でたりして、盛り上げてからだと全然違いますよ〆
貧乳でも乳首が黒ければ無視する。
コンプレックス好きな精神性なんて無い。
ほとんどがロリコン。
あと、乳が垂れている母親を嫌う罰当たり。
あと、貧乳好きはロリコンと言いがかりをつける糞野郎が一定数居ますが、貧乳派は膨らみかけではなく膨らまなかった乳が好きなんです‼
成人女性がスーツを着たときのまな板のような胸部を愛してるんだと声を大にして言いたい。
全面的に賛成です。
>つまり、「巨乳好き」陣営には、「大きな胸」という具体的な実体をもった嗜好の対象がある。なので、その実体自体が嗜好の中核となり得るし、実際にそうなっている。
実体自体が嗜好の中核となり得るという理屈がよくわかりませんね。なぜ?と思います。まあこれはたぶん大きな胸は目に見えてるんだから単純に魅力的だよねーという話なんだとは思いますが…。でも実体があるからといってそれが嗜好の中核になるとは限らないケースもあるのではないかと思います。
>が、「貧乳好き」陣営は、要するに「ない」ことが嗜好の中核です。「ない」ものは、その実体が嗜好の中核になりにくい。
これは違うと思います。この場合の「ない」ことというのは、胸がないという意味だと思いますが、貧乳というのは胸が「ない」のではなくて胸がちょっと「ある」ことだと思います。なので、その実体は「ない」のではなくて「ある」のだと思います。貧乳という実体が「ある」ので、それもまた嗜好の中核になっていくでしょう。
私は、巨乳好きにも貧乳好きにも、純粋に形状として好きだという層と精神的な意味で好きだという層、あるいはその両方を持っている層がいると思っています。しかし、巨乳好きには精神的な意味で好きだとする層があまりいないのではないかと私も思います。
その理由を私はこのように考えています。それは巨乳の方が価値があるとされている世の中だからです。大きいということは豊かさの象徴であるとか、もしかしたら西洋的な価値観が表れているのかもしれません。アジア人よりも西洋人の方がグラマラスな身体ですから。目がぱっちりしている、鼻が高い、肌が白いといった西洋的な価値観に知らず知らずのうちに影響を受けているのではないかと思っています。そういえば江戸時代以前の日本では、胸はエロスの対象ではなかったという話を聞いたことがあります。
ところで私自身、巨乳と貧乳どちらが好きかと問われれば、どちらかというと貧乳好きなのですが、形状として好きなのか精神的な意味で好きなのかと言われると迷います。たぶん両方だと思いますが、まだ女性の胸の大小によるコンプレックスなんて思いもよらなかった小学校高学年や中学時代からすでに胸はあまり大きくない方が好きだったという記憶があります。すっきりしてる方がいいよな、むしろ胸よりも顔だろなんて思っていました。大人になってから、貧乳に悩む女性に対してアンニュイな魅力を感じるようになりましたが…