昔、毎年泊まっていたホテルに「ゲームコーナー」がありました。
「ホテルや旅館のゲームコーナー」というものには、みなさん色々な思い出をそれぞれお持ちのことと思います。ホテルに泊まった時、館内地図に「ゲームコーナー」という文字を見つけた時のわくわく感には、一種独特のものがあります。一体どんなゲームがあるのか、真っ先にゲームコーナーに確認の足を運んでいた人も少なくはないのではないかと思います。
時には見たこともないエレメカに目を輝かせ、時にはUFOキャッチャー数台が並んでいる空間に落胆し。人によっては、「ゲームコーナー」は新しいゲームとの出会いの場でもありました。ゲームコーナーでアフターバーナーIIに出会ったことも、ゲームコーナーでリブルラブルに出会ったこともありました。
幼稚園から小学校中学年くらいの時期ですので、30年は昔のことだったと思います。毎年、東北は宮城の祖父母の家に、夏休みになると家族旅行に行っていました。旅行中、殆どの期間は祖父母の家に泊まっていたのですが、うち2泊だけ、白石蔵王のかんぽの宿に宿泊していたのです。
近くに川が流れている、ホテルと旅館の中間のような宿でした。宿泊エリアとは別に長期療養の人用のエリアのようなものもあり、「ちょっとおさんぽに行ってくる!」と言って部屋を飛び出して、ホテルのあちこちを探検したことを覚えています。静まり返ったホテルの通路を一人で歩き回るのに、妙な高揚感を覚えたものでした。
何故か今でも、そのホテルの通路の匂いだけは鮮明に覚えています。匂いの記憶は、時には視覚よりも聴覚よりも長く残るものです。
そのホテルのゲームコーナーには、卓球台と、ケロケロパックンと、当時ですら古めかしく見えたジュークボックスと、三択を当てるとキャラメルが出てくるエレメカと、そして「スピードレースCL5」がありました。皆さん、スピードレース、ご存知ですか?
「スピードレースCL5」。レースアクションゲーム。タイトーから発売。
元となる「スピードレース」は1974年に発売されたんですが、そのホテルにあったのはそのだいぶ後に出た別バージョン、「CL5」だったことを記憶しています。
大型筐体と通常のビデオゲーム筐体の中間のような機体でして、筐体にハンドルと、ハイローのギアチェンジレバーと、アクセルがくっついているような構造になっていました。アクセルを踏むと自機の赤い車が走りだし、上から凄い勢いで突っ込んでくる(というかこちらが突っ込んでいる)ライバルカーを次から次へ避けまくる、というようなシンプルなゲームです。
動画がありました。興味がある方はみてみてください。音結構迫力があるんですよね。ぶつかった時の「ガガーーーー」みたいな音とか、当時は結構怖かった記憶があります。
ちなみに、ケロケロパックンはこんなエレメカでした。これは多分、ご存知な方結構多いんじゃないでしょうか。結構力加減が難しいんですよね、コレ。
これが、私と「ゲームコーナー」の出会いであり、私とタイトーとの出会いでもありました。また、「見知らぬ誰かとのスコアアタック」を初めて経験したタイミングでもありました。
スピードレースはシンプルなゲームでした。ゲームシステムとしては、「弾が出せずに敵をよけまくるSTG」といってもそれ程支障はありません。しかし、シンプルなだけにその熱中度は相当なもので、私と5歳年上の兄は、そのホテルに泊まる度、親にあきれられながらスピードレースに血道を上げていました。
スピードレースは、ライバルカーを避けまくっていればいる程スコアが上がっていき、5位までのハイスコアが記録されるシステムになっています。当時、ホテルでは定期的に電源を落としていなかったのか、ハイスコアを出すと翌日でもそのスコアが残ったままになっていました。そして時には、私が出したハイスコアが、翌日他の誰かに塗り替えられている、ということが起こったのです。
スコアを出す。抜かれる。抜き返す。知らない誰かとの無言のスコアアタック。それも当時、ゲーセンの、あるいは「ゲームコーナー」の大きな醍醐味の一つだったと思います。ずっと後になって、私は「ダライアス外伝」で同じようなことをすることになります。
やがて、私と兄が成長する内に、夏休みごとに祖父母の家に旅行に行くことはなくなりました。そのホテルに泊まる機会も自然となくなりました。
そして、随分時間が流れました。時代が変わりました。
家庭用ゲームはファミコン時代、スーファミ時代を過ぎPS2やドリームキャストの時代になり、アーケードは格闘ゲームブームもぼちぼち終わる頃でした。私は、とある用事で白石に足を運ぶことになりました。
ホテルの建物は川沿いに残っていましたが、運営会社は変わっていたようでした。通りがかった時に、中を覗いてみました。館内の調度は、記憶に残っているよりずっと新しくなっていました。
館内地図に「ゲームコーナー」の文字は既にありませんでした。昔を思い出しながらホテルをうろついていると、温泉の横の休憩室に、一台の「ジャンケンフィーバー」だけが、まるで奇跡のように残っていました。わざわざコインを入れました。「ジャンケン、ポン!」「アイコデ、ショ!」「アイコデ、ショ!」「ズコー」昔と変わらない展開でした。
今では、ホテルや旅館に泊まっても、館内地図に「ゲームコーナー」という文字を見る機会は随分と減ってしまいました。
それでも。たまに「ゲームコーナー」という文字を見た時は私は相変わらず新鮮なわくわく感に包まれますし、もしかするとそこで見たこともない出会いが待っているんじゃないか、あるいは懐かしい旧友に再会出来るような機会が待っているんじゃないかと、私は胸をどきどきしながら足を運ぶのです。
今でも、これからも、「ゲームコーナー」が一つの出会いの場であり続けることを、願って止みません。
今日書きたいことはそれくらいです。
今ではスーパー銭湯の方で生き続けていますね。
千葉の古いスーパー銭湯のゲームコーナーで脱衣麻雀の筐体を見かけたときは不思議な感動を覚えたものです。