2017年11月15日

実名報道についての反応で思ったこと。

昨日の記事の続きです。

今回は割とちゃんと皆さまの反応を読ませて頂いてまして、といってもブックマークとか量が多すぎて正直全部読み切れてないんですが、実名報道不要という向きの反応を多数いただきつつ、ぽつぽつ「こういう理由で実名報道は必要では」という話も頂いております。

昨日の件は、単純に「知ってどうするのか」という疑問だったので、個別の理由の是々非々とは別に、そういった回答を頂くのはありがたいことです。

その上で、そういった個別の論点において、改善すべきところがあれば改善すべきだし、「それは本当に実名報道の必然的な理由になるのか?」ということも考えてみても良いのでは、と思いました。

今日はそれら、いただいた反応について、個別に思ったことを書きます。


・殺人事件の被害者が、もしかすると縁者、知人ではないか?実名報道が行われないとそれが判明しない、という話

「何かあった時に知らせるべき知人」というものが、それぞれの案件について何人くらいいるのかは分からないですが、一般的には何十人、何百人というレベルに収まるのではないかなーと思います。

何十人、何百人という程度の数の人に情報を知らせるのに、下手すると何十万人、何百万人というレベルに伝わる可能性がある「報道」という手段を取るのは、それちょっとオーバーキルではないでしょうか。少なくとも、「知人に知らせる手段」としての報道というのは、明らかにスケール的にも適切でないように思います。

それに加えて、「何故報道になるような事件の情報だけを知りたいのでしょう?」という疑問もあります。事故でも病気でも、かつての知人が亡くなったのは一緒やん、と。報道されるような事件じゃなかったら結局同じなんじゃないですか、という。

数十年前であれば、そもそも他に伝える手段がなかった(新聞に故人の氏名が掲載されていた時代です)から仕方がなかったのかも知れないですが、今の時代、クローズドの連絡手段も、SNS含めて山のようにあります。何故いつまでもメジャー報道で実名を知らせないといけないんですか、というのは考えてもいいように思います。

まあ、そもそも「自分に何かあった時にこの人には知らせて欲しい」というのは本来故人の意思であるべきであって、故人が既に意思を表明出来ない場合は、それは故人の遺族に帰するべきじゃないかなあ、と私は思うんですが。つまり、遺族が伝えたい人にだけ伝える、というのが本来あるべき姿なんじゃないですかね?


・国民に知る権利がある以上、重大事件の詳細は報道されるべきだという話

知る権利があるのは確かかも知れませんが、それと同じように知られない権利というものもあります。一般的にプライバシー権と呼ばれるヤツですね。「知る権利」という言葉が出てきたのは1945年以降の筈ですから、1890年から既に議論されているこちらの権利の方が歴史は古いです。(参照:Wikipedia)

どちらの権利が優先されるかというのは難しい問題ですが、少なくとも知る権利が一方的にプライバシー権に優越する、というのはおかしいのではないでしょうか。現在は、故人にはプライバシー権が発生しないという解釈の元、遺族のプライバシー権もなしくずしに「知る権利」に一方的に侵害されている状態ですね。


・実名報道が行われなかったら警察発表や実際の事件などが検証出来ない、という話

「検証」に対して「実名報道」が必須条件になる理由が分かりません。検証をするならするで、然るべき立ち位置の人が正確な資料に則ってするべきであって、それこそニュース番組や新聞の情報なんて不正確な可能性もあって検証になんて使えたものじゃないでしょう。裁判資料でも、警察発表資料でも、報道以外でアクセス可能な情報(しかもより正確なヤツ)はいくらでもあります。


・正確な報道が行われなかったら、いい加減な憶測に基づいたデマが繁殖するかも知れない、という話

それはいい加減な憶測に基づいたデマを流す人間を非難するべき問題であって、実名報道の是非とは関係ない話であるように思います。というか現状、実名に伴うもろもろの情報が流れた方が、よりデマやらねつ造情報やらの展開が加速する、という状況に近いですよね。観測範囲の問題もあるかも知れませんが、実名報道がされなかった神奈川の事件では、少なくとも今回の事件のような状況にはなっていません。



ざっと思ったのは以上のような内容です。

あと、

・実名の報道
・被害者の個人情報(卒アルだの人となりだの)

は別であって、前者はいるが後者は要らない、というご意見の方もいたようです。私個人的には、前者と後者は地続きであって、明確に区別する必要は必ずしもないのではないか、そもそも前者から不要なのではないか、というスタンスです。まあ後者をメインにセンセーショナルに事件を盛り上げようとする報道は、その遥か以前の段階で大っっっっっ嫌いですが。


以上のような話の上で、最終的な私のスタンスは、

・少なくとも遺族が故人の情報を公開しないことを望んでいる場合は、報道機関はそれを尊重するべきだし、もしそれを破ったら何らかの罰則を付することを検討しても良いのではないか

というものであり、そういった方向に話が流れてくれるといいなあ、と考える次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 06:50 | Comment(13) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
私よりレアな情報にアクセスできる、できたこという、報道機関の顕示欲かと思っています。そんなことより、事件の背景の考察とか他にやることあるだろうに。
Posted by joma at 2017年11月15日 10:42
いやな話ですが、他人の(特に若者の)不幸というのは魅力的なコンテンツになっちゃってるんですねぇ。
Posted by at 2017年11月15日 11:08
全く持って最後の赤字まとめに同意です
遺族が「公開しないで欲しい」と言っているのに、わざわざ人となりなどを含めて事細かに大々的に公開するのは全く許されないと思います
Posted by at 2017年11月15日 11:12
ある不合理を取り上げて、不合理だ!カイゼンしない理由がない!という思考と
いや、そのことだけを取り上げたらそう見えるだろうけど長い目で見たらいろいろあるんだよムニャムニャ、という思考とはまぁ水と油だ。
つまり革新主義VS保守主義だよね。憲法九条が好きor嫌いなんていう踏み絵による陣営分けじゃなく、思考のスタイルとしての。

なぜ殺人事件なら知りたくて病没なら相対的にどうでもいいのか?
奇を漁る性向は単なるデバガメ趣味の不道徳で説明つけるべきものではなく、それが社会を形作り維持するために適応的だからだ…とのみ言い切ればトンデモ還元主義臭くなるが、極力手短に言えば。

もちろんいろいろ細かいカイゼンの努力はしていくべきだ。
でも根本的なところで「そもそも知らない人間どうしの“ムダな”関わりは少なく済むほどよい純コストだ」という発想には賛成できない。
それは他人をお友達リストと単なる書き割りに仕分けする考えだ。
仕分けするにも自分の判断が絶対でいいのか?他力に委ねる部分がないのは不健康ではないか?

…という感覚が私の異論の根底にあるが、ここがしんざき氏たちにとっては「意味不明・理解不能」なのかもしれないし「ああ、そういう考え方する奴がいるのはよくわかってるよ。大嫌いだけど」になるのかもしれない。たぶん前者だろう。
Posted by N at 2017年11月15日 13:02
前記事からそうだけど持論ポエム多すぎだろう。

社会的にどうとか主義がこうとか、マスコミはそういうものとか、そんな話じゃないのでは?

「遺族の言葉や意思、生活や権利が踏みにじられ蝕まれてもいいの? 良いわけないよね」ってだけの至極シンプルな問題提起なんだから、反駁するならそこに触れろよ。
Posted by at 2017年11月15日 16:17
まず、実名報道と必要以上に故人のプライバシーの侵害を分けるべき。そもそも、然るべき人って誰のことをいっているのかわかりません。
プライバシーの侵害は判例で以下のような基準が示されています。
「プライバシーの侵害については,その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し,前者が後者に優越する場合に不法行為が成立する」
今回のような大量殺人の場合、前回の記事のコメント欄にもありましたが、国家権力による情報操作、被害者数の水増し、が行われる可能性があります。今の日本では考えにくいですが、世界では、実際に国家権力によって事件が隠蔽されて、別の事件の被害者にされてしまう例もございました。知る権利とは、実際に警察発表が正確かを判断するのをマスコミに委託するのではなく、正確なことを判断するのはぼくたち国民なのです。マスコミはあくまでも国家を監視する材料の一つに過ぎないのです。現在、インターネットの普及で、マスコミのいい加減な報道が指摘されている例もあります、僕も被害者のプライバシーは守られるべきだとは思います。しかし、被害者を匿名にしてしまうことは、国家権力を監視をする視点を一つ失ってしまうのです。
Posted by at 2017年11月15日 21:29
>ポエムだ〜そんな話じゃない〜反駁するなら〜
一定の収穫はあったと本人は言ってるようだけど?
「社交辞令だ!しんざきさんにかわって、オデがこのなまいきなNとやらをやっつけてやる」ってか。
君みたいなものが無理しても誰も得しないんだけどね。ピンポンダッシュにやりがいを感じてるならまあ好きにすればいいが。


>実名報道と必要以上に故人のプライバシーの侵害を分けるべき

その通り。プライバシーの侵害や権利侵害された遺族の救済については現行法の厳格な運用で手当てできる部分もかなりあり、そこから地道にブラッシュアップしていくべき。実名報道廃止という対策はベストでもベターでもない。
「根本的に、事件報道で個人の名前出す意味などないのでは?」といったSF的なちゃぶ台返しには、一種のブレインストーミング的な意義はあるがそこどまりでしかない。

以下もまったく同感。「検証」作業に一部のプロが動くとしてもみんなが見守る中でみんなの代表としてやるから意味がある。
もしも実名報道を禁じれば、今の世の中から実名報道の弊害だけがなくなるのではない。実名報道できないシステムを逆手にとり悪用することを考えるものが出てくる。それでまた全ての状況が変わる。
Posted by N at 2017年11月16日 10:35
あ、ごめん。
「しんざき氏にかわってものもうす」じゃなくて
「お前は遺族がふみにじられ!むしばまれ!ぎせいにされてもいいとゆうのくあぁ〜〜!?」だよな。
「犯罪被害者遺族に代わって」モノ言ってるつもりなんだ。なかなかおふざけになっておられますなあ、ひととして。

だから「そんなこと誰も全く思ってまちぇんよー」って前の記事のコメント欄で絡んできた時に答えて話は済んでるじゃん。
同じこと繰り返しても結果は同じだよ。
Posted by N at 2017年11月16日 10:57
「実名報道」と「必要以上にプライバシーの侵害」は別物であり、後者は許されるが前者は問題ないという意見の人がいるようですが、
僕はそもそも実名報道そのものがいらないと思いますね。
というより実名報道されてている時点でプライバシー侵害されてるじゃないですか。
両者は分かつことはできないと思うんですよ。

大体、実名報道に何の意味があるんでしょうか。
残された我々がやるべきことって、事件の検証をして、同様の事件が起こらないような社会を作るってことでしょ。
その際に被害者の実名なんてまったく必要ないファクターだ。
被害者が「山田一郎」だろうが、「山田次郎」だろうが「山田権三郎」だろうが、今後の改善策作成には何の影響も与えない。

被害者が被害にあった経緯が知りたいというのなら、
単に「Aさんは10月15日(金)20時に常盤町の交差点で容疑者と話しているところが目撃された」
みたいな仮名の情報で充分じゃないですか。
上の文章の「Aさん」の部分が実名である必然性なんてない。

例えば、池田小の事件で被害にあった児童の名前を僕は一人も知りません。
多分、ほとんどの日本人は被害者の名前なんて知らないと思う。
でも、事件後には日本各地の学校で監視カメラの設置などの対策が進んだじゃないですか。
(その内容の是非はともかくとして)
日本人が被害者児童の実名を知らないことが、その後の社会政策に悪影響を与えたとは全く思えませんね。
Posted by at 2017年11月16日 15:25
昔と違って情報をさらされるデメリットが激増してることも考慮しないとね
Posted by at 2017年11月16日 19:12
>「社交辞令だ!しんざきさんにかわって、オデがこのなまいきなNとやらをやっつけてやる」
>「お前は遺族がふみにじられ!むしばまれ!ぎせいにされてもいいとゆうのくあぁ〜〜!?」
自分と意見が違う人間が自分の意見に対して逆上していてほしい、という願望がとてもわかりやすく伝わってきてゲンナリ。
Posted by at 2017年11月16日 23:23
ああ、スマンスマン。
いや、バカに空しい希望を抱かせるような無駄なかみつきしろを与えてスマンって意味ねw
別に主張内容に一切影響してないんだからその程度の修飾はフツーにアリだろ。タメ口が失礼だって怒ってるレベルじゃない?
別に丁寧語でそのまま書き直してもいいが明らかに無駄手間で逆にイヤミだろうし。
他になんかある?
Posted by N at 2017年11月17日 12:00
とりあえず喧嘩腰になったり無闇に相手を卑小化するのは自分が損するだけだと思いますよ。

個人的には訃報欄程度の名前出しはアリだと思ってます。
拉致被害者の家族みたいに、実名出して多くの人に知ってほしいという在り方も尊重されるべきだし、
逆に被害者遺族に実名報道されたくないという意思があるならそれも尊重されるべきだと思います。
現行法では故人の情報は本人ではなく遺族の個人情報として扱われるわけで、有罪確定した犯罪者でもないのに意に反して報道されるのは論外でしょう。

実名報道完全廃止は難しいでしょうし、メディアの言説でよく言われるように実名報道の利もある程度あります。
何よりもまず被害者遺族の報道されない権利を明文化するべきじゃないかと。
容疑者やら実刑判決の下った加害者やらその遺族に関しては異論がたくさん出るでしょうけど、
被害者遺族の意思が尊重されるべきという点に文句付けるのはマスコミくらいなのでは。
Posted by at 2017年11月17日 17:11
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