2017年07月28日

読書感想文は、ただちに「面白かった本のお勧め文」に名目を変えるべきだと思う

以前、長男が読書感想文にえらく苦戦していた時、いろいろアドバイスをしたことがありました。Books&Appsさんに、その時の顛末を寄稿しました。リンクは下記です。


これ、小見出しがどうとか、サンプル的な構成とか、細かい話も色々したんですけれど。

一番のポイントは「読書感想文」ではなく、「面白かった本を他人にお勧めする、お勧め文」という風にとらえ方を変えたこと、だったんじゃないかなあと思うんです。

大体どんな層を観測しても、読書感想文に対する最大のハードルは、「何を書けばいいか分からない」でした。これについてはほぼ紛れがないと思います。

「書き方」というより、「書く内容」の話なんです。書き方はとっかかりにはなりますが、「何を書きたい」ということが明確でないとあまり意味はありません。

けれど、「誰かにその本をお勧めしたい?」と聞いてみると、長男からはすぐ「したい!」という言葉が帰ってくるんです。つまり、「面白さを誰かに伝える」という方向性であれば、長男はすぐに「書きたい内容」を思い浮かべることが出来る。

これについては、多分割と色んな子どもに共通した話だと思います。「面白かったものを、他の誰かにもお勧めしたい」という欲求は、多分誰にでもある。マニア気質というのか、共有欲求とでもいうんでしょうか。基本的な動機付けがあるとないとでは大違いです。

なにより、「誰かにお勧めしたいと思えるくらい面白いかどうか」という視点で本を探してほしいし、本に出会って欲しいと思うんですよね。

「感想」という言葉は、率直にいって難しいです。方向性が曖昧でよくわかりません。「感じ、思ったこと」というのはちょっともやっとし過ぎているんです。

勿論、「もやっとしたもの」を明確な形にまとめ上げる、という能力は、それはそれで必要です。ただ、それにはある程度慣れも要れば技術も必要で、「何かを読んで、それについてを文章に出力する」という行為をし始めたばかりの子どもが、いきなり要求されるべきハードルではありません。


方向性が曖昧だと書きにくい。だから方向性は明確にしてあげた方がいいし、子ども共通の欲求がそれに使えるならもっといい。

私はこれを当たり前のことだと思うんですが、どういうわけか、読書感想文についての指導はそんな感じになっていないように思います。

以下はwikipediaからの引用です。

「興味深く面白い」「とても共感した」「これまでの考えを反省した」などの肯定的、主観的または道徳的な意見・感想は良い評価を受けやすい。このような読書感想文の評価基準は青少年読書感想文全国コンクールにおいて好成績を収めた読書感想文からも読み取れる。
これなあ。いや、心当たりもないことはないんですが、興味深いとか面白いとかはともかくとして、「これまでの考えを反省」とか「とても共感」なんてことが読書に必要かなあ?と思うんですが。何故か読書感想文って、「素晴らしい本に出会って今までと変わった自分」「こんなに成長した私」を出力させたがるような気がするんですよね。

いや、RPGのステータスアップアイテムじゃないんだから、本一冊読んだだけでぐぐんと成長出来るわきゃないし、本一冊読んだ程度でころころ考え方が変わるなら、個人的にはそっちの方が心配です。

「この本に出会ってこんなに成長した私」よりも、「この本面白いぜ!!ほら!!ここが!!!こことか特に!!!!」の方がずっと書きやすいし、読んでいても面白いし、更に読書体験をつなげることが出来る、と少なくとも私は思うんですが、どうなんでしょう。


なんにせよ、今年も長男には読書感想文の宿題があるようですし、今はどの本について書こうかあれこれ考えているようですし、もし困っているようならまた様子を見つつちょこちょこアドバイスしてあげようかなあと、そんな風に考えている次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 11:19 | Comment(6) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
 小学生だった頃の記憶ですけど。

 上位に入賞したという「感想文」が、いずれも過酷な体験談ばかりで、あんな過酷な経験をしてない限りは、上位に入れないんだなあと切なくなった覚えがあります。
 最低でも直近に家族(できれば親)をなくしているか、大怪我をするか、災害にあうか、スポーツで県大会より上まで進んだ体験にリンクしてなきゃダメという。

 ああいう、本の内容かなり度外視で、「より深く理想的な人生観」を語っているほど評価されてしまうような体制も、「読書感想文」というものを過剰に小難しくしてしまっていた原因の一つではないのかなと。
 さすがに現在では、そんなことなくなっていると思いたいところですが。
Posted by kanata at 2017年07月29日 13:59
それは長い。あれはただの『書評』。もっというなら、
『こう書けば依頼主の意向に合うと忖度して書く書評』が正しい。
Posted by Kusakabe Youichi at 2017年07月29日 14:59
読書感想文なんて、「教師のご機嫌取りテクニック」以外の何ものでもなかったよ。

否定的な内容だと評価下がるんだもん、そりゃ心にもないおべっか使いまくるのが「素晴らしい感想文」の書き方になるでしょうよ。
Posted by 鴉鳥 at 2017年07月29日 17:05
自己アピールが本アピールになるだけで、感情や主張を押し出す受けの良い文章が必要になるという意味では残念ながらあまり結果は変わらない気が…。

ただ目標を明確化するというのは重要だと思うので、個人的にいっそ本すらも指定して内容のあらすじをまとめさせるとかにでもなって欲しかったですね。
それらしい本を選んで曖昧な感想を模範的に仕上げた文章にするよりも「課題」に徹すれば多少は技術から採点までが明確になりそうですし。
Posted by   at 2017年07月29日 22:44
いや、これ別に「評価を得られる読書感想文の書き方」を解説わけではなくない?
読書感想文って言われて何書けばいいかよくわかんない子どもが、とりあえずノルマの原稿用紙数枚分くらいの文章を苦労せずに書けるようになるコツであって、コンクール入賞をゴールにしてるわけじゃないからね

ちなみに子どもの頃読書感想文アレルギーだった自分は、このメソッドならそこまで苦になることはなかったのかなと思いました
Posted by nasa at 2017年07月31日 12:59
あらすじで3〜5割を埋めちゃっても適当に自分の経験交えて書くだけでも、評価のよい読書感想文なんて出来上がるもんですよ
でも後々の、特に社会なんかじゃ小手先のテクニックだとか小賢しさは糞の役に立たない
面接官やってらしたならわかると思うんですけど、人の心を動かすのって情熱なんですよね
情熱をいかに理性的に(この場合文語的に)根拠付けて伝えるかが重要であって、そういう意味でもこのやり方はなかなかいいもんだと思うけどなあ
Posted by ar at 2017年08月05日 04:48
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