脳内で声がしません。
いきなり何を言っているのか、ついにトチ狂ったかと思われるかもしれないですが、いわゆる内言の話です。
どうも世の中には、文章を読んだときに脳内でその音声が再生される、つまり「文章を読む声がする」人と、しない人がいるようなのです。あなたはどうでしょう?今、脳内で声、してますか?
しんざき奥様は心理学畑の人で、もともと大学では心理学を専攻していました。で、何がきっかけだったのかよく覚えていないのですが、「内言というものがよく分からない、というか脳内で声が再生されるという感覚が分からない」という話をしたら、なにやらびっくりされたのです。
しんざきは、文章を読んでも、その文章を読む声が脳内で再生される、ということがありません。昔から、多分こどもの頃からずっとありません。文章は、「文字のかたまり」「情報のかたまり」としてそのまま頭に入ってきて、そのまま処理されます。声とは結び付きません。
それが普通というか、脳内で声がするとか怖、神のお告げやんそれ、みたいに考えていたところ、しんざき奥様にとっては「文章が声で再生される」という方が普通だった為、割と根本的なところで感覚が全然違っていて二人ともびっくり、というような次第だったのです。
ふと興味がわいてきたのでTwitterでアンケートをとってみました。投票という機能を初めて使いました。
まだ時間は残っていますが、おおむねある:ないが8:2くらいの割合で安定して推移していますので、多分これくらいの割合が妥当なんだろうと思いました。とはいえ勿論クラスタで偏っている可能性はあります。
なるほど、確かに「文章を読む声が脳内で再生される」人の方がかなり多いようです。とはいえ、声がしない人もそれなりの割合で存在します。
ちなみに、Twitterで質問をされたのですが、
・マンガや小説がアニメ化された時、声に違和感を感じることがないか?あるとしたら脳内で声を想定しているということでは。
→そもそもアニメをあまり観ないので、あまりそういう経験をしたことがありません。。。ただ、確かに、「この声合わない」みたいな感覚は分からないっちゃ分からないです。関係ないですが、闘神伝(初代)のカインの声をきいて「声ふとっ!!」とか思ったことはあります。
・何桁かの数字、例えば電話番号とかを覚えるときって、字面で覚えるのか?
→字面で覚えますね。。。幾つかの数字をワンセットで処理したりはするかも知れません。
・楽譜を読んでも音がしないか?
→すいません楽譜が読めません。。。ただ、例えば「ドレミー」とか書いてあってもドレミの音が脳内で再生されたりとかはしません。曲を思い出してその曲を脳内再生することは出来ます。
上のはあくまで私の感覚なので、多分人によって違うんだと思います。「オンオフの切り替えが出来る」という人もいれば、「読む時は声がしないけど、書く時は声がする」という人もいました。
この辺、人によって感覚が全然違うようで、なかなか面白いですよね。「文章を読む」という、すごく基本的なところでも、根本的なところで受け取り方が違うというのは、同じ人間なのに興味深いなーと思った次第です。
ということで、今日書きたいのはそれくらいです。
深夜アニメを観て面白そうな原作を読むということをよくやっているからかもしれません。
脳内で声が再生される場合は、読んでいる最中につっかえるとまた文頭から読み始め一言一句違えずに脳内の声を再生させようとして非常に時間がかかり、読後の疲労感も大きいため、実は良くないことなのではと感じながらも直せずにいます。
それどころかちょっと疲れますけど好きな声優さんの声でテキストを脳内再生できますよ。
そういう人って多いんじゃないですかね
でも、英語では、一つの文章のまとまりを感覚的に理解している感じです。
この違いは母国語であるかどうかの違いなんでしょうか?
頭の中で、映画やアニメみたいな映像になります。
アニメ化で声優がイメージと異なっていても、
それ以降はその声優の声で再生されます。
人格入れ替わり描写の場合、入れ替わり元の人が、入れ替わり先の人の声を出すときは、元の人が先の人の声を真似た声で聞こえます。
(これは、すげーな俺って思ったw)
小学生低学年の頃は頭の中で声に出さないと読み取れてなかった覚えがあります。
高学年になって本を読む量が増えてくると、自然と声がしなくなっていきました。
このあたりで他の人より多少早く文章を読めている実感がありました。
その後アニメ原作のラノベや漫画を読むようになって、声優の声で脳内アフレコをしてるうちにコントロールできるようになっていった感じです。
今はニュース記事や業務関係、資格試験問題、あるいは流し読みをするときは声がせず、小説や漫画などをじっくり楽しむときには声がするようになりました。
結構面白い説でなおかつ納得出来る事だらけなので一度は触れてみるのも良いかもです。
私は脳内で音読しないと文章を読めないし、さらにその音声を元にイメージ・ヴィジョンを構築しないと物事を理解出来ないw
逆に現物さえ見れれば言語や聴覚で認識する時よりは速く正確に理解出来るんですが。
なので
「いつも声がしない」「いつも声がする」って二者択一にできるということのほうが理解できないのです。
音声が聞こえるタイプの文章もあれば、そうでないものもあります。
同じ小説というジャンルであっても、です。
響かない人は本読むのが2倍位速い
むかし、彼女と一緒に本を読んでた時彼女は響かない派で読む速度が違いすぎ
一緒に読むのが不可能だと悟った
ただ理解力はどうも僕のが上だったのでどちらが良いかわからない
音が聞こえる人は喋りながら音を数えられないし、画像が見える人はものを見ながら数えられないらしい
聞こえる(というか脳内発声の方が近い?)と読む速度が落ちるので追い払うのに苦労します。
脳内ループ音楽を追い払うのに苦労するのと同じ、意識するほど出てきちゃうという(苦笑
情報媒体として読む時は声にしないし、味わいたい時は声にする感じです
論説文なんかは、そもそも文字か声かという以前に図や表に変換した方が早いですし
小説も声にしない方が速くは読めますが、速さよりも味わいたいので声と映像にします
Hello John, nice to meet you.
付贅懸疣 渟膏湛碧 蓴羹鱸膾
floccinaucinihilipilification
महिलाओं के प्रवेश पर बोला बोर्ड- सबरीमाला मंदिर को नहीं बना सकते थाईलैंड
こうやって「読める文」と「読めない文」を並べてみると、読める文は文字単位ではなく単語単位で認識してること、読めない文は文字単位で認識するしかないことが感じ取れると思う。読めない文なんだから音がしないのは当たり前じゃないかと思うかもしれないがそうではない。それは数学の積分記号なんかを考えればわかる。積分記号を見ると頭の中で「インテグラルゼロから無限ディーエックスディーティー」とか声がするという人は少数派だろう。
ここに書いている人もGoogleの検索結果を見てそれが音になっているとは思えないけどな。パラパラと眺めると何となく必要そうな所が目に飛び込んでくる。それで読めていないかといわれるとそうでもなくて別に普通に検索結果は読めている。でも音はしない。
逆にラノベとかを読むとセリフを話しているように聞こえる。描写が多い本の場合はセリフってより映像が普通は浮かぶ。映像が浮かぶ段階になると今度はむしろ文字とすら認識していないような感覚になる。感覚としては映画の字幕を見ている時なども同じような事が起きる。映画に引き込まれていくと字幕を読んでいる感覚はなくなりその人が字幕のように喋っている気分で見ている。字幕に意識を集中しなくても勝手に読めるというか。だから段階としては3つあると思う。
1.Googleの検索結果状態
2.脳内で音読していて声がある状態
3.映画の字幕のように文字を完全に意識しない状態
だれもがこの3段階の読み方をそれぞれ使い分けているのではないだろうか。小説とかもGoogleの検索結果のように読もうと思えば読める。そして恐ろしく速く読めるし読み終わった後の文章の記憶も実はそんなに変わらない。じっくり読んでも全ての文面を覚えているわけではないので。ただ、そんな風に読むと面白くない。例えば漫画で絵を全部消してもセリフだけでそれなりにストーリーが分かる話しがあったとしても絵がついていた方が面白いので絵も普通はみると思う。面白さのために絵の部分を見る。同じように小説でも脳内に浮かぶ映像やセリフの音声を認識するために読むと思うんだ。てかそれがなかったら小説って糞つまらないと思う。
何となく違いを頭の中で感じます。
聞こえない人はこの単語 ”ビックリする”の文字だけでの認識のみということですか?
そうなら違いは無いですよね。 だとすると私には驚きです。
http://gigazine.net/news/20160225-read-voice-in-head/
キャラクターや風景のビジュアルが頭に浮かぶこともかなり少ないです
昔から歴史小説などの俯瞰的な文章を好んで読んできたせいかもしれません
上のコメントでも上がっていますが、音読文化が影響していると思います。
ただ、速読を使うと聞こえなくなります。
私は例えばこれを書くときも、
一度脳内で「読み上げ」てから書いているのですが、
脳内にパッと入力後の文字列が浮かんでそれを入力する感じでしょうか。
だったらすごく便利そうで憧れます。
耳元で台詞の朗読を聞くと同レベルだとするならば自分は「全く無い」ですね。
聞こえる人のほうが多いとは以外でした。
文章読むスピードで話されたらめちゃくちゃ早口になると思うけど、それを聞かされてる感じになるってこと?
抽象的な話ですが、脳内で文章を解釈するスピードが、一般的な喋るスピードよりも早いので、音声をあててるとまどろっこしいです。
とはいえ、音声としては認識している気がします。なんていうか、文章を音声ファイルに変換して解析するけど、再生はしない感じでしょうか。
ちなみに物語でも登場人物の声はあまりイメージしません。ただ、顔は外観は、無意識のうちに実在の俳優とかを配役してることが多いです。これを決められないと入り込めないですね。
主人公とか。脇役でも聞こえる人と聞こえない人がいる。声は自分がこういう声がいいって思って決めてるわけじゃなくて、意識化で勝手に決まってる。
へーこんな声なんだ〜と思いながら読んでる。
ちなみに自分は右脳と左脳が著しく偏ってる方だと思う。数学も右脳で考えるタイプで、公式使わず答えを出す。
脳内での音声再生、
「あー」と息継ぎせずに再生したり、早口言葉を超高速で再生したり、
意識しなくてもスムーズにできるのかどうか?
私の場合、不要なはずの息継ぎをしたり、もつれるはずのない舌がもつれたりと、
思考が肉体の限界に捕らわれる現象が起こります。
意識してこの限界を外さないと、スムーズに脳内再生できません。
これができるかどうかが、音声イメージに頼らない読書につながるのではないでしょうか?
脳内の情報処理も、デフォルトでは日本語の音声イメージによるもので、
図形や集合のベン図を空間上に配置するような思考は意識しないと使えません。
では、先天的に耳が聞こえない人は、思考をどのような方法で行っているのだろう?
こういうトピは、心理学や脳内の情報処理に関することと
密接な関係がありそうです。
オタクの素質があるとかないとか。