いや、大した話じゃないんですが。
先日、こんな記事を拝読しました。
でも、そんな日々はあっけなく終わりました。あなたが何の相談もなく会社を辞めてしまったから。「ボノボのワッペンで食っていく」あなたは言いました。私はまったく意味がわからなかった。ボノボ? ワッペン? どういうこと?
「これは売れるよ。仲間と作ったんだ。アイデアは俺。ボノボ、知ってるだろ? サルの仲間。これからはね、ボノボがくるよ。必ずくる。ボノボブームはすぐそこまできてる」
まずちょっと皆さんとの感覚のすり合わせを行いたいんですが、この記事、ネタですよね?
いや、創作実話だとか釣りだとかケチをつけるって話じゃなくて、割と明確に「この記事はネタですよ」というメッセージを出しているネタ記事だ、と私は感じたんですよ。いわゆる突っ込み待ち記事。
ほら、昔からちょくちょくあるじゃないですか。「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」とか、「なにやっとるん?あんたのお母ちゃんよ」みたいな、そういうアレ。「そんなわけあるかーい」という突っ込みを誘う記事、「そんなわけあるかーい」と突っ込まずにはいられない記事。アレはアレで、インターネットの文化の一種だと私は思うんですけど。
標題記事を見ていると、「働かない夫」「ネト麻ばっかり」「妻が養っている」みたいないかにもなワードを並べておいて、ああ小町系かな?と思わせたところでボノボのワッペンという、「ボノボかよ」という突っ込みを誘う辺り、かなり完成度は高いネタ記事だと思うんです。乗せておいて乗せておいて、落とす。7年間ツイッターのアイコンがそのままって、2010年以前からTwitterやってる古株ユーザーがそんなことやってて捕捉されてねえ訳ねえだろ、とかそういう話もないではないですが、まあ些少な部分だと思うんです。その後の、Twitterに書き込みをして消した、みたいな部分は、まあ小町風エッセンスに戻すスパイスみたいなもんかなー、と感じました。
正直に書きますと、私もこういう「明示突っ込み待ち系ネタ記事」を匿名で書くことって時折ありまして、それなりにブックマークを頂いたりもしているんですが、言ってみれば同業として、小町系創作実話と明示ネタ記事のちょうど間隙を狙っていくこのテクニック、かなりの増田ベテランの方の仕事だと拝察しました。美しいネタ記事は心を豊かにする。
お見事。お見事です。さぞかしコメントも突っ込みの嵐であることでしょう、とコメントを確認させて頂いたんですよ。
ところが。ところがです。
この記事を「実話」だという前提でのコメント数が、私の想像よりも遥かに多かったんですよ。
あれ?と思いまして。
これも、以前ネタ記事を書いていた経験から申し上げますと、webにおける「ネタ記事感度」って結構高いものだと思っていたんです。いや、「これはネタだ!」とか野暮な指摘をするような話ではなくって、ネタということを了解した上で、それに乗る、みたいな。「ボノボかよ」と直接は言わないで、けどボノボポイントはしっかり拾う、みたいな。「アフリカスナギツネじゃない、やり直し」みたいな。
いや、勿論、ネタと承知でそれに乗る、というコメントをしている方もいらっしゃるんです。結構いらっしゃるんです。
けれど、ここで、例えば「働かないことによる夫婦関係の悪化」とか、「何故7年も放っておいたのか」みたいな、割とガチめの小町要素の部分に突っ込んでる方って、この記事は実話だという前提でコメントされているんでしょうか?それとも、ネタだということは承知の上で、敢えて小町要素に乗る、というような、いわばボケ殺し的な高度なコメント技を使われているんでしょうか?
実は最近、こういう「違和感」を感じる機会ってちょっとずつ増えてまして。
あ、あれ?これはネタの筈…。以前からの定番のネタの筈…。みたいなものが、凄い勢いで実話拡散されていく、みたいな。結果として、どう見ても明示されたネタなのに「これは釣り記事だった!許せん!!」みたいなよくわからない方向に吹き上がっちゃう、みたいな。ネタ殺しマジレス度の上昇、みたいな。
私の感覚があまりにずれているのか?いや、今まではこれで通用していた筈なんだけど…というような、妙な違和感を感じたのでちょっと記事にしてみた次第です。釣り釣られもネットの華といえばそうなんで、まあ大した話ではないんですが…。
今日書きたいことはそれくらいです。
匿名前提で本当かつ現実のことを漏らさないことが当たり前の層と、SNSから入って井戸端会議やるのと変わらない内容の話をしている層の、そもそもの与えられた情報への向き合い方の差かなぁと理解しています
ちょっと前に「ネタをネタと見抜けない〜」が現代にあわないだとか糾弾されてた時は、時代が変わったというかその頃を知らない人々が入ってきてるんだなぁといった気持ちです
ツイッターの影響だと思っています
このこと自体が良い悪いはわかんないけど、なんかつまんないですね
個人的には悪意のない文書お遊びで長文は
ネタ度薄くて萎えますね
突っ込む気にあんまならないです
ネットの匿名文書が創作か実話かってことに
興味がなくて論理矛盾さえ起こしてなければ
割りと鵜呑みにしてコメントするんでネタにマジレス派かも
ゲハと変わらない
誤爆でしょうか?
この記事の内容とは少しズレたことかもしれませんが
エイプリルフールなども最近は一目で嘘(あるいはネタ)とわかるようなものでなければ
叩かれ謝罪するといった事態が度々あるのを見て
うそはうそであると見抜ける人が少なくなっていると個人的に感じます
というより見抜けない人がたくさん増えたという感じでしょうか?
最近ムーギー・キムという人の書いた記事およびそのコメントを読み、このことを痛感しました。
ムーギー氏の記事は前半で「こんな奴らは二流」といって仮想対象をけなしつつ、後半では「しかし実は自分こそがその二流人間なのです」などと自嘲したりして、フリを回収していくようなパターンになっています。
ボケ、ネタとしてかなりわかりやすい部類なのですが、これが何百コメントの勢いで炎上するのです。
自分の悪口を言われた気になってしまうのか、
ほぼすべてがガンギレのマジレス。
もしくは自称専門家からの正しく高尚なアドバイスで埋め尽くされています。
「ワロタ」みたいなのは百に一つくらいでしょうか。
ムーギー氏が意図的に煽って(みせて)いるのもわかるのですが、しかしすごい。
私が知らないだけで、ムーギーのコメントにはギレコメントする、というのがしきたりだったりするのかもしれませんが本気でキレているのであればこの世は頭カチンコチンな人であふれる、相当なディストピアとなってきているのかもしれません。
そのときに周りにいたネットをやらない人たち(カーチャン、イケイケの友達、キラキラスイーツ女子)が、今は皆ネットをやっているという状態なのですよね
当時はリアルでネットの話をするなんてもってのほかで、ネットの話はネットの人たちだけと共有するものでした
あのときのいかにもなネット民といえる私のような人間と、そうでない、ネットをやらなさそうな人たち
あの対比構造がネット民という文脈から消えた以上仕方のないことかもしれませんね
近年はネタに対して容赦ないマウンティングが繰り広げられており、彼らの猛々しさ、雄々しさは旧ネット民の私には眩しいです
そのときに周りにいたネットをやらない人たち(カーチャン、イケイケの友達、キラキラスイーツ女子)が、今は皆ネットをやっているという状態なのですよね
当時はリアルでネットの話をするなんてもってのほかで、ネットの話はネットの人たちだけと共有するものでした
あのときのいかにもなネット民といえる私のような人間と、そうでない、ネットをやらなさそうな人たち
あの対比構造がネット民という文脈から消えた以上仕方のないことかもしれませんね
近年はネタに対して容赦ないマウンティングが繰り広げられており、彼らの猛々しさ、雄々しさは旧ネット民の私には眩しいです