先週、「キン肉マン」完璧超人始祖編のweb連載が、ついに、ついに最終回を迎えました。
皆さん読みましたか?完璧超人始祖編。まだ読んでない人は是非単行本を買ってでも読みましょう。損はさせません。
巻数で言うと、36巻までが王位争奪編までの、言ってみれば20世紀のキン肉マンで、37巻は外伝的な読み切り作品、38巻以降が2012年から始まった「完璧超人始祖編」のキン肉マンです。60巻がシリーズ最終巻になる、筈です。まだ出てませんが。
かつて、キン肉マンのテーマって、割と分かりやすい「逆転と超克」の物語だった、と思うんですよ。以前書いた「流石」と「まさか」で言うと、極めて「まさか」に寄った物語。
最初期のギャグ漫画時代・怪獣退治編を例外として、キン肉マンは殆ど常に、「大逆転」を主軸に据えたストーリーであり続けました。普段は「ダメ超人」としての描写を専らとしているキン肉スグルに、次から次へと襲い掛かる大ピンチ。それに対して、頼もしい仲間たちと、友情パワーや火事場のクソ力を武器にしたキン肉マンによる、大逆転と大勝利。超人オリンピック編でも、悪魔超人編でも、黄金のマスク編でも、完璧超人編でも、王位争奪編でもそうでしたよね。
キン肉マンは、常に窮地に立たされますし、常に臆病風に吹かれますし、けれど常にそこから立ち上がり、最後には窮地を打ち破る。普段かっこ悪いからこそ、かっこいい。それがキン肉マンでした。
そして、キン肉マンの「窮地の打ち破り方」の描写は、本当に卓絶していました。プロレスに「超人」という要素を掛け合わせて、既存の枠を打ち破った「超人プロレス」。そこでの駆け引き、つばぜり合い、時には搦め手、そして大逆転。この描写こそが、キン肉マンという漫画を不朽の名作にした最大の要因であることは論を俟たないでしょう。
キン肉マンは、ジャンプの三大原則である「友情」「努力」「勝利」を最も忠実に体現した漫画の一つだった、ともいえると思うんです。
ただ、旧作キン肉マンの一つの特徴として、「対戦相手は飽くまで超克の対象であり、(少なくとも一度は)否定されることになる」という点があることは否めないと思います。もうちょっとぶっちゃけると、「主人公の逆転を描く為に、敵キャラが一度は割を食うことになる」ということです。
例えば黄金のマスク編の悪魔将軍は、途中までは圧倒的な強さとカリスマを欲しいままにしましたが、終盤はあんな感じでした。バッファローマンは最後に改心してしまいましたし、ネプチューンマンは、いきなり正体を現したネプチューンキングの部下のような描写になり、最後はアレやコレやな感じでした。フェニックスは、途中まではミステリアスな強さをもった知性派だったんですが、やはり終盤は色々小悪党っぽい感じが出てしまいました。
言ってしまうと、旧作キン肉マンの唯一の「弱点」は、「敵役の立ち位置を貫徹させられなかった」あるいは「悪役が最後まで魅力的な悪役として描かれてこなかった」ことなのではないかと、少なくとも私は思うのです。これは、ゆで先生ご自身が「この作品は前作を超えるものにはならない」とおっしゃったという、キン肉マン二世でも引き続いた問題だったと思います。
これが悪かった、ってわけじゃないんです。これはこれで、キン肉マンの重要な「味」の一つではあったと思いますし、話の展開としても好みの問題です。
ところで。
以降は、核心には触れないつもりですが、一応ネタバレになるので注意して頂ければと思うのですが。
38巻からの完璧超人始祖編では、この点が完全に、完璧に、これ以上ないくらいに払拭されていました。本当に、同じ人がこの漫画を描いたのか…!?と思ってしまう程の凄まじい払拭ぶりでした。
完璧超人始祖編は、そもそも「旧作キャラが入り乱れる三つ巴戦」として始まりました。完璧無量大数軍の襲来に、正義超人の唯一の代表として孤軍奮闘するテリーマン(とジェロニモ)、そこに割って入るのがブラックホールやステカセキングという時点で、旧作ファンとしてはもう感動し過ぎて涙が止まらないくらいでしたが、何よりもすげえ!!!と思ったのが、「悪魔超人が、悪魔超人のままで完璧超人たちと戦っている」ということなんです。
彼ら、慣れあわないんですね。決して正義超人と「協力」したりはしないし、正義超人軍として戦っている訳でもない。「悪魔超人は悪魔超人であって、決して正義超人に与しているわけではない」というスタンスを、それこそ最後の最後まで崩さない。
その首尾一貫ぶりは、満を持して登場した悪魔六騎士、そして悪魔将軍の登場でピークに達します。最後の最後まで、悪魔将軍は自らのスタンスを譲らない。かつて自分を倒した男(キン肉マン)を認めながらも、決して自分を折りはせず、勿論なれ合うこともなく、自分の「目的」に忠実であり続けるのです。
そしてこれは、完璧無量大数軍、更にその上に立つ完璧超人始祖達にも同じことが言えます。たとえ敗北することになったとしても、自分が信じているものだけは決して折らない。立ち位置を変えない。
認めるけれど、折れない。勝とうが負けようが、「譲れないもの」はそのまま保持し続ける。だから、たとえ敗れたとしてもその大義は変わらないし、輝きを失わない。
私は、かつてキン肉マンで、ここまで「敵役が最後までかっこいいままだった」シリーズを他に知りません。
これ、旧作キン肉マンでは見ることが出来なかった、「最後までブレない強大な敵役」という概念そのものだったと思います。キン肉マンならではの熱い描写はそのままに、三つの勢力が最後まで輝きを失わず、それぞれの終着点にたどり着いてみせた。上記の言葉を使えば、「まさか」の熱さに、「流石」の熱さが追加された、ともいえると思います。
とにかく滅茶苦茶かっこいいんですよ、悪魔将軍も、悪魔六騎士たちも、ネメシスも、ザ・マンも、勿論他の始祖たちも。その強さ、その威風、威容もさることながら、「ブレないが故に、たとえ歩み寄らなくてもお互いに認め合うことが出来る」その一貫したスタンスが彼らを輝かせていたんだと思います。
この「ブレなさ」があったからこそ、今回の「完璧超人始祖編」の最後の戦いが、「キン肉マンとネメシス」ではなく、「悪魔将軍とザ・マン」という戦いであり。しかもネメシス編以上に熱く、印象的で、キン肉マンという作品の中でも指折りに素晴らしい一戦になったのだと私は思うわけです。
勿論、敵役のブレなさだけが「完璧超人始祖編」のすばらしさではありません。引き伸ばし、出し惜しみのなさ。「まさかそこでその伏線が回収されるのか!?」の意外性。きっちりと立ち位置を下げてからの大逆転を見せるキン肉マン。きっちりと実力を見せつける旧作強豪たちと、それ以上の活躍を見せる新キャラたち。本当に結果が予想できない、一つ一つの戦いの熱さ。随所随所で発揮されるゆで理論の「分かっている」感。ついに、ついに大敵を下してみせたザ・ニンジャ。
この隙が無さ過ぎるエンターティメント性は、現在連載中のすべての漫画を見渡しても出色のものだったと思います。
かつて旧作キン肉マンは、「逆転と超克の物語」を熱く描写することによって、不朽の名作になりました。
そして今、完璧超人始祖編は、「認め合い、しかし歩み寄らず、お互いを尊重する」物語を描くことによって、かつてのキン肉マンを越える作品になった、と私は思います。今、この時代に、キン肉マンという題材でこの作品を描き切ってみせた、ゆでたまご両先生には本当に感嘆する他ありません。今後の新シリーズも楽しみにさせていただきます。
ゆでたまご先生、まずは本当にお疲れ様でした。素晴らしい作品をありがとうございます。
今日書きたいことはそれくらいです。