2016年12月29日

まなめはうすが存在しない世界で

雑感です。

いや、まなめはうすは「ニュースサイトとしての」まなめはうすが運営を停止されただけであって、ブログとしてのまなめはうすはちゃんと存続しているわけで、そちらはそちらで楽しみにさせて頂いているわけですが。


もう色々言われていることなのかも知れませんが。2016年ほど、「情報取得を他者に依存することの危うさ」を感じた年はありませんでした。

いや、ちょっと違いますね。

正確に言うと、「情報取得を他者に依存している状態であることを、自分で認識していないことの危うさ」と言うべきでしょうか。

はてなブログのもろもろとか。まとめサイトのもろもろとか。キュレーションメディアのもろもろとか。特に2016年後半からは、あっちでもこっちでもGoogleさん何やってんスかというか、パクリ問題とかねつ造問題とか、「低品質な情報流布」と「低品質なのに強制的にアンテナに引っかかってきてしまう問題」が可視化されまくっておりました。

パクリ問題もさることながら、以前なら「興味深い記事」を探す際に役立っていた「はてなブックマーク」が最近本当に有効に動作しなくなってしまいまして、個人的には人気エントリーすら見る意義がなくなりつつある状況です。

どうやって、自分にとって価値がある、あるいは面白い、あるいは興味深い、あるいは妥当な情報を探してくるのか。

シロクマ先生はこのテーマについて、「結局のところ、信頼出来る「人」を探すのが一番である」とおっしゃっておりまして、私もそれに同意するところなのですが。


ただ、シロクマ先生は多分それを含意して書いているとも思うのですが、さらにもう一歩安全装置は用意しておいた方がいいような気が最近はしています。「自分独自の観測範囲」「自分独自の観測ノウハウ」というものは、使うか使わないかは別として、少なくとも持っておいた方がいい。出来ることなら、検索エンジンからすら離れた方法で。

「観測範囲を全面的に他者に依拠している状態」というのは、もしそれを自覚的にやっていない場合、極めて危険です。自分が主体的に情報を観測しているつもりで、実はそれは「他人の関心フィルター」を通した情報しか見れていない、ということでもある。

そしてそれは同時に、「そのフィルターがなくなってしまった時」「そのフィルターが変質してしまった時」に、気づかない内に道に迷っている原因にもなりかねないということでもあるのです。


「他者に依存しちゃいけません」という話ではないんですよ。「普段は他者に依存していてなんの問題も発生しないけれど、時にはそこから離れてみてもいいし、そこから離れて動ける方法は持っといた方がいいかもな」という話なんです。


私は以前、「まなめはうす」「かとゆー家断絶」「かーずSP」の3つのニュースサイトを、主に情報収集の参考にさせて頂いていました。前者二つは現在は運営を停止されております。大変お世話になりました。かーずさんには現在もお世話になっております。

かとゆーさんやまなめさんの観測範囲というものは、もとより私自身が興味を持っている範囲とも大方一致していた、あるいは観測範囲自体がむやみに広かったですし、精度自体も高かったので、情報収集をそこに頼っていてもさして問題が生じなかったのです。というか、少なくとも問題を認識してはいませんでした。


ただ、「興味」というのは固定するものなんですよね。興味を持った情報を集める。入ってきた情報から、新たな興味が形成される。適切なバランス感覚を持ったフィルターでなければ、どんどん視野が狭まることにすらなりかねないかも知れません。

まなめさんやかとゆーさんのバランス感覚は優れていたから、多分あまり問題が生じなかった。ただ、人によってはそのフィルターがもっとずっと偏った、あるいは低品質なものだったかも知れず、それが例えばwelqとか、2chまとめサイトとか、その辺の問題の最も大きなところだったと思うのです。

自分の「主要な情報取得手段」として一部の偏ったフィルターを採用してしまって、かつその状態の危険性に全く気付いていない人、というのはおそらく今でもたくさん、たくさんいるのだろうと思います。


お世話になっていたニュースサイトが停止して、自分で「新しいフィルター」を探し始めた時、「うわ、これはアカン」と思うことが増えました。そして、自分の視野がいかに「容易に偏る状態にあったか」ということにも改めて気づきました。

一つの解決手段として、「なるべく信頼性の高い、かつ複数のフィルタを用意しておく」というものがあり、これはもちろんはてブのお気に入り機能とか、そういうものである程度解決出来るとは思うのですが。

「人に依存しない、自分だけのフィルタ」「自分独自の情報収集ノウハウ」というものは、それはそれで用意しておかないと色々怖いなーとも思っており、言ってみれば自分自身がぷちまなめさんやぷちかとゆーさんにならなくてはいかんのではないか、と、今では私はそんな風に考えている次第なのです。

じゃあ実際その独自のノウハウってなんなのよ?というと、まだ色々模索中です、としか言えない状態なのですが。またもうちょっと固まってきたら色々書きたいと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 12:22 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「シロクマ先生はこのテーマについて、「結局のところ、信頼出来る「人」を探すのが一番である」とおっしゃっておりまして、私もそれに同意するところなのですが。」

細かいことやけど本文にもあったこのことについてひとつだけ言わせてくれへんかな。

シロクマはんは「一番」とは言うてないんやないかな。「手っ取り早い」方法やと言っとるやろ。「手っ取り早い」という表現を「一番」と置き換えるのはちゃうことやと思うんやけどな。
記事にもリンクあるけど一応引用しとくな。

「自分自身にとって本当に大事な情報は、そういった情報を握っている人を探し出し、彼らをフォローしたほうが手っ取り早い気がしてきた。」
「インターネットでは、情報を探すより、人を探したほうが手っ取り早いのかもしれない。」
出典:http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20161216/1481855650

まあ、ネット界隈では「手っ取り早い」=「一番」かもしれへんのやけども、語彙として同義に捉えるのもおかしいし、以下の引用からもそういう捉え方しとらんことは分かるな。

「リアクションが早く、yahoo検索やgoo検索では引っかからないものも拾い上げてくれるgoogle検索は、夢のような道具だった。インターネットを見渡す視界が一気に広がったように感じた。個人サイトのリンク集を“ネットサーフィン”する習慣は、googleを使い始めた頃から無くなっていった。」
「なんにせよ、google検索という機械に頼っていたはずの私は、再び情報源として人に頼るようになっていった。」
出典:http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20161216/1481855650

この書き方やとシロクマはんは当初ネットは人のサイトとかリンクを渡り歩く形でやっとったみたいやな。それから情報収集のメインの方策としてGoogle検索を利用しとったんやな。でも今は検索汚染でGoogle検索はあんま良くないんで、原点に立ち返って人の持ってる情報にアスセスするのがええな、言うんがこの記事の内容やろ。
やからホンマはGoogle検索が正常機能してくれるのがええんやけど、今んとこ対策もなされとらんから有益な情報は人から得る方がええわな、と言いたいと解釈するのが妥当やと思うんやな。人から得る情報収集が一番やったら、Google検索を「夢の道具」とまで言わんやろし、シロクマはん自体Google検索の利便性についての記事も書かんやろしな。

それにシロクマはんは情報は自分で追っかけないといかんという前提やろ。で、その追っかける方法として「手っ取り早い」方法が人を探すことで、その人とのアクセス方法はリンクでもツイッターフォローとか整備する努力が必要や、と提起しとるわけでな。これは今のネット環境で大事な情報は人経由の方が追っかけやすいというのが理由やからな。主体的なんやな。最初からGoogle検索とかでその情報に辿り着ける目算があるならやらん手間やしな。

やからな、情報収集の依存とか、情報フィルターとかは別の問題提起とちゃうやろか。内容盛り過ぎやと思うんやな。
ワシの言いたいんはそれだけや。細かいことやけどな。

Posted by at 2016年12月30日 11:52
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