昨日の記事の続きです。
「悪文」の定義は、大辞林に拠れば「難解な言葉を使ったり,文脈が乱れていたりして,理解しにくい文。へたな文章。」ということでして、要は「理解しにくい」ということがポイントになるので、まあ時代時代で基準も変わってくるのだろう、というのは分かるのですが。
それでも、
「輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。」
や
「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。」
が「悪文」呼ばわりされてしまうのは個人的にはかなり違和感があります。
ただ複文と単文をつなげてるだけでしょ、これ。しかも読みやすくする為に構文的な読点まで使っている。これが「悪文」になっちゃうなら、世の中どれだけ悪文だらけなのかって話ですよ。青空文庫に収録されている、ちょっと前の文学作品なんて悪文のアジトみたいなもんじゃないでしょうか。
あと、「和牛が人気の牛肉」という表現が分かりにくいって言われてしまうと、属格の「の」全否定ですかって感じでちょっと途方に暮れてしまうんですが…。
ちょっと構文上複雑なだけの文章にいちいち「悪文」というレッテルを貼っていくと、やがては単文の組み合わせでしか文章が構成できなくなっていくんじゃねえかと。あまりにも「一見した時の読みやすさ」という軸に基準が寄り過ぎなのもいかがなものかなーと感じます。
あと、「読点は言葉と言葉の関連を区切るために使われます」という言葉に引っかかっている人がいらっしゃったみたいです。読点の仕事は勿論それだけではありませんが、読点には構文上の役割もちゃんとあります。
出典が気になる人は、web上であれば、村越行雄先生の論文がいくつかあるのでご参照ください。この辺お勧めです。
書籍で言えば、野内良三先生の日本語作文術あたりをお勧めします。本としても面白いです。
ただ、読点の役割が混沌としているのは確かでして、本当に単純に語調を区切る為に使ったり、特に意味がない読点を入れても文法上の間違いになるわけでもないので、「通常」という言葉はちょっと強かったかも知れないですね。すいません。
あとこの問題とは全然関係ないですが、三上章先生の「象は鼻が長い」という作品、日本語構文の奥深さを学ぶ為に絶好の名著なんで、興味ある方は是非お読みください。損はさせません。
今日書きたいことはそれくらいです。
ブログ書くのなんか意味ないと気づいたのならすっぱりやめちゃえば(笑)
日本語(というか言語)という道具の性能を刈り込むことによって
道具の扱いに習熟するための努力をハナから拒むアホに迎合する思想
「文章は限りなく平明であればあるほどよい」わけではない
読解力の低さを“武器”にしているアホに付き合って時間と労力をドブに捨てないために
決然として足切りしなきゃダメ
「ちょっと前の文学作品なんて悪文のアジトみたいなもん」は少し変。
例えば「見本市みたいなもん」とすべき。
ただしこういうマメチシキは、読解力やら文章力がどうこうという話には直接関係ない。
ティネクトの寄稿に増田で批判してたのとかいたから地味に効いてんじゃね?
育児とか教育なんて簡単に正解が見つかるもんじゃないし、子供によっても違う。同じように他人のブログだって、やめるのやめないのを外野から言うもんじゃねーよ。
俺は一応、時々感心して読んでる。だからどうとか言わないけどな。
長いけど、本来ならこれくらい文言を重ねないと伝わらない文章なんだよ。
原文は元々、法律用語の書き方、もしくは英語の直訳文だよね。
文章の巧拙は時代によって変化する。文法的な間違いと悪文は、ニュアンス的に少し違う。
原文はちょっと古い書き方。
下手をすれば、昭和時代に流行った書き方。
凝っているわりに、冷静に読むと中身がまるでない。
こう書くとモリカケ問題も納得だけど、文科省の役人(が作ったかどうかは知らないけど)はレベルが低くなっている気がする。新学力テストの内容を見てもそう思う。
同じ単語が出てくる文章はクドいですね…
普通文を読むときって、こういう一文だけを読むのではなく、前後の文脈と組み合わせて読むわけで。
文章の中にこの文があったなら、同じだよねでスルーというか気にしないのだけど、一文で置かれて、問題として出されると、注意深く読んで変に考えすぎて引っかかると思う。というか私です。
例えば、これが日本の貿易についての文章の中にあって、問題で、この文章で述べていることをいくつか選びなさいとすれば、もう少しましな結果になるのでは?
ていうか、読解力というのは古文の解釈もどきみたいなことをして読む力ではなく、文脈の面からで文章の意味を理解できるものでは?
現実生活で、社会スキルとして勉強とかで読む時にこんな古文解釈のようなことをして読まないでしょう。
そもそもこの研究は
読めていない人がこんなにいる
読めていないと勉強とか社会に出てからのスキル獲得とかに害
だから問題、どう対応するべきか?という提起で、そこでアホなど切り捨ててしまえっていうのはどうかと思いますよ。
言語というのは趣味のためにあるわけではないですからね。教育やスキル獲得ににおいて重要で、それが格差だとか貧困だとかそうした社界全体の問題にかかわる話なのだから。
生理的にイラッときます
輸出が伸び悩む中でも例外がある、と言いたいわけだから、は「伸びている」で文章を閉じたいところ
「好調だ」では「伸び悩む」との対応が弱くて、例外であることが不明瞭になる
「和牛ブーム」や「日本食ブーム」は伸びている理由を示しているわけだけど、ひとつの文章に無理に入れる必要あるのかな
どうしても必要なら結論を言ってから続く文章で理由を示すべきでしょう
「リーダビリティ向上のために費やされる労力のコスパは漸近線を描くのでどっかで足切りが必要だ」
という原則論を自分は述べたのであり、その「どっか」を具体的にどういうところに設定するかなんていう話はしていない
(言わずもがな、どこで見切るかは時と場合によりけりで“決然として”自分で決めるものだ)
この読解力テストが一律の足切りラインであるべきだ、なんて金輪際書いてないのだ。
かくのごとくアホは書いてあることは読み取れず誰も言ってないことを勝手に読み取ってしまう。
そして「そもそもこの研究の意義とは〜」とか、相手の話に全く関係ないことを得意気にのたまいだす。
自分が「足切り」の必要に言及したのは、元々の「問題がよくない」との意見について「それを言ってたら結局キリがない」と言ってるのだ。
そもそも、「これは完全無欠の文章だからこれでも誤読する奴はダメダメよ」というつくりのテストではなかろう。
「それぞれどうということもない文章の趣意をフツーに読みとれるかどうか」で一般的な意味での読解力を測ってるだけだろう。
であれば、問題文の質をあーだこーだとつつきまわす批判はいかにも筋が悪かろう、という含みだ。
アホな反応に対し懇切丁寧に解説すれば「理解できました」アラあながちアホじゃなかったのね…などという経過をみるケースは万に一つもない。
一度は全力で説明する。通じないことを確認することで「足切り」する。
ちなみにどちらも正しいです
おそらく悪文だと感じる人は「和牛」を名詞から形容詞に変わったことに関する感情的な不快感を「悪文」と表現しているので、文章の定義をしているわけではないのです
文の修飾節を取り除いて幹の部分だけを取り出してみると省略による文の不自然さがはっきりします。
「輸出が伸び悩む中でも、日本酒や緑茶、牛肉などは好調だ。」
省略されているものを補うと以下のようになります。
「(全体の)輸出が伸び悩む中でも、日本酒や緑茶、牛肉など(の輸出)は好調だ。」
文の主語である「輸出」が省略されています。一般に主語が省略された複合分は,読解の難易度が高くなりがちです。
[輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは伸びている。]
>『例文のような文章は書きたくないですね
生理的にイラッときます
輸出が伸び悩む中でも例外がある、と言いたいわけだから、は「伸びている」で文章を閉じたいところ
「好調だ」では「伸び悩む」との対応が弱くて、例外であることが不明瞭になる』
>『「悪文」ではないですが「理解しにくい文」ではあります。冗長な主語や修飾語の省略が行われている文章なので,これを適切に補完できないと意味が理解できないからです。
文の修飾節を取り除いて幹の部分だけを取り出してみると省略による文の不自然さがはっきりします。
「輸出が伸び悩む中でも、日本酒や緑茶、牛肉などは好調だ。」
省略されているものを補うと以下のようになります。
「(全体の)輸出が伸び悩む中でも、日本酒や緑茶、牛肉など(の輸出)は好調だ。」
文の主語である「輸出」が省略されています。一般に主語が省略された複合分は,読解の難易度が高くなりがちです。』
「この文章を読み取れなかった自分はバカにされてる」と読み取った人が攻撃的な文章で反撃する
というのが話を混乱させてる気が。
最初のコメントからしてそうだよね。
「これは悪文ですか?」程度の疑問さえマウンティングと受け取る人がいきなり出てくる。
これだけ色々な側面から指摘が入るという面で
うかつな設問であることは確かでしょう。
問題文の「和牛が人気」と「和食ブームを反映」から、「和に関する品物は好調」がトピックであると推測した。これをトピックセンテンスとして、アレンジしつつ書き直すと次の文章になった。
「 輸出が伸び悩む中、和に関する品物は好調だ。たとえば牛肉・緑茶・日本酒などだ。牛肉は日本ブランドである和牛が人気だし、緑茶と日本酒は和食だ。これらはいずれも和の要素を持っている。」
「好調な品物がある」がトピックなら、次の文章で十分だろう。
「 輸出が伸び悩む中、好調な品物がある。それは牛肉・緑茶・日本酒などだ。」
丁寧な説明を増やせば可読性が高まるなんて当たり前でしょ。
元々は読解力の問題で、それが読解力をはかる問題として適切か読解力があろうが誤読する悪文かというところが論点なわけで、読解力の低い人向けに文章を並べ替えては本末転倒です。
それと文章例もイマイチです。
>輸出が伸び悩む中、好調な品物がある。それは牛肉・緑茶・日本酒などだ。
こういう書き方だと元の文よりも後半部分が強調されてしまいます。
文脈を変えてしまっているのに単に情報量が変わらないというだけで
文意を同じととらえてしまうのはいただけません。
こちらは、より伝わりやすいであろう文章を考えているだけです。伝えることを目的として書かれた文章は、簡潔であるべきだからです。簡潔でなければ、読み手に誤読されてしまい、書き手の意図が伝わりません。
>文意を同じととらえてしまうのはいただけません。
ご指摘の文章例については、元の文(問題文)と文意が同じだとは考えていません。ご指摘の文章は、「好調な品物がある」ことが書き手の主張であった「場合」の例です。『「好調な品物がある」がトピックなら』次の文章で十分、と条件付けしています。
問題文と文意が同じだとして挙げた文章例は、「 輸出が伸び悩む中、和に関する品物は好調だ。(攻略)」の方です。「和食ブームを反映した」といった情報を欠落させてしまっていますが…
>こういう書き方だと元の文よりも後半部分が強調されてしまいます。
たしかに、日本的な文章に慣れていると、そのような解釈になるでしょう。日本的な文章では、書き手の強調したい事柄は、段落や文章の後方で述べられる傾向があります。そのような文章ばかり読んでいれば、「後ろにある文こそが書き手の強調したい事柄だ」と解釈するクセが付きます。
ですがこれらの文章例は、日本的な文章の書き方をしていません。これらはパラグラフライティングに基づいて書いています。この書き方では、段落内で強調したい事柄は段落の最初に述べ、以降はその事柄を補足する情報を書き連ねます。