ちょっととりとめもない話をします。
本当にこういうゲーム、偏愛する人でなければ「それ何が楽しいの?」「なんでゲームでそんなに苦しまなくちゃいけないの?バカじゃないの?」としか思わないと思うんですよ。単なるマゾゲー、としか思われないと思うんですよ。そう思う気分はわかります。shinzaki / しんざき
本音を言うと私自身は、何度も何度も何度も何度も壁にぶち当たって、ボッコボコにされて、無力感と悔しさと絶望感に苛まれて、ある時見つけたたった1ドットの突破口からその壁を木っ端みじんに粉砕して喜びと達成感で絶叫したらすぐまた次の壁がある、みたいなゲームが大好きなんだ at 08/12 05:47
多分、ある種の麻薬みたいなものなんだと思います。突き詰めて、突き詰めて突き詰めて突き詰めて、ついに障害を突破した時の達成感、爽快感があまりにも素晴らし過ぎるから。だからそういうゲームが好きになる。やればやるほど疲れ果てて、リソースも気力も吸い込まれて、ひたすら疲弊するだけだってことが分かってるのに、それでもまたやりこみたくなる。
R-TYPEがそうでした。グラディウスIIIもそうだったし、ガンフロンティアもそうだったし、ダライアス外伝も私にとってはそうだったし、レイストームもそうだったし、Gダライアスも、蒼穹紅蓮隊も、勿論バトルガレッガなんてこの典型みたいなゲームでした。私にとっては、90年代のSTGなんて大体そんな感じだったんです。
けど、今この時代に、そんな「遊ぶ度に自分の未熟さを思い知らされるようなゲーム」を出して、果たして売れるのか?って言われたら、そりゃまあやっぱり難しいんだろうなーと。もしかしたら、今の私自身だって、今新しく「バトルガレッガみたいなゲーム」に出会ったとして、そこにリソースのすべてを突っ込めるかって言われれば難しいかも知れない。
だから、例えばちょっと前に書いた、「負けの言い訳が極めてしやすいゲーム」だってちゃんと評価するべきだと思うんです。
ただ、たまーに、本当にたまーーに、あの絶望感がふと懐かしくなることがあります。
あとちょっと、本当にあとちょっとで障害を突破できそうな、その最後の一瞬で力尽きて撃墜された時の、あの目がくらむような悔しさ。自分自身の実力の無さ以外に何一つ責めることが出来ない、あの閉塞感。
そして、そんな障害を乗り越えることが出来た時の、あの凄まじいまでの達成感。
なんだろうアレは。「若かった」「パワーがあった」「情熱があった」なんて軽い言葉だけで、アレを説明出来る気がしません。今でもあの絶望感は、私の体のどこか深いところに蟠っているような気がしますし、あれを乗り越えた時のとんでもない喜びは、今でも私の体のどこかに推進力として残っているような気がします。
あれが消えてしまうのは、あれをだれも味わえなくなってしまうのは、そりゃ勿体ないなーと。
出来ることならまたいつか、あれと同じことがしたいなーと。
そんなことを思いながら、今日もちょこちょことSwitch版のストライカーズ1945を遊び、6ボスあたりで彩京弾で死んでブチ切れる私がいるわけです。彩京弾開発した人おなかこわせ。
あと、全然関係ないんですが19XXをSwitchに移植してください。全力で買うし布教に走ります。ぜひ。
今日書きたいことはそれくらいです。
ゲームは暇つぶし系の友人からは、何が楽しいのかと疑問を持たれています。
たとえ仕事やらが完全になくなっても足りない程にものは溢れてるから
理不尽に殺られたり分からないまま通過できたりしないというのは
難易度はゆるい代わりにタイムアタックやどぎつい制限プレイにご褒美をつけたメトロイド
簡単だけどハイスコアを目指すとノーダメージと完全パターン化を要求してくるガンヴォルト
こうしてみると難易度調整にはどこも苦労してそうだなあ
自分が本格的に始めたのは04からですが、低難易度は兎も角、高難易度になると機銃一発かすめただけで耐久デッドゾーンだったり、敵の耐久上がってミサイルや機銃弾が足りなくなったりと、色々有りました。
最初に選べる機体&兵装だけで最高難易度ノーダメージクリアとか、始めたばかりのころは「何それ頭おかしい!?」と思ってたのが、「やってやったぜ!」になるのは、まあ一種の快感です。