正直なところ、結論が出る話でもないんですが。
こんなお話を読みました。
これ、どうしたもんなのかなー、と。妥協案ってどっかにあるのかなーと考え込んでしまいまして。
リンク先のご家庭の場合、最終的に引っ越しをされて、それで事態を収束されたわけですが、引っ越しなんて本来なら最終手段ですし、金銭的、その他の事情で引っ越しが出来ない家庭の場合、これ本当に詰んじゃうよなーと。そういう場合どうすればいいんだろう、と。
先に自分の立場を明示しておくと、しんざきは3児の父です。上が小3の男の子、下が4歳の長女次女の双子。幸い今までは、周囲が子育て家庭ばかりでお互い様だったこともあり、また騒音が大きな問題にならない環境で、泣き声がしんどい時期は過ぎ去りつつあります。ご理解のある周囲に感謝するばかりです。
で、冒頭リンクの話に戻るんですが。
ブコメを見ても、大多数の人は子どもの泣き声に寛容でいてくださっています。それは本当にありがたいことで、実際殆どの場合、子どもの泣き声って許容して頂いていると思うんです。ご許容頂いている皆さま、本当にありがとうございます。
ただ、中には勿論、「そうはいっても騒音は騒音」「自分の子どもならともかく、他人の子どもの泣き声まで我慢出来ない」というご意見もありまして、いや正直、そのご意見もよくわかりまして。
親としては、申し訳ございません、努力してるんですが限界がありまして、なんとかご理解を、という他ないんですが、今回のケースの「隣人」という方も、結局はその辺、どうやっても許容出来ないケースだったのだろうと推測されます。
まず第一に、これは一般的に言ってしまっていいと思うんですが、子どもの泣き声を「完全に」防ぐことは正直不可能なんです。
もちろん、子どもによってある程度個人差はありますし、年齢によってもだいぶ変わってはきますが、少なくとも生後六カ月〜1,2歳くらいの時期であれば、何をどう頑張っても大泣きすることを防ぐことが出来ないケースは頻繁にあるでしょう。3歳くらいから多少コントロールが出来るようになる子もいますが、それだってもちろん個人差があります。
親は勿論、子どもが大泣きしたらあの手この手で泣き止ませようとするわけですが、それにしたって限界があります。乳児の頃なんて躾がどうとか以前の問題ですし、気を引いて泣き止ませようにもそもそも周囲のものを見てもくれない、なんてこと全然珍しくありません。
たとえ気を引くことが可能な子どもであっても、毎度毎度おやつで釣る訳にもいかないですし、ギャン泣きしてる子どもにテレビ見せたってiPad見せたって泣き止まない時には泣き止みません。余程分かりがいいお子さんを育てているご家庭以外、これは大抵の親御さんに理解していただけると思います。
つまり、
「どんなに頑張っても努力しても、子どもの泣き声を防ぐことが出来ないケースはある」
「その頻度は、子どもによっても変わるし年齢によっても変わる」
という二点は、ある程度前提として考えるべきだと思うんですね。子どもは「泣くのが普通」なんです。これ、別に「だから泣き止ませようと努力しなくてもいい」という話でもないですし、「親の開き直り」ととられてしまうとちょっと困ってしまうんですが。最大限泣き止ませようと努力した上で、それでも泣くのがふつう。
リンク先の隣人の方が、それを承知されていたのかどうかはちょっと分かりません。わかっていても我慢出来ないものは我慢できない、ということもあるでしょうし。
その上で。
冒頭リンクのご家庭は、記述内容を見ても、恐らく通り一遍の対策は全てやられたのだろうと推察します。子どもが泣き始めたら窓も閉められたでしょうし、何か気を引こうとも試みられたでしょうし、例えばトイレやお風呂場にこもって防音を試みられたこともあったでしょう。
が、恐らく建物の防音性の関係もあり、それでも泣き声が隣家に届くことを防げなかった。恐らく、ご近所付き合い的にも難しいところがあったのではないかと推測します。
こういうケース、本当にどうすればいいんでしょうね?どこかに「引っ越す」以外の落としどころってないんでしょうか?
・親は泣き止ませる為に最大限努力している
・が、完全に泣き声を防ぐことは出来ていない
・住居の防音性が優れていない
という状態で、仮に
・金銭的、その他の問題で引っ越しも出来ない
としたら、一体どんな解決法があり得るのか。
揶揄ではなく、割と真面目に、「隣人」側に立つ人に「どんな落としどころを期待するのか」というところを伺ってみたいなーと思いました。妥協点って存在するのかなあ。突き詰めると本当に、警察事案になってしまうので何か平和な解決法はないのかと考えてはいるんですが。
今回の件とは直接関係ないんですが、以前、「公共の場で泣く赤ちゃんについて」は下記のような記事を書きました。
頑張って育児をされている親御さんのハードルが、少しでも下がることを願って止みません。
今日書きたいことはそれくらいです。
子供が泣くのは仕方ない、と言ってしまったら子供の存在を許さない以外の解答がなくなる
ということは
泣き声に不寛容な文化、感覚を持つ集団には淘汰圧が作用して、
最終的には泣き声に寛容な人々だけが生存するわけですね。
よかったよかった
ただ、騒音問題で悩む人からすれば、一方的な害を受けているに等しいとも思います。
個人レベルでは、どちらかが大きく妥協しない限り、どうしても解決しきれない問題ではないでしょうか。
お互いに思いやってくれ!あるいは我慢してくれ!というレベルで、自分の思いに閉じこもっているように感じました。
親の立場として自分のこととして、
対策を考えれば
相手がどの時間帯が特に迷惑と感じるのか、とか、
特に何の音が気になるか、とか細かく細かく相手の嫌な思いを聞いていって、こちらの状況を説明し、
できれば対策を一緒に考えてもらって
かつそれでもすり合わせが難しいなら
菓子折りとか、何か申し訳ない気持ちを形にして差し入れるとか。
まぁでも下手に出過ぎて、それで相手との関係が変になっちゃっても困るけど。それは相手次第だから何とも。
クレーム処理としては
直接言いに来てくれたのだから、顔が見られて
「教えてくれてありがとう」とまず言う。
直接顔合わせて文句言われるとびっくりするし怖いという気にはなりますが。まず「ありがとう」で相手のガードが緩む。
結局、「ありがとう」と「ごめんなさい」大事
というとこに落ち着きます。
狭い住宅事情の日本に暮らす限りお互い様だから。
勿論、正直に言えば、住みやすさは、隣人の許容範囲・限度にもよっても変わってきます、ね。
もし泣きやまなかったらキャベツ太郎のファンやめます。
今回のケースでは投稿者の意見はごもっともで、どうやって小さい子は泣くのが普通で、それを防ぐ完全な方法はありません。ただ、隣人がどう聞こえて、どう思ってるのか把握をしていないことが多いです。
隣人にしても、子供は泣くものという前提が欠落しているので、いやらがらをされているという考えに傾向しがちです。
言い方は悪いですが、お互いの無理解によって生じる問題なので、お互いの立場や事情を理解して譲歩させるしかなく、近道はないですし対応もケースバイケースになるかとは思います。
先手先手を打って交渉やら詫びを入れておけばトラブルにはなりにくいでしょうが、半端ない労力がかかりますし、ちょっと現実的ではないと思います。
手っ取り早く解決しようと思うと、司法介入させるしかないので、これは大変な手間ですし、遺恨ものこります。
また、高圧的に出てバトルして、相手にあきらめさせるという方法もあるのですが、これは別のトラブルを引き起こしかねない劇薬なので、とても進められたものではないです(こういう解決をした人もいるにはいます)。
面と向かってしゃべるのは大切ですな
歌い手さんの中には押入れに石膏ボードや吸音材を張り付けて安価に仕上げている方もいるようです。
・慰謝料を払う
対価のない忍耐の苦しさは温厚さに無関係なので。
引越し費用となると一度に数十万が飛びますし新しい生活になじむコストもかかるけれど、月1万円ずつ渡すだけでも違うような。
・子供に情をもってもらう
家にご招待してご馳走でもしてついでに泣いてない状態の可愛さを知ってもらって同情を芽生えさせるとか。
自分ならこのあたりを最終手段の前に試すかな。
これを書いている私も、しんざきさんも、ここを見ている人たちも、ただの一人の例外もなく「そう言う時期を通って来て」今ここにこうしているわけでして。
なら、子供、特に幼児が泣くのはもう「それが自然な事」として割り切るしかない。
ただ、その一方で「だから周りがどう思おうと関係ない、知ったこっちゃない」と親に免罪符を与えるつもりはありません。
「(無理の無い範囲で)やるべき事をやった上で」と言うのは大前提です。
他の方のコメントにケチをつけるようでアレなのですが、私は「相当程度は無理した上で」でないと駄目じゃないかなと思います。
今回でいう隣人側が「無理しない範囲で努力してくれたらいい」と思うのは素晴らしいですが、
努力義務を負っている親の側が「無理しない範囲でいい」と思っていたら、そもそも無理しない範囲での最大値を出せないし、その態度が伝わったら隣人も許容できないと思うんですね。
少なくとも私が隣人なら、毎日泣き声を我慢しているところに「無理しない範囲でやるべきことをやっているんです」では怒りの方が大きくなります。
生まれて死んでいく人間とその社会を否定することですから、
人間のいないところに住んでもらうしかないです。
行き過ぎた個人主義の弊害ですね。
「汝ら罪無き者のみが石持て打てよ」と同じ事です。
だれ一人の例外もなく「そういう時期を通って来て」「周りの人に迷惑(と言う言い方も語弊が有りますが)をかけてきた」んです。
自分がそれを受ける側になってあれこれ言うのは違うのではないですかね。
親の側だって、大多数は常識的に考えうる範囲で周囲に迷惑になるのを軽減しようとしてます。
その上でなお「相当な無理」を要求するのは傲慢じゃないでしょうか。