2016年12月02日

東大駒場キャンパスにニワトリがいた頃のお話

ニワトリがいたのだ。


初めてその光景を見た時、最初はよくその意味が分からなかった。ここは渋谷にほど近い大学のキャンパスであり、時代は現代であるのに、なぜ放し飼いのニワトリが足元をうろついているのだ?



「駒場寮」の話から始めよう。


東大駒場のキャンパスは、渋谷からでも歩いて15分、井の頭線なら渋谷から5分下北沢から5分という距離にある。都会のど真ん中にあるだだっぴろいキャンパスで、キャンパス内では学生だけではなく、散歩に来た親子連れやお年寄りも頻繁に観測出来る。

かつて、東大駒場のキャンパスには、その端っこに「駒場寮」という建物があった。建築は1935年。長い長い時間の内に、建物は老朽化に老朽化を重ね、蔦だらけで一見すると廃墟のようにも見え、私が入学した時にはすでに「いつ倒壊してもおかしくなさそうな物凄いぼろっちい建物」という認識であった。内部にはだだっぴろい部屋が幾つもあり、一部はサークル向けに開放されていた。


「駒場寮」で画像検索すれば、往時の姿を観測することが出来る。「廃墟」という言葉が現役時でも過言ではないことを確認していただけるだろう。



三鷹寮などの他地域の寮が整備されるに伴い、1991年頃から廃寮の計画が進められていたが、居住学生と寮自治会の強い抵抗に遭い、結局強制退去と取り壊しが実施されたのは2001年であった。まさに、私が在学中だった頃の出来事である。

もっとも、私を含めた当時の学生の多くは、駒寮のことを「学生なんだかそうじゃないんだかよくわからない人たちがたむろしている建物」と認識していたように思う。宗教団体が拠点にしている、などという噂もあった。冷静に考えれば、金を持っている宗教団体がわざわざあんなボロ寮を拠点にするというのもあまり必然性がある話ではなく、もしいたとしてもよっぽどの零細宗教団体だったのではないかと今では思うが、まあ「廃墟寸前の怪しげな建物」と認識していた学生が多かったであろうことは確かだ。

「駒場キャンパス」という場所を、よく言えば奥深いものに、悪く言えばよくわからないものにしている鳥ダシのような建物だったと思う。


その周辺にニワトリがいた。


私が認識している限り、当時駒場キャンパスにニワトリは二羽いた。にわにはにわにわとりが、という奴である。リアルに。


正確に言うと、あのニワトリが駒場寮に付属した生き物だったのかどうか、私は今でも知らない。分かっているのはただ、そいつらが駒場寮周辺に居ついているニワトリだった、ということだけだ。

私はニワトリについての知識があまりないのだが、立派なトサカがあった筈なので、恐らくどちらも雄鶏だったのだと思う。そのニワトリは私が1年の時にはすでに駒場寮周辺を闊歩しており、その辺の主という顔で堂々と辺りをうろつきまわっていた。

自分のことを捕食される生物だと全く認識していないことは確かであり、ハトを追いかけまわしたり、猫を追いかけまわしたり、うっかりすると自分よりデカい大型犬をぎゃーぎゃー言いながら追いかけまわしたりしていることすらあった。大型犬は、「なんだこのうるさい生き物は」という顔をしながら、迷惑そうにニワトリから逃げ回っていた。学生を追いかけまわしているところも何度か目撃した。

あのニワトリを目撃して以来、私は「チキン」という言葉を臆病者という意味で使うことに賛同出来ていない。どちらかというと「蛮勇」という意味で使うべきだと思う。


「あれは誰かが飼ってるんですか?」と先輩に聞くと、「いや、多分野生」という言葉が帰ってきた。日本にも野鶏が存在するのだということを、その時私は初めて知った。「卵を取ろうと思って駒寮の人が買ってきたらよく見たら雄鶏だったので放逐された」などという話も聞いたが、恐らく根も葉もないうわさ話であったのだろう。いずれにせよ、彼らのルーツは当時ですら謎であった。

特に誰も名前をつけていなかったようなので、私は彼らに「ジョージ」と「スティーブ」という名前をつけて、時ににらみ合ったり、時に追いかけまわしたり、時に追いかけまわされたりしていた。奴らは強敵であった。奴らは戦友であった。


そんなジョージとスティーブの姿が見えなくなったのは、私が2年の時の冬であったように思う。


私が通っていたのは民族音楽のサークルで、サークルの部屋がある学生会館に行く途中で駒寮周辺を通る。いつもなら、その辺でハトだのスズメだのに対して自分の力を誇示しているジョージがいない。スティーブもいない。


「スティーーーーーーーブ!!」と呼んでも、「ジョーーーーージ!!!」と呼んでも、一向に彼らは現れなかった。もちろん、この名前は私が勝手に彼らを呼称していただけのものであって、彼らが自分の名称だと認識していたという形跡は一切ない。


駒寮の人達が冬寒かったんで鳥鍋にして食べちゃったんだ、という噂があった。

従軍慰安鳥としてコチャバンバ水紛争に出征したんだ、という噂があった。


真相は知れない。いずれにせよ、それ以来二羽のニワトリが駒場キャンパスで目撃されることはなく、彼らの行方も、彼らのルーツも、今となっては突き止める術とてない。


最近ふと思いついて、駒場寮のニワトリの話を探し求めてみたのだが、意外に具体的な情報に突き当たらない。もしかするとこれも、書き残されないままに消え失せようとしている都市の記憶の一つなのかも知れないと思い、本日書き記しておこうと考えた次第である。


かつて、渋谷にほど近い駒場の東大キャンパスに、二羽のニワトリがいたことを。

彼らが、ある冬を境にぱたっとどこかに消え失せたことを。


ただ、その二つの記憶だけ、ネットの片隅に記しておければ幸いである。


posted by しんざき at 17:27 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
私は2015年まで駒場キャンパス近くに住んでいて、駒場キャンパスをたまに散歩していましたが雄鶏はたまに見かけました。
そんな歴史があったのですね。
Posted by at 2016年12月03日 11:40
ヒヨコが育ちすぎて捨てられたってオチじゃね?
Posted by at 2016年12月03日 19:40
ヤギがいた時期もあったような気がする。
Posted by や at 2016年12月09日 07:02
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