今ならいいかも知れないと思って、書く。ただの個人的な昔話だ。
高校の頃色々あって、バーの二階で下宿のようなことをしていた。そのバーのマスターは同性愛者であることを公言していて、バーには近所の水商売の女性がよく飲みにきていて、バーの部屋にはトイレもフロもなくて、夜になると私は近所の公園に用足しにいっていた。
この時の話は、以下の記事で書かせてもらった。バーはもうないし、マスターももういない。大した話ではないが、気が向いたら読んでみて欲しい。
私は、その頃からずっと東京に行くつもりだった。東京に行くんだ、ということだけは決めていた。理由は他愛もないものだったのだが、今は省く。
これを言うと冗談かと思われるのだが、割と真面目に、「東京の大学」というものを私は東大しか知らなかった。地元の大学についてはそこそこ知っていて、例えば名大とか、愛知大学とか、南山大学とか、中京大学とか、そういうのが地元の大学だった。ただ、東京の大学についての知識は全くなかった。
これも色々と事情があり、当初私は大学に行けるとは思っておらず、「大学に進学しつつ東京にいく」という発想が全くなかった。「大学にいく」と「東京にいく」は、二択だと思っていた。だから東京の大学についての情報収集も全然してはいなかった。
そんな私に、本当にひょいっと「東京の大学にいく」という選択肢が浮上してきた。これも人の縁というもので、細かいところは長くなるので省くが、私は人生の節目節目で大抵誰かしら、拾ってくれる人が現れる。ありがたいことだと思う。
大学は、受けるだけでも金がかかる。何校も受ける金など無論なく、「じゃあ東大にするか」と私は決めた。他に受ける大学を思いつかなかった、というだけの理由だ。受からなかったら働けばいいや、くらいに考えていた。
正直な話、受かる見込みが十分あったわけではない。高校での成績はそこそこ良かったし、自分の頭にはそこそこ自信もあったが、例えば予備校に通ってガリガリ受験勉強をしていたわけではないし、高校も別に進学校でもなんでもない。ここ30年くらいで東大に受かった人がたった二人、とかそんな感じの高校だ。まともにその辺の人たちと勝負したらまあ勝てんだろうな、とは思った。
一つ、当時の私が自信を持っていたものがあった。小論文だ。
その頃、私はゴーストライターっぽい仕事をしており、ありとあらゆるテーマで、ありとあらゆるジャンルの文章を書いていた。文章構造についての指導もイヤという程受けた。ブログでてきとーなことを書き散らしている今よりも、当時の方がよほどしっかりした文章を書いていた筈だ。
東大の入試について色々調べてみると、後期入試というものがあることが分かった。東大文三であれば、センター試験は英国200点満点、数学IAか世界史日本史地理から100点満点、後は倫理や現代社会政治経済から一つ選ぶことが出来る。
600点満点で、大体520〜530以上とれば足切りを突破出来るらしい。センターの成績は、足切りさえ突破すれば二次では問われないらしかった。
二次試験は、英語は長文読解及びそれに基づく論文、国語は同じく小論文が三問で、これなら勝負できるかも知れないと思った。センター試験の足切りにさえ引っかからなければよいのだ。論文にたどり着きさえすれば、仮にもプロとして活動している自分が、受験生に負けることはそうそうないと、大した根拠もなく信じ込んでいた。
当時の私はかなり奇天烈な成績をもらっていて、理系科目についてはホント―にまるでダメだった。物理も化学も生物も地学もさっぱり分からなかったし、数学もIIB以降についてはさっぱり自信がなかった。
一方、国語については、現代文も古文も漢文もなんでもござれ、という程度に自信はあった。英語もそれなりに出来た。世界史日本史地理には全く自信がなかったが、倫理は殆どが常識問題で、センター入試でもそこそこの勉強で9割はとれるという見込みがあった。であれば、英国数合わせて70点程度は間違えられる。
今から改めて考えると随分とまあ甘い見積もりだが、何かの間違いで私は足切りを突破して、東大文三の後期入試を受けることになった。入試会場は確か駒場だったが、最初間違えて本郷に行きそうになった。危ないところだった。
後期入試の問題は、詳細なところは覚えていないが、確かボンペイについて書いた文章を読んで「パニックについて思うところを論ぜよ」みたいな問題と、アフリカについてのエッセイを読んで「エッセイとは試みの意味である。この文章の試みについて論ぜよ」みたいな、かなり変化球な問題だったことを記憶している。
変化球なテーマには慣れている。結果から言うと、私があれこれ考えて記述した小論はなんとか二次試験を突破して、私は東大に合格することになった。受験は東大後期一本、受からなかったら就職して働くかという二択だった。
ちなみに、この後私はフランス語を選択して、入ったクラスには文三後期フラ語選択の人間が殆ど全員集められていたらしかった。妙なヤツらばかりで色々と面白かった。フランス語の単位は落とした。
というわけで、私の成績やら勉強やらは、実のところ世間一般の東大生へのイメージとはかなりかけ離れている。やったことは、どちらかというとスキル極振りの一芸入試に近い。同じように後期入試で受かった人間は何人か友人にいて、一人の例外もなく奇天烈なヤツらばかりだった。
2016年から東大は後期入試を撤廃して、代わりに推薦入試を導入した。かつての私や友人たちのように、スキル極振りの妙なヤツが入学する余地が狭くなってしまったのかと思うと、若干寂しい気もする。
いつか書こういつか書こうと思って、ずっと書きそびれていたテーマだ。私は出身大学に一応の誇りを持っているが、かといって東大生というバッジをつけて社会を歩く気はなく、自慢ととられるのも避けたいという妙な障壁があった。卒業して15年も経てば、流石に出身大学などどうでもよくなる頃で、逆にこだわらなくて良かろうと思ったので書いてみた。
今日書きたいことはそれくらい。
推薦はAO義塾みたいな塾が幅を利かせてるみたいで多様性とは真逆なイメージです。
その中でも後期で入ったS君はとても変わってて大人だったので速攻で仲良くなって未だに友人です
やっぱり後期の人はかっこよい人が多かったですね