2017年04月28日

何故みんな、「親の重荷をなるべく軽くする」という方向に言葉を使わないのだろうか

なんていうのかな。

例えば私は、以前からも色々書いている通り、子どもと接する時、子どもが感情を高ぶらせてきーっとなってる時、「まず待ってあげる」というのを可能な限りやっていきたいなー、と思っていて。

・「感情に整理をつける」ということはどんな人間でも大変であって、特に子どもにはその練習をさせてあげたいから。
・「ちゃんと聞いてもらえている」「ちゃんと待ってもらえている」という認識は、自己肯定感の獲得の中で凄く大事だと思うから。

だからなるべく、「待ってあげる」「聞いてあげる」ということはやってあげたいな、と思うわけです。

ただ、そういうのは、別に子育てに普遍の話じゃないし、いつでもできること、どんな家庭、どんな親、どんな子どもでも出来ることじゃないし、どんな場合でもいい方向に育児を持っていく魔法の杖ではない

当たり前のことですが、あと3分以内に家を出ないと幼稚園に遅刻するような状況なら子どもをせかさないと生活は周りませんし。

子どもがせっかちな性格で、逆に「早く早く!」と親をせかしてくるなら、それに応じてあげた方が教育上もいいかも知れませんし。

そんなのは文字通りケースバイケース、家庭にも子どもにもよることで。「たまたま、今のしんざき家で上手くいっていて、これからも続けたいと思っている方針」というだけであって、それをどんなご家庭にも勧めたい、とは私はこれっぽっちも思わないわけです。

だから私は、「こんなやり方もありますよ」「こんなやり方で、今のところ上手くいっていますよ」と書きたい。それ以上の書き方はあんまりしたくないですし、そういう書き方をしてきたつもりなんです。

だって、例えば「子どもは待ってあげないとダメ」なんて書き方をしたら、それは単に「親を追い詰めるだけ」のテキストじゃないですか。待てない事情、待たない方がいい事情があるかも知れないのに、「ああ、うちは待ててない」なんてことを親に思わせてしまったら、そのテキストは一体誰を幸せにするんでしょう?


育児に「選択肢」はあるけれど、「正解」はありません。どんなやり方が一番「正解」に近いのか、なんてことは無関係の他人に簡単にわかることじゃない。そして、育児はとても大変なことで、「小さな生き物を、ちゃんとした人間に育てていく」ということに、親は並々ならぬ労力を払うわけです。色んな選択肢の中でもがきながら、ギリギリのところで、ギリギリの育児を、どんな親だってしているんだろうと思うんです。

なのに、そんなギリギリの育児をしている親たちに対して、「〇〇なんてことをやるとダメ」「××は子どもに対してひどい悪影響」「▼▼が出来ないような親はダメ親」みたいな言葉を投げつけまくっている人たちは、一対何がしたいんでしょうか。よっぽど親を追い詰めたいんですかね?ただでさえ重荷が一杯のお父さん、お母さんの背中に、もう一束藁を放り投げて、結果親がつぶれちゃったらそれで満足なんでしょうか。

ネグレクト家庭とかで話を聞くと、「最初は必死に育児をしていたけれど、周囲の無理解に追い詰められて結局」みたいなケース、山ほど聞きますよ。親を追い詰めるって、子どもの為にもならないんですよ。子どもだって、親の心に余裕がある状態の方がのびのび成長出来るに決まっています。「子どもの為」というお題目で投げつけられている言葉が、親を介して結果的に子どもを追い詰めている、そういうケースがどれだけあるんでしょう。


だから私は、こう思うんです。

「こんな子育てはダメ」「こんな親はダメ」的な論法を振りかざしている皆さんは、お願いだから、ちょっとでも親が余裕を持てる方向に路線変更して頂くわけにはいきませんか、と。

「こんな子育ての方向もあるよ」「こんな選択肢もあるよ」という方向の方が、なんぼかは親も余裕を持てると思いませんか、と。


誰よりも子どもの為に、周囲は「親にこそ」余裕をもってもらうべきなんじゃないかと、私は思うのです。

posted by しんざき at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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