2016年08月31日

「報酬が出れば、お金目当ての人が来るかもしれない」という一言に見る「無償の熱意信仰」について

Twitterで、いのちの電話についてのこんな話を拝見しました。

元ツイートは、こちらの方のツイートですね。すいません、ツイート引用したら引用記事の画像表示がめちゃくちゃ大きくなってしまったんで、リンクでご勘弁を。いのちの電話の人手不足の話題の他、確かに記事中に「報酬が出れば、お金目当ての人が来るかもしれないと質の低下を懸念」という文言が確認できます。

はやい話、元記事は「お金目当ての人」を単純に落として、「お金目当てではない人」を無条件に持ち上げている文章のように見えます。

いのちの電話は、ボランティアであるどころか、相談員になる為に有料の講義を受ける必要がありますね。受講料は4万5000円かかるようです。人の生き死ににかかわる仕事ですから、きちんとしたスキルが必要なのはわかるんですが、決して安い値段ではないですよね。

下記は相談員の募集ページ。


これ、ある程度一般化しちゃっていいと思うんですけど、「報酬目当てではない、自発的なやる気、熱意」みたいなものを、なぜか無条件に「報酬目当てのやる気、熱意」よりも高く評価しちゃう意識、って結構あちこちで見られるような気がするんですよ。報酬が出ないというのにやりたいというのは、これはよほど熱意があるに違いない!という感じの意識ですかね。

「お金目当てではなく、お金抜きででもやりたいという人の方が誠実であり、熱意があり、信頼できる」という信仰。「無償の熱意信仰」とでも言うべきでしょうか。


確かに、「無償でも奉仕する」という熱意、ないし自己犠牲精神は尊いものだ、とは思います。そこを否定するつもりはありません。それに、もちろん「いのちの電話」について言えば、そもそもお金が入ってくるような事業ではないので、現実問題無償の相談員に頼る他ない、という事情は多分あるんでしょうけど。


それでも、「報酬が出れば、お金目当ての人が来るかもしれない」というテキストについては、私はちょっと疑問を感じます。そもそも、「お金目当て」というのはそんなに忌避されるべきものなのか?という話ですよね。


これについては、ご存知の方も多いと思うんですが、漫画「らーめん才遊記」において、芹沢先生が非常に印象的なセリフをおっしゃっています。

芹沢.png

面白いですよね。らーめん才遊記。いや、漫画としては私「らーめん発見伝」の方が好きなんですが、芹沢達也先生のファンブックとしては才遊記の方が優れているかもしれません。本筋ではないんでここでは詳しく書きませんが。

金の介在しない仕事が一概に無責任になるかどうかはともかくとして、「お金が介在してこそ責任が発生する」ということについては、私は芹沢先生のセリフを全面的に支持します。「お金をもらうからにはきっちりやらなきゃな」というのは、私だってそう思いますもん。

そこから考えると、「お金目当ての人」を「仕事を頼む対象」として忌避するのは、それはちょっと妥当ではないですよね。少なくとも、仕事を頼む側としては、「無償で頼む」という以上「無償で頼めること」以上を期待してはいけないと思うんですよ。

もっと言ってしまうと、「なんでそこまで「ボランティア」ってことを神聖視するのかなあ?」と。

少なくとも「不況が長引くにつれて、ボランティアをやめて仕事を始める人が出るなど徐々に減少し」なんてことはお金を出していない以上当たり前のことですし、そんなわかりきったことを前に「人手不足」なんていってるのはちょっと思考回路が春模様過ぎるんじゃないかと考えざるを得ません。「無償で時間を割いてくれる」人は、「無償で時間を割くことが出来る」人がいなくなれば当然存在しなくなります。当たり前です。


繰り返しになりますが、「ボランティア(=無償労働)」自体を否定するつもりはないんですよ。無償で人の為に働いている人たちはえらいなーと思いますし、現実問題そういったボランティアの人々の働きによって支えられているインフラだってある訳ですしね。いのちの電話だって、相談員にお金を払うようなスキームではおそらくやっていけないんでしょう。


ただ、「お金目当ての人が来るかも」という言葉で、無条件に「無償の労働」の方を持ち上げるのは、それはちょっと違うんじゃないかなあ、と。仕事に対して責任を感じる感じないという話でいえば、そりゃ「お金目当ての人」の方がきちんと責任を感じやすいのが当然なんじゃないかなあ、と。そして、本当に人手が必要なのであれば、ちゃんとスキームを考えてでも有償労働の方にシフトするのが本来あるべき姿なんじゃないかなあ、と。


そんな風に思った次第なのです。
posted by しんざき at 12:55 | Comment(8) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
個人的には、らーめん才遊記のセリフの「絶対に」というところには少し異議がありますけど、頼む側が報酬以上のことを期待するのは間違いであるというその通りだと思います。
やった結果に対する評価が報酬でもあるので、絶対的な評価が出なければ仕事のそれなりになりますし、ボランティアでは生活化できないので、おのずと限界ができますしね。
芹沢先生の言葉の異議は「絶対に」が独り歩きして、ボランティア=無責任と解釈する人が出てくるかなぁと思っています。
震災の時などもそうですが、ボランティアだからといって、無責任に活動しているわけではない(責任を負わせるのはよくないですが)ので。
Posted by sparrow at 2016年08月31日 13:32
>ボランティアだからといって、無責任に活動しているわけではない(責任を負わせるのはよくないですが)ので。

そこはおっしゃる通りですね。仕事を受ける側としては、責任をもってやられる側もいらっしゃるだろうと思います。なので「一概に無責任になるかどうかはともかく」とは書きましたが。

ただ、やはり、仕事を頼む側としては、ボランティアであればボランティアとしての期待しかしてはいけない、とは思います。
Posted by しんざき at 2016年08月31日 15:14
テーマからはやや逸れますが、世にも奇妙な物語の「ボランティア降臨」を思い出しました。

無償で働くボランティアだけが賛美される、ディストピアに近いこわい話でしたが、今の世の中はこれに近いんじゃないかなと感じました。
Posted by よしけん。 at 2016年08月31日 16:58
 で、噛みついてる方は行動趣旨には異存無い様だし、手弁当と寄付で賄ってるだろう此のヴォランテア団体に幾分なりとも喜捨為さってるんですよね?
Posted by 甕星亭主人 at 2016年08月31日 17:43
 これ町内会だとか、団地の管理組合などにも通じる話だなあと。

 明らかにシステムが「若くて熱意があって、一人は専業主婦で平日も時間があるし、週末は夫婦とも家にいて奉仕活動が可能である」家庭ばかりの構成員を前提に構築されているんですよ。
 現在の「若い人」って大半が独身で、たまに結婚していてもほぼ共働きで、人数自体が希少で、カレンダー通りの休みが取れる人すらほとんどいないというのに。
Posted by kanata at 2016年08月31日 22:42
私は以前いのちの電話に3度ほどかけたのですが、一度すごくいいかげんな相談役に当たってしまったことがあります。
なにを言っても病院にいけ、私にわかるわけないという旨の受け答え。
もちろん、無償なので彼女を咎めることはできませんが、人によってはあれで追い詰められるのではないかと思いました。
無償であることが誠意と関係するとは到底思えません。

ただ、他の2度はすごく真摯に対応していただいたので、不安定ながらも今の私がいます。
その方達には本当に感謝しています。
Posted by at 2016年09月01日 09:48
本文趣旨は賛成。
その上で、「仮に『賃金』の支払いが成立したら・・・」という前提で考えますと、

(1)「賃金」に対する「成果」が求められるのではないか?
 公金であっても、それを支出する場合は支出する明確な理由なり成果なりを示す必要が出てきます。そうなると、相談件数や利用者アンケートの実施などが必要になるし、妙な話ですが「毎年何かの数値が伸びている」ことを示す必要があるのです。そういうことになると、気軽に相談することができなくなるのではないでしょうか。一回の相談当たりの時間数が制限されるかもしれず、面倒な利用者についてはほかに回す人も出てくるかもしれないし、じっくり相談に乗る相談員については「成果が上がってない」とか言われるかもしれない。冗談でなく、実際にいまの「役所」の「コスト意識」というのは、そういう形で現れているのです。

(2)利用者の「お客様」化
また、相談役が賃金を得るとなると、利用者の間に「お金払ってるから話を聞いてくれる」といった妙な意識を持たせる可能性があり、中には「税金からお金を払ってるんだから話を聞いてもらって当然だ」とか「お金が発生しているのにこのクオリティは何だ!」とか、そういう姿勢を生み出す可能性もあります。イベントなどでも、運営がボランティアとなれば利用者は多少文句があっても我慢しますが、スタッフに賃金が発生するとなると、たとえボランティア並み交通代程度のそれであっても、居丈高に「お金を貰ってるならきっちりやれ」と「お客様」化する人というのが一定いるものです。現状、ボランティアであることによって、そういうクレームから守られている側面もあると思います。

(3)利用の有料化
賃金が公金から支出されるとなると、必ず出てくると思われるのが「一部の人が利用するサービスならば受益者負担にするのが筋ではないか」という意見です。ほかの様々な公的サービスと比較するならば、これはあり得る意見です。
かといって、有料化したら、(1)や(2)に書いたことに加えて、【本当に困っている人が相談するのに躊躇する】ような問題が発生するかもしれません。そうでなくても、サービスの質自体が今と変わってしまう可能性は高いでしょう。

以上の3点から、なかなかこういうケースで「賃金」を支出する方向へと舵を切るのが難しいということは想定できます。なんとかクリアしてほしい問題ではあるのですが。
Posted by at 2016年09月02日 12:32
同調圧力に直結して使われることも多いしなあ
Posted by at 2016年09月02日 16:29
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