白米派です。
いや、一体何を言い始めたのかと思われるかも知れませんが、たかがネギトロ丼、されどネギトロ丼であって、我々の人生においては己の中のネギトロ丼観をいつかは見直さねばならぬ時が来ると思うのです。今、皆の中のネギトロ丼を呼び起こすんだ。
人類には、ネギトロ丼がある。人類の歴史に対するネギトロ丼の影響というものは、決して軽く見ることが出来ないものだと思うのです。
そもそもの発端は、十年近く前にさかのぼります。
私はネギトロ丼が好物で、ネギトロ丼を食べるだけの為に出かけることがしばしばありました。そんな中でも、「まぐろ市場」の渋谷三丁目店がお気に入りで、ちょくちょく行ってたんですよ。今調べたら閉店しちゃったみたいですけど。
ところがある時、いつも通りまぐろ市場でネギトロ丼を頼んだら、なんか味が違うな、と。いつもの、しょうゆとネギトロのハーモニーがダイレクトに口内にがつーーーんと響いてくる感じがないな、と。なんとご飯が酢飯に変わってたんですよ。聞いてみたら、ご要望多かったので酢飯にしました、と。選べるのかというと選べない、と。
これが個人的には衝撃でして。
完全無欠に個人の趣味の話なんですが、私、ネギトロ丼は白米であるべき派閥強硬派なんですよ。
いや、酢飯自体を否定している訳ではないんです。私も寿司は酢飯であるべきだと思います。なんとなれば、酢飯はその保存性が優れているばかりではなく、ネタの臭みを消したり、しつこい部分を低減したりと、ネタを活かすためには非常に優れた土台だと思っているからです。
ただ、少なくとも私にとっては、それは飽くまで「ネタを活かす為」の話なんですよね。ネタを主役と考えるのであれば、酢飯を使うにやぶさかではない。
ただ、ネギトロ丼って「丼」じゃないですか。つまり、ご飯は主か従かで言うとむしろ主。ネギトロ丼の主役は、私にとってはむしろご飯なわけです。
ご飯をメインとして考えた時、「ネギトロ + 醤油」というコンビは、ご飯を活かす最強のタッグとして立ち上がってくる(ワサビ?あいつは星になったよ)。ネギトロのまったりとした口当たりに、醤油の深遠なる塩気が、ご飯の美味しさをハイパーブーストする訳です。
そのコンビネーションの美しさの前では、ネタを活かす為の「酢」というものが、むしろノイズになってしまうと私は思うんですよ。ただピュアに白米であって欲しい。シンプル・イズ・ベスト。米よ、ただあるがままにそこにあれ。
白米派と酢飯派がそれぞれどれくらいいるのか、ということもさることながら、もしかすると「ネギトロ丼における主役をネギトロと考えるか、米と考えるかによって、白米派と酢飯派の割合は変わってくるのではないか?」とひらめいたので、ちょっとtwitterで聞いてみました。まだ投票時間は残ってますが、おおむねパーセンテージが固定されたのでまあ問題ないでしょう。
全然関係ありませんでした。ちくしょうハーマン!
まあ私のしょーもない仮説はおいておいて、酢飯派と白米派は勢力としてはかなり拮抗しており、わずかに白米派が上回っている、という状況のように思えます。酢飯派も結構いるんですね。
ここから考えると、店でネギトロ丼を食べる際には、本来「酢飯か白米かを選択できる」というのが最も望ましい訳であり、まぐろ市場も現在は酢飯か白米かを選べるようになっている(店舗もある?)という情報を掴んでいるので、近い内に確認しようと思っています。
一応結論っぽいことを書いておくと、
・ネギトロ丼は美味しい
・ネギトロ丼を白米にする派と酢飯にする派はかなり拮抗している
・しんざきはかなり強硬な白米派である
・米メインかトロメインかで白米派と酢飯派が分かれるんじゃないかと思ったけど全然関係なかった
・お店で選べるとよいよね
・関係ないけど磯丸水産でランチに食べられるネギトロ丼がなかなかおいしいのでお勧めです
という、極めてどうでもいい結論が導きだせるわけです。よかったですね。
今日書きたいことはそれくらいです。
親によく作ってもらってたのですが
大人になって外で食べるネギトロ丼が美味しくないと
感じていた理由がこのエントリーで解決しました