いや、実際のところ、「すべからく〇〇している」という表現が誤りかどうか、というのはケースバイケースっていうか、結構微妙な問題なんですよ。
「すべからく」というのは、「〇〇すべし」のすべし部分が活用で変形して出来た言葉ですし、確かに「当然すべきこととして(〇〇するべきである)」という意味合いで使うべき言葉です。
本来、「すべからく」に「全ての××は」という、いわばall of みたいなニュアンスはない。「全ての」という意味で「すべからく」を使っていれば、それはまあ誤用といっても問題ないでしょう。
ただ、言葉というものは元来生き物ですし、言葉の使い方は変わっていくものです。もしかすると、いずれは「全ての」という意味ですべからくを使うことが一般的になる日も来るのかも知れない。
それに、「ニュアンスが意外に微妙」という問題もあります。「すべからく」の後に「〜べし」が必ずついていなくてはいけない、というスタンスは私は取らない。「当然すべきこととして」というニュアンスが含まれていれば、それは誤用とは言えないと考えます。
そこから考えると、例えば某はじめの一歩の「成功するものは、みなすべからく努力している」というような言葉も、なんか誤用の代表みたいな扱いされちゃってますけど、必ずしも誤用とは言えないと思うのです。何故なら、「成功者は皆(当然すべきこととして)努力している」というニュアンスで読むことも可能だからです。一概に「ばっかでー」などと指させるケースではない。
以上を前提として。
本題ここからなんですけど、上記のような「すべからく」の面倒くさい問題を排除する為にも、みんなもっと「あまねく(遍く)」を積極的に使っていきませんか?
なにしろあまねくは、須くと違って議論の余地なく「広く」「全てに渡って」というニュアンスを正々堂々保持している、言ってみれば「すべて」界のエキスパート、専門職です。「みんな」とか「すべての」という言葉をちょっと難しく言いたくなった時には、「あまねく」をぽんと置いておけばまず間違いない。誰にも文句はつけられない。
言ってみれば「広く」界における絶対的なエース。彼に任せておけばまず間違いないよね、と皆に信頼される精神的支柱。スパII Xで言うと豪鬼、サムスピでいうとシャルロットのジャンプ大斬り、KOF'95でいうとルガール・京・庵っていうくらいの鉄板中の鉄板です。
ただ、こんなに最強存在である筈の「あまねく」が、何故かあんまり使われてないんですよね。なんでなんでしょう。皆さん、あまりの強キャラっぷりに遠慮しちゃってるんでしょうか?いやまあ確かに、KOFとかでルガール庵京とか使われちゃうとちょっとげっそりしましたけど、今もうそんな時代じゃないじゃないですか。遠慮はいらないのに、と思う。強く思う。
上記の「すべからく」にしても、「ここはどう考えても「あまねく」の方がいいのになあ。なんであまねく使わないのかなあ」って思う機会、かなり多いんですよ。誤解の余地は少ない方がいい。
私は提唱します。「広く」「すべての」をちょっと難しく言いたくなったら、迷わず「あまねく」を使っていけ!!損はしないから!!!と。
「あまねく」がもっと一般に使われるようになったら、当然「すべからく」が明白な誤用場面で使われることも減り、その分すべからくの本来の意味合いの認知度も上がり、みなさん万々歳じゃないかと思うんです。
あと、「あまねく」って語感もなんかかわいいですし。和風ヒロイン、みたいな感じの語感してませんか?ちょっと推していきたくなりませんか?
「あまねく」を積極的に推していってくれる人が増えることを願いつつ、本項の結びとしたいと思います。皆さんよろしくお願いします。
今日書きたいことはそれくらいです。
本題からはちょっとずれますが、間違いを指摘されて
「言葉は生き物なんだ!」ってキレる人をネット上でよく見かけます。
しかし「屁理屈こねても間違いは間違い」。
すべからくにはshould、
しているには進行形や完了系のニュアンスが入っているからですかね。
まだしていないことに対してshouldは適用できるけど、
現在している・してきたことにたいしてのshouldをあてはめにくいからではないでしょうか?
あまねくのイメージは「全て」ではなく「(一つのものが)全てに渡っている」ではないかと思います。
(図にすると分かりやすいのですが‥‥)
「全ての」という意味だけならこれでいいんですよね。
すべからく(誤用)を代替するには、それに加えて
厨二的なかっこよさが必要なんじゃないかと。