2007年06月20日

匿名ダイアリーの宗教議論が面白い

こういうのが読めるのは増田のいい所だと思う。宗教関連のお話は普段避けているんだが、ちらっと。

オレはエホバの証人
オレ(エホバの証人)がとりあえず応える(1)

で、また面白い具合につっかかってる人もいて、それに対する突っ込みもあがってる。
http://anond.hatelabo.jp/20070620032418
http://anond.hatelabo.jp/20070620093116

この話はこの話で面白いんだが。ちょっと一般論に入る。

以前にも似た様なこと書いたが、宗教に限らず、「何を信じるか」「どんな思想を持つか」だけなら何の問題も生じはしないのだ。

問題は、「どれだけ他の思想が許せないか」「どれだけ自分の思想を押し付けたいか」という軸上で初めて発生する。

何かを強く信じる人は、それを他人にも啓蒙したくなるのだな。思考はあふれ出すし、思想は広めたくなるし、すばらしいものは人と共有したくなるのだ。これが嵩じると、自分の思想に共鳴しない人、あるいは自分が反対する思想の持ち主が許せなくなってきたりする。これをどれだけ制御出来るかというのが、そのヒト、その思想、あるいはその宗教の「厄介さ」の尺度になるだろう。単純な話だ。

そしてこの場合、「あまり制御出来てなさそうな人」は、冒頭増田ではなく突っかかってる人の方である、様に私には見えたのだな。この辺は議論として面白いところだとは思うが、つまり「許容度の狭さ」に関しては、宗教だろうが思想だろうが軸は共通、ということではあるのだろう。

端的にまとめると、「自分が好きなモノを嫌う人もいる、ということが許せない人」が宗教や特定思想に突っ込むとエラいことになるんじゃないかね、ってこと。そういう人を作ってしまう宗教もあるみたいだけど。


これは勿論メタな話なので、ウヨサヨ話からプロ野球の話題に至るまで、どんなケースにでも当てはまる。例えば、私には「ゲームのハード信者」というものが未だによく理解出来ないのだが、Webを見てるとPS3とかWiiとかXbox360だの非常に喧しいのだな。なんなんだろアレ。セガがハード業界で頑張ってた頃ならまだ分からんでもないけどな。

まあ、自分の思想を語りたいという欲求に関しては、ブログを書いている時点で人のこと言えんか。


放言すると、「布教さえなければ宗教大歓迎」って感じなのだが、これ言うと怒られるかな。とにかく自分の子供を無条件に信者にするのはおかしいだろ、とは思うんだが。

(追記 07/06/20 12:53)--------------------------------
タイムリーというべきなのかどうか、関連記事をみつけた。
[宗教][倫理] エホバの証人・輸血

こちらは具体的な話。

(追記2 07/06/20 22:07)-------------------------------
セガについて補足。

人は抑圧に対して抵抗し、弾圧に対して結束する。
それまでそれ程強い帰属意識をもっていない場合でも、周囲の抑圧によって「信者」化していくというのは割とよくある話で、つまりセガハードのユーザーには長い弾圧と抑圧の歴史が(以下300行削除)
posted by しんざき at 12:36 | Comment(6) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
 宗教の厄介なところは「それ自体(宗教)がイデオロギーに過ぎない」ということを拒否している、という部分じゃないですかね。イデオロギーであることを認めてしまえば、異教を認めることも出来るのでしょうが。
Posted by LSTY at 2007年06月20日 15:17
>LSTYさん
宗教が自分をイデオロギーだと認めない、というのはおっしゃる通りだと思います。

ただ、

>イデオロギーであることを認めてしまえば、異教を認めることも出来るのでしょうが。

世の中「偏狭なイデオロギー」というものも存在するというか、他人の思想や世界観をやたらと否定する人もいるので、「他者を受容出来るかどうか」は「信じているものが宗教であるかイデオロギーであるか」と直接関連しないのかも、とも思います。

って、偏狭なイデオロギーを「宗教的」とか称する向きもあるのかな?なんだかこんがらがってきた。

自分用メモ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%AE%E3%83%BC
Posted by しんざき at 2007年06月20日 15:49
昔、何かで読んだんですけど・・・

旧約聖書の宗教ってのは自国人だけの宗教だったので、神様は自国の民以外の民族は救わないんだそうで。

でも、新約聖書の神様は全世界の人々を救うと放言してしまったので、そこに伝道という観念が生まれたんだとか。
そして、布教、改宗に応じないなら、云々と。


あと、マーク3の孔雀王やら剣聖伝なんかを、必死こいてクリアーした自分はセガ人なんでしょうか?
自分では、そんなつもりはなかったのですが、周りには、よく、そう言われます(笑)
Posted by あーく at 2007年06月21日 01:31
>あーくさん
>でも、新約聖書の神様は全世界の人々を救うと放言してしまったので、そこに伝道という観念が生まれたんだと

なるほど。その辺は、旧約と新約の大きな違いですよね。

>必死こいてクリアーした自分はセガ人なんでしょうか?
私はマスターシステムが家にあっただけでセガ信者的扱いを受けたので、おそらく世間的には十分にセガビトの条件を満たしているかと思います。
Posted by しんざき at 2007年06月22日 10:40
初めまして。

無神論者も結局自分の世界観を押し付けているという点では同じかもしれません。
主観的な意見ですけど、今までの経験上、何か信仰を持っている人のほうが精神的に安定していることが多い気がしますね。
心の拠り所がある方が生きる上では良いのかなと思ったりします。

自分のような無神論者は結局最後に頼るのは自分だけになってしまうので自分に自信が無くなると弱い気がします。
勿論、新興宗教や攻撃的な思想(共産主義とか)は論外ですが。
Posted by ユージン at 2007年06月22日 11:31
>ユージンさん
>主観的な意見ですけど、今までの経験上、何か信仰を持っている人のほうが精神的に安定していることが多い気がしますね。

信じるものがある方が普段の精神が安定する、というのは、そうでしょうね。

ただ、信じるものがあるばかりに他と衝突する、みたいなこともある場合は、トレードオフって感じなのかも知れんとも思います。
他とぶつからない程度の「信じるもの」を見つけられれば、まあ、それが一番いいんでしょうけど。
Posted by しんざき at 2007年06月23日 21:56
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宗教はなぜ他人にも広めようとするのか
Excerpt: 不倒城: 匿名ダイアリーの宗教議論が面白い ぼくも、宗教は自分だけが信じている分には害はないけど、他人にも広めようとするところが煩わしいなと思う。 ま、それはなにも宗教に限ったことではないのだ..
Weblog: R行軍記
Tracked: 2007-06-24 01:33