たまに見るんですが。
これは断言していいと思うんですが、「科学は絶対的に善であり、間違うことはない」「科学は万能である」と思っている人がいたとしたら、その人は「科学って何?」というところからよく分かっていない人です。
そして、私が知っている限り、ちゃんと論拠をもってニセ科学批判をしている人の中にそういう人は一人もいないと思うんですが、どういう訳か、「科学万能主義」「科学絶対主義」みたいなものをワラ人形に据えて、それを批判するという人は結構頻繁に目にします。
例えば先日、科学万能主義が云々、ということを枕に、牛乳有害説を取りあげている人を見かけました。どうもあまりアクセスを送らない方が良さそうな案件だったのでリンクは貼りませんが。
まあ牛乳については、乳糖不耐症の人とかもいるし、体質に合わない人は飲まない方がいいんじゃないの、けど牛乳自体が有害って言うのは明白におかしいよね、という程度の意見なんですが。私が知っている限り、牛乳有害説を批判している人の中に「科学は万能である」という人は一人も観測出来ないので、具体的には誰を指しているのか教えてもらえると嬉しいなーと思いました。
ちょっと前にはこんなツイートも観測しました。
shinzaki / しんざき
RT @naho_kaachan: 「科学は絶対的に善であり、間違うことはない」
と思っている人。その自覚のなさ。
ニセ科学批判の人、かなりの割合でそうなっている印象がある。
人の心を「科学」という言葉でねじ伏せようとするとこうなるのかな。 at 09/19 15:53
「ニセ科学批判の人、かなりの割合でそうなっている印象がある。」ということなんですが、これも同じく、ニセ科学批判界隈の人で「科学は絶対的に善であり、間違うことはない」と言っている人を観測したことが一度もないので、出来れば具体名を挙げてもらえればなーと思います。
科学というのは凄く広い言葉なんで、一言で説明するのは難しいのですが、共通する方法論というのはあります。科学的方法とか、科学的手法とか言われるヤツです。
細かく解説すると長くなるんでざっくり書きますと、「測定可能性」「再現性」「論理的整合性」辺りがここで取り上げたいキーワードになります。
つまり、
・実験によって測定することが出来、
・同じ条件であれば、誰がやっても同じ結論を導くことが出来、
・証拠を元に、きちんと筋道だった結論が得られること
を科学の対象とするんだよ、という話ですよね。まあ分野によっても色々変わってはきますし、ここで書いてあることが全てじゃないのは当然ですが。
これって、裏返すと、
・一人で証拠もなしに勝手に導いた結果は科学的に正しいとは認められない
・反証の機会を提供しないものは科学的に正しいとは認められない
っていうことですよね。
つまり、「一人でやると間違えるから、色んな人が検証して、皆が正しいと賛同出来るものを正しいと考えましょう」というのは、科学の重要な考え方の基盤なんです。「人間は間違えるから、皆で確認しましょう」っていう考え方なんです。
ある事象が「科学的に正しい」と一旦認められたとしても、それが後から覆されることっていうのは全然珍しいことではありません。科学は、常に検証するものですし、常に反証可能性を考慮するものです。
現実、論文は色んな人に検証・確認(査読と言います)してもらえないと妥当だとは認められないし、一度認められたものが後からひっくり返されたりもする。
一人、あるいは仲間内だけで勝手に「正しい」と言っていることよりも、皆で「正しいかな?正しいかな?」と議論され続けられているものの方が信頼できる。多分当たり前のことですよね?
その辺のことが分かっている人であれば、間違っても「科学は万能である」とか「科学は絶対である」なんてことは言えない筈なんです。逆に、「万能も絶対も存在しないから、その時点でなるべく妥当だといえることを「正しい」と考えようね」というのが科学、という風に言ってもいいかも知れません。まあこれも随分ざっくりした話なんですが。
ただ、いわゆる科学的方法と相性が悪いものを信奉している人達にとっては、「科学絶対主義」「科学万能主義」というものが存在した方がどうも都合がいいらしいんですね。
「偏狭な」「自分たちの理屈以外を認めない」「他の考え方を許容しない」というようなイメージが科学にあった方がぶん殴りやすいし、「科学から迫害されているけど実は正しい私たち」を演出しやすい、ということなんでしょうか。科学を「権威」と設定して、敢えてその権威を否定してみせることで注目を稼ぐ、元々その分野をよく知らない人に「そうだったのか!」と思わせて信用させる、といったテクニックを使われる人も散見されます。
そういうの好きじゃないなあ、と。
私はどちらかというと科学的方法を信頼している方なので、科学を何か勘違いしたワラ人形にしようとしている人たちがいると気になりますし、「科学ってそういうもんじゃないと思いますよ」と言いたくなります。そういう人たち自身はもう手遅れだったとしても、もし同じように科学を誤解している人がいれば、出来れば誤解を解きたいなーと考えている次第です。
今日書きたいことはそれくらいです。
そして、批判することを否定しているわけではない。
もっとお母さんみたいに優しく批判すればいいのに
みたいな意見にすぎないのかなと
私がそのツイートから思ったのはそれぐらいです
実験から得られた事実をいかにもっともらしく説明できるかの積み重ね
まかり通ってもいいんじゃないでしょうか。
科学万能主義を放棄することと、オカルトが正しくなることの関連がよくわかりませんが。
今の科学でもまだ分からないこと、もっと話し合う必要があることを小学校でも教えることができればいいのに。
アホと密に接触したくないからって「○○な人は往々にして〜」と、ぼかして言ったって当のアホには未来永劫届かない
結局「わかってる陣営」の内輪で「ぼくたちわかってるもんね、ネー」ってやってる図になってしまい
アホはそれを遠巻きにこっそり窺って、また「科学万能主義しゃ」への敵愾心をたぎらせるのだw
金がないからやらないだけで
そういう意味で言えば、科学万能主義は金の稼げるエコシステムが保証されている分野だけの話であって
そのエコシステムはシャドウボクシングし続けて勝った人たちが作ったものだと思うのですが、いかがでしょう
どうしてそういう動機を得たのかはちょっと理解できませんが。
考えることとして、例えば、流行している強い思想を批判してみせることで、自分の雄弁さを誇示したいとか、でしょうか。
言ってることは結局「科学は正しい」ってことじゃん
化学の発展でいろんなことがわかってきましたが、まだまだわからない、解明されていないことが沢山あります。
もし化学が間違っているときがあれば、それは間違った考え、間違った計算なのです。(もっと発展が必要)
具体的に人の名前上げろというが、そういう人は科学の専門家じゃなく頭でっかちタイプの素人
ネットにうじゃうじゃいるでしょ?
記事書いた人の方こそ奇妙なわら人形相手に憤ってるように見えるけど
コメント欄を見て思いました。
今回は、なぜか(対象が存在しない)科学信仰を論拠に批判が展開されると。
批判者の欲望の実現のために、大槻教授の幽霊が召喚されたわけですが、
欲望が事実を塗り替える現実はいかんですな。
彼らが事実でなく欲望のために動いているなら、
科学から得られる明晰や論理の快楽を知ってもらうくらいしか、有効策は無いような。
そんな訳ない。
さんざん誤って検証の末に今の科学的仮説があるんだから。
"実際いるけどね、科学万能主義みたいな人"
その「科学の専門家じゃなく頭でっかちタイプの素人」がまさに科学万能主義だのなんだのと藁人形をこさえてなんか言ってるなあ、というのが本文の内容だ。
最初にまえだなほさんは、科学は絶対的な善だと考えるのはおかしいと主張しました。
次にしんざきさん(ブログ主)は、科学はみなで検証するからそのようなことはないと主張しました。
その後コメントに、結局科学は正しいと主張しているとのコメントを見つけました。
しんざきさんは、科学によって導かれた結果は正しいとか限らないと主張する一方で、
科学的手法自体については正しいやり方だと考えているようです。
まえだなほさんとコメントされた人が結果と手法のどちらを批判しているのかは断言できないですが、
後者であれば確かにおかしなことは言っていないと感じました。
”「科学の専門家じゃなく頭でっかちタイプの素人」”
あなたです 草
あろうことか、「反対意見」という誤認の上塗りに、中身のないレッテル貼りとは。
科学の専門家の言葉が(きちんと理解されていないのに)大きな発言力を持ってしまう、という現状が関係してそうですね。
(STAP細胞などがわかりやすい...)
素人が科学的なこと言っても、聴き手のリテラシー不足ゆえ説得力を持たず、
結果的に発言者の肩書き(権威)によって判断される現状。
そういうものへの苛立ち、つまり自分が事実ベースで発言しても権威がないゆえにあまり発言力を持たないことへの苛立ちが
(脳内)科学信仰の否定という行動へとつながるのかなぁ、と思った。
まぁこの記事で指摘されてる部分は、馬鹿 -> 終了 でいいような気もするけどな。
医学も生物学も工学と同じでしょう。医学は工学に似ていてアイデアが必要ですし、生物学も生物的機能の「なぜ」には答えられない。
すると「科学的」とは具体的に何かというと、あくまで物理学と化学での作法というだけな気がしますね。
世の中は科学的でないものばかりなのですから、基本的に非科学的だというのは批判にならないはず。
インチキ物理学者やインチキ化学者以外への「非科学的」という批判は、その意味で「科学万能主義」という世界観であって科学では無いのではないか。
世の中は科学的でないものばかりなのですから、基本的に非科学的だというのは批判にならないはず。
人文科学というものも忘れないであげて…
人文科学は科学じゃねえよ!!
>
>人文科学は科学じゃねえよ!!
お前全世界の文学部・宗教学部の学生に一発ずつ殴られるぞ
まあ、上の書き込みは「非科学的」という批判は大体「科学万能主義」だという論旨なわけだけど、テーラワーダ仏教や幸福の科学やその他スピリチュアル系で科学を自称する事はよくあるし、それに対する限りでは物理学化学以外でも「非科学的」という批判は有効なのかもしれぬ。
違うんだよ。科学は自らの間違いを認めて
訂正または撤回をする事が可能な知識体系だから、
常に「暫定的」に正しいんですよ。
それ以外のオカルトや宗教は検証も反証も
認めないが故に誰かが唱えて一定の勢力になった時点で
「絶対的」な物になってしまうんです。
ただし便宜上科学的に暫定的に正しいとされた説をいちいち疑っていたら
話が進まないので、とりあえずの正解として話を進めるのです。
そうでないと車輪の再発明のような無駄な作業の繰り返しになります。
科学万能説がどういう態度なのかは想像に難く無いのですが、
本当にそんな人が居るのだとしたら、それは科学主義者では無く、権威主義者なだけですね。