あんまり厳密な話でもないんですが。
サラリーマンをバカにするステレオタイプの言葉の一つとして、「死んだ魚の眼をしたサラリーマン」とか、「通勤電車で死んだ目をしているサラリーマン」というものがあります。
あれが昔からちょっとよくわからないというか、何点か疑問があるんですが、
・「死んだ魚の眼」と単なる無表情を明確に区別することは出来るのか?
・通勤電車では無表情がデフォルトではないだろうか?
・「死んだ魚の眼ではない」と言い切れる人がいたとしたら、その人はよっぽど活き活きした表情をしているのではないだろうか?
・通勤電車でそこまで活き活きした表情をする人がそんなに存在するものだろうか?
えーとですね。まず、私は今まで生きてきて、「あ。この人、死んだ魚の眼をしてる」と思ったことが、今まで一度もありません。
私はそれ程視覚的な感受性が豊かな方ではないので断言はできないのですが、皆さんは割と一般的に「あ、この人は死んだ魚の眼をしてる」「この人は死んだ魚の眼、してない」と判別できるものなんでしょうか?もし何かそういう判断基準があるなら申し訳ないんですが、幾つかそれっぽい画像を検索してみたりはしたところ、「これは単に無表情なだけじゃね?」と思うことが殆どでした。
つまり第一の疑念として、「単なる無表情に、無理やり「死んだ魚の眼」みたいなよくわからないラベリングをしているのではないか?」というものが、まずあります。
で、仮に「死んだ魚の眼」をすることが無表情とそれ程変わらないのであれば、「通勤電車で無表情じゃない人ってそんなにいたっけ?」という話もあります。
通勤電車をご利用の皆さんでしたらわかると思うんですが、ふつうの人は、電車の車内でそれ程表情を表に出しません。
外からぱっと見て分かる表情というのは、相当はっきり表に出ていないといけないものです。「死んだ魚の眼をしていない」と言えるほど活き活きとした表情をしてる人、そんなにゴロゴロ通勤電車に乗ってるものでしょうか?外からぱっとみて活き活きわくわくしているような人が電車内にいたとしたら、ああ、ちょっと最近あったかいしね、みたいな感じでどちらかというと若干離れて立つような事案なんじゃないかと思うんですが…。
仮に単なる無表情のことを「死んだ魚の眼をしている」などと形容できるのであれば、そりゃあ通勤電車は死んだ魚の眼をしたサラリーマンの大量漁獲列車でしょう。むしろ死んだ魚の眼をしていない人の方が珍しいです。朝であれば眠たい人も多いでしょうし、無表情だから即疲れている、人生に失望していると考えることには全く根拠はありません。
早い話、
「死んだ魚の眼をしたサラリーマン」という表現は、サラリーマンという立場を不当に貶める為に、無理に作られた言葉なのではないか、というのが私が言いたいことなのです。
実際のところ、サラリーマンにもいろんな立場がありまして、面白く働く立ち位置を確保した上でのサラリーマンは相当面白いです。いわゆるブラック企業になんか勤めてしまったらそりゃ大変だと思いますが、そうでもない企業であれば、サラリーマンという生き方は決して悪いものではない、と私は思います。
我々は長年、「サラリーマン」と「つまらない生き方」を即イコールで結ぶような言説を頻繁い観測し続けてきましたし、その一環として標題のような言葉もごく一般的になりましたが、時には「サラリーマンも結構面白い」というテキストがあってもいいんじゃないかなあ、と考えた次第でありまして、そういう話はまた別に書こうかと思います。
今日書きたいことはそれくらいです。
半分同意で半分反論があります。
個人の表情を死んだ魚のような眼かどうか判別するのが難しいということについては同意です。
でも起業家や個人事業主より圧倒的に愚痴が多いのがサラリーマンというのも事実のような気がします。統計を取ったことが無いのでわかりませんが、一般にそういうイメージがあるということが重要だと思います。
つまり、実際に死んだ魚のような眼をしているかは別として、サラリーマンが自分たちでそういうイメージを作っている面も無視できないのではないかと考えます。
この形容は個人に向けられているようで、実際はサラリーマンという集団の持つ象徴性・イメージに向けられているということです。
もっと言うと、その「死んだ魚のような眼」をした人がサラリーマンかどうかすら、発言する人にとってはどうでもいいのです。だって、スーツを着て満員電車に乗ってるからといってその人がサラリーマンであるとは証明できないし。
この言葉は職に就く前の若者やフリーランスの人たちの「俺たちは組織に縛られたくねえ」という意思表示の一環なのでしょうが、その一番手にやり玉に挙げられるのがサラリーマンというのは、現状イメージからすると致し方ないのでは、と思います。
問題は、集団を「組織に属してストレスをためて生きる人生」と「自由に活き活き働いて謳歌する人生」という二者択一に分断してしまうことだと思います。そんなに人間は単純じゃないし、それぞれの人生はもっと複雑で、その多様さ・複雑さに一人一人が想像力を働かせた方が良いのでは、と思います。
余談ですが、歌舞伎町などの繁華街では風俗嬢と思われる女性が本当に死んだ魚のような目をして歩いています。これはびっくりするくらい本当に死んだ魚の目をしてます。もちろん全員が全員ではないですが。確認されるのであれば、画像ではわかりにくいので実際に足を運んで目視されることをオススメします。
1、通勤ラッシュで帰れないから、そもそも目撃者が少ない。
2、可能なら目を閉じてるから見えない。眠り込んでるように見えるだけ。
3、疲れ切った変なオッサンなので、トラブルを避けるために見る方もジロジロ観察したりせず、極力目を合わせないようにする。
4、仮に目を見たとしても、それを見た人が「死んだ魚の目をしてる」と思ったかどうかは不明
などにより、実際にそういう風に見た人は少なかったと予想されます。
既に不自由な人生から脱したにもかかわらずサラリーマンを貶め続ける人は、自由な人生に対する不安を下に見ることができる比較対象を作ることで消そうとしているのかもしれません。
「彼らのように眠く・疲れて・他人の意志で動く」人間は、存在が希薄ではないのかw
だから存在しない。可哀想だろうけど。
見た目なんてどうでも良い。自分が当てはまっていると思えばそうなんだし、充実してると思えば充実してるんじゃないの?あくまで文学的な表現。
存在が希薄、というか、存在していないようなものではないのか。そっちの方が考え方的に面白いんですよねw 毎日の体験が薄いと、主婦の日常でもそういう風になるのだから、誰でも同じことだよ。
サラリーマンで、かつ、自分が魚の眼になっているんじゃないかと感じる人、ってことで、単にモチベーションの問題なんじゃないの?
学生だってそうだと思うけどね。この記事に反響があるってことは、やっぱり誰もがおかしいと思っているんだよね。どこかでね。
だって他人の意志で働いているんだから。それが雇われているってことでしょ?自分の意志に近いような経済の回し方であれば、それが理想的ってことでは?たまたま必要とされている、ってことはわかるよね。
「サラリーマンは楽しい」
なんて言い切ってる人種とは一切関わりたくない
それだけ
嘘だっ
それ、プログラマーをやったことのない人の意見だろ。
地獄を見てから物を言え。