2017年08月13日

何度も何度も何度も何度も何度も壁に突き当たって絶望に苛まれるようなゲーム

ちょっととりとめもない話をします。


本当にこういうゲーム、偏愛する人でなければ「それ何が楽しいの?」「なんでゲームでそんなに苦しまなくちゃいけないの?バカじゃないの?」としか思わないと思うんですよ。単なるマゾゲー、としか思われないと思うんですよ。そう思う気分はわかります。

多分、ある種の麻薬みたいなものなんだと思います。突き詰めて、突き詰めて突き詰めて突き詰めて、ついに障害を突破した時の達成感、爽快感があまりにも素晴らし過ぎるから。だからそういうゲームが好きになる。やればやるほど疲れ果てて、リソースも気力も吸い込まれて、ひたすら疲弊するだけだってことが分かってるのに、それでもまたやりこみたくなる。

R-TYPEがそうでした。グラディウスIIIもそうだったし、ガンフロンティアもそうだったし、ダライアス外伝も私にとってはそうだったし、レイストームもそうだったし、Gダライアスも、蒼穹紅蓮隊も、勿論バトルガレッガなんてこの典型みたいなゲームでした。私にとっては、90年代のSTGなんて大体そんな感じだったんです。


けど、今この時代に、そんな「遊ぶ度に自分の未熟さを思い知らされるようなゲーム」を出して、果たして売れるのか?って言われたら、そりゃまあやっぱり難しいんだろうなーと。もしかしたら、今の私自身だって、今新しく「バトルガレッガみたいなゲーム」に出会ったとして、そこにリソースのすべてを突っ込めるかって言われれば難しいかも知れない。

だから、例えばちょっと前に書いた、「負けの言い訳が極めてしやすいゲーム」だってちゃんと評価するべきだと思うんです。



ただ、たまーに、本当にたまーーに、あの絶望感がふと懐かしくなることがあります。

あとちょっと、本当にあとちょっとで障害を突破できそうな、その最後の一瞬で力尽きて撃墜された時の、あの目がくらむような悔しさ。自分自身の実力の無さ以外に何一つ責めることが出来ない、あの閉塞感。

そして、そんな障害を乗り越えることが出来た時の、あの凄まじいまでの達成感。

なんだろうアレは。「若かった」「パワーがあった」「情熱があった」なんて軽い言葉だけで、アレを説明出来る気がしません。今でもあの絶望感は、私の体のどこか深いところに蟠っているような気がしますし、あれを乗り越えた時のとんでもない喜びは、今でも私の体のどこかに推進力として残っているような気がします。

あれが消えてしまうのは、あれをだれも味わえなくなってしまうのは、そりゃ勿体ないなーと。

出来ることならまたいつか、あれと同じことがしたいなーと。


そんなことを思いながら、今日もちょこちょことSwitch版のストライカーズ1945を遊び、6ボスあたりで彩京弾で死んでブチ切れる私がいるわけです。彩京弾開発した人おなかこわせ。

あと、全然関係ないんですが19XXをSwitchに移植してください。全力で買うし布教に走ります。ぜひ。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 01:13 | Comment(3) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そういうゲームが少なくなったので、縛りプレイやタイムアタックで自主的に難易度を上げるようにしています。
ゲームは暇つぶし系の友人からは、何が楽しいのかと疑問を持たれています。
Posted by at 2017年08月13日 12:55
読書や映像やその他作品消費にも言えますが「とにかく時間が足りない」のです・・・
たとえ仕事やらが完全になくなっても足りない程にものは溢れてるから
Posted by   at 2017年08月13日 21:40
完全に自分自身の実力だけのせい というのは、ある種の優しさにも感じますよね
理不尽に殺られたり分からないまま通過できたりしないというのは
Posted by at 2017年08月15日 22:32
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