2017年04月19日

長男が二度のセーブデータ消失の悲劇を乗り越え、GBA版の「逆転裁判」をクリアした

クリアしたみたいです。

長男、9歳。小学4年生。

現代のゲームと昔のゲームのどこが最も異なるか、というと「オートセーブが一般的になったこともあり、「ふっかつのじゅもんを書き間違える」「セーブデータが消える」「セーブデータを誤って消してしまう」という悲劇が起こることが極端に少なくなった」ということが挙げられると思います。

セーブデータを誤って消してしまうことは今でもあるかも知れませんが、前者二つが発生する機会は、今となってはもう殆どないのではないでしょうか。

ファミコン時代にRPGをやっていた人達の中で、「パスワードを書き間違ってしまった」「なんかセーブデータが消えてしまった」という事態を経験したことがない人は、果たしてどれくらいいるでしょうか。我々は、時に「ゲーム内で全滅した」「めっちゃ強いボスに大苦戦、ないし敗北した」といった記憶以上に、「セーブデータ消失」という悲劇を胸に刻み込まれています。


ある時には「おきのどくですが」に始まる、ごく短いメッセージと耳に残るBGM。

ある時には、何度入力しても画面に表示される「じゅもんが ちがいます」という冷酷なテキスト。


積み重ねた時間が一瞬で吹っ飛ぶ感覚。努力が一瞬で無になる無常感。時には、とても取返しが付かないほどの、キャラクター自体の「喪失」になることも珍しくない悲劇と、我々は常に隣り合わせの状態でゲームを遊んでいたのです。セーブデータ消失と同時に、そのゲーム自体に挫折してしまった人、というのもいたでしょう。二度とRPGなんてやるもんか、と固く決意してしまった人だっているかも知れません。


今、あの悲劇を味わう機会が極端に減った、ということが、現代のゲームプレイヤーにとって大いなる福音であることは間違いない、と思うんです。それは間違いない。


ただ。

「あの経験」が自分の心の中に何かを残しているかというと、それは確かに、なにがしかの耐久力の源泉にはなってるんじゃないかなあ、と。悲劇に甚大なダメージを喰らいながら、それでも歯を食いしばってもう一度立ち上がる、そういう経験にはなったんじゃないかなあ、と。

今もう一度、ああいう経験が日常的に発生するような環境に戻りたいかというと、そりゃ「絶対ヤだ」の一言ですが、昔あった悲劇が決して無駄じゃなかった、少なくともそういう側面もあるなーとは思うんです。


ところで最近、長男が逆転裁判にハマりました。


きっかけはアニメの逆転裁判のようで。私、こっちを観測してなかったんですが、なんだか「逆転裁判2」の内容がアニメ化されたんですかね?

謎解きや推理が大好きな長男は、私のゲーム棚に「逆転裁判」の文字を見て、「ぼくもこれやってみたい!!」と言い出したんです。まだ携帯機でゲームをやらせたことはなかったもので、目を休める為の時間制限は設けた上で、やらせてあげることにしました。

1章から4章まで、一週間くらいはかかったんでしょうか。「相手の証言を読んで、矛盾を考えて、証拠品をつきつける」という流れは、長男にとってひじょーーに魅力的だったみたいです。「「異議あり!」の時さ、正解だと音楽止まるよね!あれ気持ちいいよね!!」というのは長男の言葉。

時折どうしても詰まって、一言二言アドバイスをしてあげたことはあったんですが、基本的には自分の力で、時に小中大に憤り、時にはおばちゃんに突っ込み、時には成歩堂と真宵の漫才に大笑いしながら、「逆転、そしてサヨナラ」の最終パートまでたどり着いたみたいなんです。


で、みなさんよくご存知の通り、第四章、すげえ難しいじゃないですか。一度、もう殆どクリアする直前くらいまでいってから、「有罪確定してから間違ってセーブ」ってのをやらかしてしまったらしいんですね。


逆転裁判は、コンティニューでその章パートの最初まで戻ることが出来るので、大人視点からしてみれば大した時間の喪失でもなかった、と思うんです。ただ、それでも長男にしてみれば、初めての「自分が頑張って積み上げた努力の喪失」だったんです。やってしまった後には泣きそうになって、必死に我慢していたので、しんざき奥様が抱っこしてあげたら大泣きしてしまったとか。ひさびさですよ、長男が大泣きするなんて。

で、頑張ってやり直したら今度は、「友達に「はじめから」でプレイさせてあげて、間違って(友達が、ではなく自分が)セーブしてしまう」というまた古典的な失敗をしてしまい、流石にどかーんとへこんだようなんです。



それでもその後、(寝てる間ちょっとだけ手伝ってあげたりもしましたが)めげずに長男はプレイを再開しまして、昨日ついに、「逆転、そしてサヨナラ」の最後の証拠品をたたきつけて、エンディングを迎えることが出来た、という話なんです。



私、「それがゲームであれ漫画であれ小説であれ、コンテンツを摂取して心を動かすのはいいこと」だと思っていまして。ゲーム自体を楽しむのも勿論なんですが、時には悔しさを、時には執念を、時にはこだわりを、ゲームに大して全力でぶつけるってことも、心を育てていく上で大きなプラスになるんじゃないかなーと思ってるんですね。


そういう意味では。今となっては滅多に遭うことがなくなってしまった「セーブデータの消失」という悲劇に、二度も見舞われてしまい、しかも立ち直ってエンディングまでたどり着いたということも、彼にとっては一つの、結構大きな経験になったんじゃないかなーと。逆転裁判をやらせてあげて良かったなあ、と。


ちょっと前のゲームをやらせてあげるというのも、「今のゲームとは、また全然違った経験が出来る」という点で、なかなかいいもんだなあと。是非ディスクシステムのゲームとか実機でやらせてあげたい、と思ったんですが、今我が家のディスクシステムはゴムが溶けてて動きません。アレ、ゴム変えればまた動くようになるんでしょうか。



ちなみに、二度のセーブデータ消失を経て、ついにたどり着いたエンディングは、やはり長男にとって特別なものとして映ったみたいです。「面白かった?」という私の問いに大きくうなずいた後の長男の言葉は、しみじみと一言、「ヤハリは懲りないねえ…」でした。


矢張は全く懲りないですよね。うん。「3」までプレイした後、彼の感想がこれと変わるのか変わらないのか、私としても楽しみにしたいと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 12:57 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アニメ版は1と2の内容ですね。
Posted by at 2017年04月19日 14:49
感動的
そこまで苦労して、やっぱりヤハリ
美しい
Posted by at 2017年04月19日 16:22
セーブデータ消失の経験はデータのバックアップはこまめにとろうっていう意識にも繋がると思います
Posted by at 2017年04月19日 22:23
>「異議あり!」の時さ、正解だと音楽止まるよね!あれ気持ちいいよね!!

9歳にしてこの着眼点を持っている事に将来有望すぎて戦慄しました
Posted by at 2017年04月19日 22:24
この件だと「消失」と言うより「上書き」ですけどねw
間違えて兄弟のセーブスロットにセーブしちゃった感じですかね
Posted by at 2017年04月20日 16:14
努力が一瞬で無になる無常感は今でもシレンで味わう事が出来るかと
あれこそがシレン中毒を作ってしまう強力な毒かと思ってしまいますね
Posted by at 2017年04月26日 02:45
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/449147559
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック