ゲームキャストさんで、こんな記事を読みました。
おっしゃっていることは首肯することしきりで、
「あのゲーム、好きなのに人気がない!」というあなた。「自分の好きなゲームは儲からずに消えていく」というあなた。嘆いている暇はない。全員揃って好きなゲームのレビューを投稿したり、Twitterで面白さを語るべきだ。島本和彦先生の「シン・ゴジラ」ばりにポジティブに面白さを語れば、あなたの言葉はゲームにとってプラスになる。
大事なことだよなあ、と思うわけです。
以前から何回か書いているんですが、何かのことを「好きだ!」と表明するのって、リスクばっかり大きくって、その割に自分に対するリターンは少なくって、だからこそ大事なことだと思うんですよね。
作者さんのところに声が届くっていうのもそうですし、どこかの誰かが、それを見て「自分の好きなもの」に興味をもってくれるだけでも、それって素晴らしいことだと思うんですよ。shinzaki / しんざき
RT @shinzaki: 好きな漫画や、好きなアニメ、好きなゲーム、好きな音楽、なるべく「好きだ」と言ってあげてください。ブログでも、2ちゃんでも、ツイッターでもなんでも。今の時代、そういう声ってめぐりめぐって、結構作った人のところに届くもんだから。そういう声って絶対無駄にな… at 08/25 04:14
で、だからこそ、私は「好き」を表明するハードルなんて、低ければ低い程いいとも思っているんですが。
残念ながら、世の中には「自分が嫌いなものを、他人がほめていることが許せない」という人たちが結構いるようで。
冒頭、ゲームキャストさんのコメントを見てちょっと「うーん」と思ってしまったんですが、
さっそく悪意を増幅するような書き込みをして本当に申し訳ないのですが、さすがに書き込まずにはいられないので。いったい、ゲーキャスさんは、いつから、Cygamesの宣伝屋に成り下がったんですか?グラブルのことなんてなかったかのようにCygamesのゲームをひたすら持ち上げるゲーキャスさんがもう信じられないというか、スマホゲーム界の良心がまた一つ失われた気分というか、なんと言っていいのか・・・もう、もう・・・・
とか、
どんなゲームにも熱をもって接するユーザーはいるものです。人の居ないゲームで熱を持った少数ユーザーの個々のツイート内容を出して「このゲームは熱い」なんて仰っていると、メディアとしての信頼を失いますよ。
とか。
ただたんに「このゲームが面白い!」と言っているだけの記事に、なんでこんな言葉を吹き付ける人がいるんだろうなあ、と。大変に面倒くさい人たちだなあ、と。他人の「面白い!」を、一体どういう根拠で否定しようとしているんでしょうか、と。
まあ、読んでいるとCygames憎しの人で、Cygamesが運営しているというだけでそのゲームを敵視している人のように見えますけれど、「自分が嫌いなものが褒められている」ことくらいスルーしてあげられないのかなあ、と。
「自分が嫌いなもの」を自分で批判するのは全然問題ないと思うんですよ。それは尊重されるべき一つの意見です。
「自分が好きなものを批判されている」ことに憤ることも、それもまあ、程度にもよりますがある程度仕方ないとは思うんです。
ただ、企業ですらない一サイト運営者が、自分が嫌いなものについて「これが好き」と言っているからって、大目にみてあげられないもんなんでしょうか。それくらいの余裕ももてないもんなんでしょうか。
「これが嫌い」というなら、それこそ自分で「これが嫌いだ!!」とブログでもなんでも書けばいいと思うんですよ。別に、他の人の「好きだ!」にわざわざ水をぶっかける必要はない。
こういう人たちが、何かを「好きだ!」ということに対するコストを上げて、Webから「○○が好きだ!」というテキストを減らしているんじゃないか、とすら思います。それ、結果的には誰も幸せにならないと思うんですよ。
うちみたいな辺境ブログですら、ベタ褒めエントリー書くと大体20に1か2くらいは「俺が嫌いなものを褒めるな」っていうベクトルの非難が来ますからね。よくよく見逃せないんだなあと。
不倒城は、そういう「俺の嫌いなものが褒められているのが許せない病」の人にも負けずに、これからも褒めたくなったものをベタ褒めし続けたいなあ、と思います。そして、そういう人が増えていってくれればなあ、と思う次第です。
「好きだ!」ということのハードルが、可能な限り低くなることを。そして、Webが「○○が好きだ!」というテキストを気楽に放流出来る場所になることを、願ってやみません。
今日書きたいことはそれくらいです。
ライブドアブログに独自ドメインを設定しただけのサイトですが、サイトのデザインだけは立派だし、勘違いしていそう。
>>dazz_2001メディアにはある程度の客観性というか批判的な視点が必要なのでは?
一個人が運営してるサイトでこんなこと言われたら、泣きたくなりますよ……。
40歳台ゲーマーのハートにくるものがある
現実世界で例えるとサッカー部の部室に入り込んで「なんでお前らサッカーなんてしてるの?野球のほうが面白いじゃん!サッカーはプロになっても年収低いし大型契約できる選手なんてごく一部で現実味がない!それに大会も甲子園に比べたらサッカーなんて視聴率も低い!だからサッカーなんてやめて野球しよう!」
これとほぼ同じことをしてるわけですが現実でこんなことを言う人はまずいないんです
だからネットでも同じように考えられればいい話なんですが何故かできない人が多発するんですよね
更に見えない相手だからどれだけ傷つけても罪悪感を感じない人も多いんだろうなと
相手からの反撃や反論はほとんどないしガードもたやすいですからね
ネット社会は人を凶暴化させてるように感じます
PS4アーカイブできたら是非入れてほしいなあ。リメイクでもかまわないけど、OPはあのままにしてほしい。
見事なブーメランですね
自分もですけど
好きだと書くこと、嫌いだと書くこと、どちらもコンテンツへの注目度が上がるので、基本的にはコンテンツにはプラスに働くんですよね。
だから、嫌いなコンテンツをこの世から消し去りたい、ダメージを与えたいと思っているなら感想を書いてもダメで、盛り上がっている人に冷水をぶっかけ、しらけさせるのが一番効率が良いってことです。
大勢がそれぞれ自分の望む空気を作るためにあらゆす手段を堂々と使うってのが常識化してしまってるわけだね
その果てにあるのは叩ければなんでもいいというヘイト主義とそれに伴う「意見」自体への信頼度の低下で既に現在進行形でそうなってるんだけども。例えば褒めても批判しても「そうやって煽りたいんでしょ?」ってドライに見られるようになっていると…
『「自分が嫌いなものが褒められている」ことくらいスルー出来ない人』をスルー出来ないその感情そのものが
『「自分が嫌いなものが褒められている」ことくらいスルー出来ない』と相似してるんじゃないかなぁとも思いました
その正体はきっと「正義感」なんでしょうね
どっちも
犯人は被害者を、警察は犯人を、それぞれ攻撃しますが
警察は「スルーできない」わけじゃないですから。
このゲーム面白いという発言を、純粋に「面白い」という感想に捉えず「つまらないものを売りつける為の宣伝」と深読みするわけで、その根拠が「自分がつまらないものは皆もつまらないはず」なんだろうなと。
その「あるもの」が自分の嫌いなものの場合、似たようなものが増えると鬱陶しい。
許せないというよりは、嫌いなものが増える危機感みたいなものからの行動かも?
有名サイトが特定の企業を褒めている、癒着だという話題があったくらいです。
有名ブロガーなどは個人での運営をしているにも関わらず、名前が知れ渡っているサイトが特定のものを褒めていると何かしらあったのではないかと感じる人が多いのではないでしょうか?
本当は自分たちが勝手に話題にしているだけなのですがね…
>警察は「スルーできない」わけじゃないですから。
この考えは間違っているし何より傲慢です。
このブログの筆者さんは警察ではなく、立ち位置としてはただの野次馬なのですから。
「○○が好き」はポジティブな意見だから批判はやめてよというのは自分勝手だと思う。
互いにどうして好きなのか、どうして嫌いなのかを語り合うことで見えてくるものもあるでしょう。
でも、問題となっているコメントは「私は嫌いだ」ではなく「好きと言うな」なんですよね。
仕方ないね
ここで話をしているのはおそらくもっと感情的に反応してしまう方々のことかと思いますよ
批判というよりもイチャモンや理不尽な感情論のような
「俺の嫌いなもの」が心底憎んでいるレベルというならわからんでもないんですが、「俺の好きなものじゃないもの」レベルでわざわざ嫌いアピールをされても困るのですよ。
自分が好きな物にネガティブな意見するなって人種
レビューなんかで低評価にいちいち反論したり、書くなとか嫌なら止めろって言うやつ、
自分が好き!面白い!って思ったならそれだけ書けばいいのに
だとしても、「嫌なら止めろ」に関しては正論でしかないと思うわ。 嫌いなものはスルーすればお互いにWin-Winだしわざわざ関わってくるな。 関わった結果お互いが損してるだけじゃんか。
特に不特定多数相手の濃淡も無視して、批判者=悪というのは、正論ではなく暴論でしかない